TOKYO情報ビッグウェーブ〜都会に暮らすコトってシンドイって話〜
自分はサウス横浜出身だ。高校生までは横浜で最高峰の山「大丸山(156m笑笑)」が連なる自然豊かな場所で育った。住んでた団地の5階で暮らすバルコニーからはそんな山々が見え、大人になるにつれてここで育って本当によかったなぁと常々思う。
父が岩手県、母は高知県と、2人とも山間部だったので、小さい頃から田舎にもよく遊びに行ってたのでちゃんジイちゃんバアの家々では1人で田んぼ、畑、山を走り回っていた。
さらには大人になって、サラリーマン時代に札幌勤務、海外バックパッカー、海外自転車旅、最近はカリフォルニアをカートリップしたりと、小さい頃から今までスモール、ミドル、ビックネイチャーと、自然と関わる時間は多かった方かと。
◾️今回のテーマは東京で、しかも都心についてだ。
結論を先に言うと、東京は「情報ネイチャー」豊かな街だと言う事。もっと良いネーミングが無いかなぁと思ったけど、デジタルネイチャー(by 落合陽一さん)は意味も全然違うからなー、なので一旦情報ネイチャーでいかせて笑笑
そもそもなんで今回「東京都心」をテーマに選んだかと言うと、都心で暮らすのって本当に大変だよなーっていつも思うから。家賃や物価は高いわ、隣に誰が住んでるか分からないわ、どの情報が正いかとどうかも分からない。
東京に住んでる理由ってなんだろう?仕事があるから、お金があるから、友達がいるから、そんな私は幸せだろうか?
仕事が?人間関係か?何が私を僕をこんなにも苦しめるのだろうか?
問いを持つことは推奨するけど、考えると悩むは全く違う。まずは「情報」から切り取ってみよう。
皆さんは、そもそも情報ってどこから仕入れているのかな?
メディア、SNS、クチコミなどいろんな情報網があると思うけど、多くの人はインターネットを利用してるんじゃなかろうか。もちろん、私もそんな1人。とはいえ、あまりインターネットの情報は信じていない、正確には「ふーん」程度で聞き流してる感じ。もちろん見る、見るけど自分の手持ちぶたさな時間を埋める手段としてスマホを開いて時間を浪費する。そこに良質なインプットなんてものはない。
インターネットを使うのは仕事上のコミュニケーション手段として利用するのがメイン。slack、メッセンジャー、LINEなど、他者との意思疎通をなるべく効率的にこなす手段。他にはこのnoteやSNSで他人へ自身の思想/哲学を一方的にアウトプットをする手段、たまにコミュニケーションもある。
インターネットの関わり方としては、他人は思っている以上に自分を見てないし、見てるので、つまり気にしないに限る。とはいえ、マスコミやメディアが発信する情報というのは、人間の欲に忠実に沿った形で届けられるのでついつい閲覧してしまう…まずいぜい。
スマートフォンを誰しも持つようになる2012年ごろから一気に増え始め、2017年から2022年の5年間で3倍に増えてたりと、シンプルに情報が溢れている。そんなに増えても、もう追い切れないよね。
とはいえ、人間の脳のスペックは1万年以上変わってない(諸説あるが)ので、たとえ情報量が増えても意味があるのかな?と思ってしまう。まぁ、増えるのはありとしよう、その代わり自分のとって良質な情報を取得するのがめっちゃ重要になる。
インターネット上で本当に必要な、自分自身の人生を変えてくれる、生きる糧になる情報があるのか?情報はあくまで手段であり、真に大切なのはリアルであると信じている。じゃあ目的はなんだって話で、いったんそれぞれが思う幸せや人生の豊かさと設定してくれい。ここでは「情報」が手段である事を理解してほしい。
そんな大切なリアルの世界を見てみよう。
今回のテーマの「東京都心」だ。この投稿を見てくれてる人は、なんとなく東京の街並みのイメージを持ってくれてるだろう。
◾️東京の住みにくい、生きづらっさて?
1.情報ネイチャー
都会に住んでるとめっちゃ速いし、リアルの世界もゆっくりなようで、微弱だけど常に代わり続けている感じ。街中歩いても、電車に乗っても、コンビニ行っても、常に情報に囲まれている世界。それが生きているうちから当たり前だから、そんな情報たちを自然なものに捉えて、常にそこにあるものととらえている。とはいえ、情報はいつも同じではなくて、情報の種類は常に変化し続けている。けれど、それにも気づかない。同じようにリアルの世界の、そうだなー、建造物のスクラップ&ビルドも良い例だよね。あれも情報だ。常に最新のものにアップデートをし続けている。情報量が多すぎなんだけど、それが自然すぎて本当に取るべき情報をどこかにこぼしてないかい?きっと情報も取捨選択が必要だし、むしろ捨てるべき情報を何にするのか。とくに都心の情報ネイチャーに生きる人たちは、インターネット上の超情報化社会だけでなく、変に5感に攻めやすいリアルからお届ける洗脳情報社会と、情報のビッグウェーブに毎日飲まれている。サーフィンやった事ある人は分かると思うが、波に飲まれた時の洗濯機の中の衣服状態。グルグルグル。海面上に顔をあげる事もできやしない。
情報は悪者ではないが、パン屑情報もたくさん
2.超分断社会
ちょっと考えて欲しい。今住んでいるアパート、マンション、隣の家の事をどれぐらい知っているだろうか?知りすぎるのも問題かもしれないが、お互いを助け合おう、合えるという信頼関係がそこに築かれているだろうか?これまで自分が一人暮らしをしていた過去を振り返ると、同じ建物で良好な関係性を作ってた記憶は無い。むしろ、それが当たり前であり、自分が住んでいた空間はまるで街と分断されていたように感じる。そして、人との繋がりも同じように繋がってはいなかった。それでも当たり前に暮らしていたし、むしろそれが普通だと思っていた。家と学校、家と職場の往復。その移動した軌跡を赤いペンでなぞったならば、2〜3箇所が真っ赤に染まるだろう。それぐらい同じような移動しかしていない自分がいた。もちろんそれがダメとは言わない。それでももう少し、少しだけ人との繋がりが日常にあってもいいのではないか?
っというのも、自分自身が実家が団地暮らしで、高校までの18年間はドップリ団地ライフを満喫していた。当時の80〜90年代はご近所さんが同世代で同じような課題を抱えていたので、きっと共通の話題も多くて話しやすかった、そんな時代背景もあったと思う。んで、自分はそんないろんな暮らし方を経て経験してから今は…団地暮らしをしている笑
つまり、団地暮らしサイコー
3.自己家畜化
この言葉は良品計画(著)の「MUJIが生まれる「思考」と「言葉」」と言われる本から抜粋。自分なりの解釈も入れると、人間はまるで自分から家畜のような生き方をしているって事、かな。どういう事かと言うとコンビニがいい例かもしれない。みなさん毎日使いますよね?自分も朝の散歩時にコーヒーを買ってトコトコ歩くのが日課となっているし、いろんな場面で使わせていただいている。こと食に関しては、その手軽さから効率性を重要視してコンビニに向かう。家畜でいうとエサ場の役割を果たしているのだ。資本主義の具現化したのがコンビニと言っても過言ではない。人間が求める欲求、効率的に摂取する&美味しく改良された食、手軽に欲しいものが手に入る立地、生活必需品がほぼ揃った店内など。つまりは人間の欲を満たしながら、最も価値のある時間を捻出するために生み出された最新のエサ場なのだ。地域にもコンビニはあるけど、東京の密集度の比ではない。10分歩けばコンビニにぶつかるぐらいだろう。
コンビニに行きたいのか、行かされて生かされてるのか?
◾️結論「東京フィクション世界」
そうそう、①〜③を見るだけで悲惨だよね。この結論はちょっと前に流行った「サピエンス全史/著者 ユヴァル・ノア・ハラリ」で書いあったような「認知する」or 「嘘を信じる」みたいなチカラが人間にあるのでそれぞれが「この世はフィクション世界」であるという認識を無自覚に持ちながらも、強力に認知し合っているから成り立っているのではなかろうか。お金、国、人自体が本当ではない世界…怖っ!けど、そう。それが人間の強さだし、集団のチカラであり、常にテクノロジーの進化が生まれているのだと思う。今よりももっともっと効率的になったら人間はどうなるのだろう?よく言われているのはロボットがほとんどの仕事を代わりにやってくれるから人間は「遊ぶ」事が仕事になると、そんな世界最高だろうなーって思いながらも、変わらず苦悩する人もいるだろうなー。この未来の「遊び」の概念についてはどっかで掘り下げたい。
改めて東京を見てみよう。東京は世界的に見ても本当に大きな街だ。全世界の都市を見たわけではないが、日本の都心ほどビル・住宅が広くギューっとなってる街はないだろう。日本のカルチャーと発信地は渋谷近辺だし、ビジネスな感じで言うと新宿、六本木、丸の内、最近だと日本橋?とかだろう。渋谷を例に挙げよう。自分が高校生の頃は、まだ東急東横線が地上にあって、ヒカリエは雑居ビル郡だったし、渋谷スクランブルスクウェアなんてもちろん無い、それがここ10年ちょい近くで本当に大きく変わった。とはいえ、渋谷のような資本主義ドップリな街は、時代が変わると共に同じように変化し続ける事が本質であり、常に人、モノ、コト、情報が畝(ウネ)りながら上昇し続ける状態。けど、常に上がり続けるなんてコトは難しく、どこかで歪みが生じる。「働き方」なんて最たる例だろう。
なぜそんなに働くのだろうか?
映画マトリックス/1999年(もう20年以上前!?引くわーww)の世界の舞台は仮想現実。当時の自分は「かっこいい映像だなー」ぐらいで観てたけど、今やその仮想現実が今の現実世界なんじゃないかなと思う事も増えた。まぁ、それは言い過ぎかもしれないけど、仮想現実は人間の欲求をバーチャル世界で具現化したものであり、ある意味リアルの世界もその欲求が現実の世界に反映された世界。ちまたにある広告も、こうなって欲しいという未来の予言であり空想世界でもある。考えすぎかもしれないけど、自分がめっちゃ鬱気味だった数年間は、東京をそんな目線で見てたんだよなぁ。
「ちょっと情報量が多すぎじゃないか?」
だってほとんど仮想な世界だし、いつまでも無形の情報がドンドン流れてくる。有形なものも動きはゆっくりかもしれないけど常に変化をし続け、いつの間にか空を見上げて首がもげるぐらいのタワーマンションができる。都心だけではないかもしれないけど、とくに都心について言いたいのは、あまりにもヒューマンスケールではないという事。たくさんお金を持った事ない自分が言うのもなんだけど、そんなに大きいビルっているのかな?朝夕の通勤ラッシュに乗ってまで働く必要ってあるのかな?目の前にある世界って本当の世界かな?
それでも変わらないもがある。それは歴史だ。あっ、けどこれも捏造される事があるからちゃんと見極めなければ行けないけど、過去は変えられないのは事実である。今残っている歴史的なものは、きっと先人から連綿と紡いできたものであり、無駄物を削ぎ落としたコンテンツ。渋谷のように文化が変わり続ける文化も大好きだけど、歴史という呪いがある東東京エリアも大好きだ、表面的なコンテンツの面白さは東東京に負けるが、面白がる余白は十分にあり、芸術よりなアートな視点で街を楽しめるのもとても良い。ぜひ行ってくれい。
とても暮らしづらい東京だが、東東京エリアは意外に悪くないよ?って話。
◾️目指すべき未来は?自分をメタるチカラ
ってまぁ、東京をディスってきたけど、自分は東京は大好きな街なのだ。人も多いし、経済も大きいし、小さな集団が無数に形成されている、まるでインターネット的な世界なのだ。インターネット的という言葉を初めて聞いた人も多いかと思うが、2001年 初版「インターネット的 / (著) 糸井重里」さんが出された本だ。タイトルにある通り、リアルな世界こそインターネットっぽくなっていると言っている。20年以上前にこれを言ってるのは本当に凄いと思う。興味がある方は見て欲しい。
「東京のリアルな世界こそインターネット的な世界である」と捉えていくと、ちょっと面白くない?東京って。
とはいえ、現実世界って考えると虚しさもあったりする人もいたりなかったり、自分的にそんな世界を生き抜く手段として取り入れている。
①「今」をとらえる
そーそーこれは大事マンブラザースバンド。つまり大切って事。ここ数年の流行りで言うとマインドフルネス・ウェルビーングとかかな、瞑想とか良いって言うよね。これをすると意識を今に集中するので、自分自身を客観的に見る事ができて、自分自身が置かれている状況をメタ的に見て行動ができるようになる。つまり、現代に蔓延る精神的な疲れや病気に効果を発揮するってこと。
マインドフルネス的なやつをこれまであまり理解してかなったけど、2週間ぐらい前に座禅断食(3日間断食)してきて1日中座禅をしてたんだけど、「今」に集中する感覚はちょい理解したかな。とはいえ、座禅よりも自分が実践して効果を実感しているのはサウナ&筋トレ in ジムですな。共通するのは自然とマインドフルネス状態になっている事。サウナも筋トレもやっている最中は辛すぎて、いい意味で「今」しか見れない状態になるという(笑)もう他の事なんて考えられないよね。最近では効果も科学的に分析されていて、脳に良いホルモンを分泌したりと人に絶大なる効果を与えるという。興味がある人はサウナ&筋トレは調べて欲しい。
②地域や街/好きなコミュニティに関わる
社会人になるとコミュニティが狭くなってしまう傾向にあるのではないか?自分もサラリーマンを経験していたから分かるのだが、会社で働いていると家⇄会社の往復がメインになってしまうので、自然と会社のコミュニティが強くなってしまう。とはいえ、会社なんてものは好き同士のグループではなく、会社としての利益追従する運営組織であり気が合わない同僚や、クライアントも当たり前に存在する。そして残っているのは家族 or 独身だと1人だ。こちらもコミュニティの最小単位でユニット大きく変わらないし、環境に変化を起こすのが難しい(子供のイベントは別)。オススメするのは他に関わるコミュニティを増やす事だ、さらには主体的に行動ができて己の自己実現ができると尚良し。
一つが目自分が住まう地域や街コミュニティだ。自分が暮らしているので自分ごと化もしやすいだろう。なにより自分が行動する事で地域や街が少しでも素敵なものになるなら参加しない手はない。二つ目が自分の好きに正直に・。
もちろん相性がある
受け身のなのは相手にも失礼だし、なにより自分のためにはならない。
③inよりもoutを多めに
自分をマイインターネット的にとらえよう。情報のインプット太りは脂質と糖質を取りすぎより全くよくない。インターネットも情報が蓄積されるのではなく、誰もが見れるようにアウトプットされ、共有されるからこそ個人を超えた集合知になるのだ。
アウトプットするってのは、自分以外の誰かに見えない手を差し出す事と一緒なのさ。あ、けど自分自身の胸に手を当てる行為でもあるかも。まぁ、アウトプットするってのは孤独を防ぐ行為でもある。
まぁ、なにより思い描いてる理想に届きたいのなら、インプットだけじゃダメって事。おそらく多くの人が 「in : out = 9 :1 」だと思うけど、これを真逆の「in : out = 1 :9 」にするぐらいの気持ちでいなきゃだなー。数字はあくまで数字であり、イメージとして気づいて欲しいのは、もっとアウトプットしてこうぜって話。手段はなんでもいい。話そう、書こうってのがわかりやすいけど、歌おう、踊ろう、作ろう、描こうってのもアリアリ。つまり自分の内面(精神)だけに留めないでいこうって話。
情報を仕入れただけで、やった気になってるそこに君!
そうお前だよ!くまがいくん!
君に必要なのは言語化なので、しっかり想いを描いていこう。
アウトプットに手触り感を。身体も意識も。
◾️まとめ
あー、この記事か書くのに何ヶ月かかった事かww
4ヶ月はかかった気がする…サボってただけだけど。
改めて、自分の記事を見て感じたのは、想いの本質的な部分は変わらないな。
本要約チャンネルばっか観て、聞いてばっかりいたから活字に不慣れになったので、最近は本を読むようにしております。
集中ってムズイぜ…
とりあえず発信yeah!!
「決断と行動・自由と責任・内と外と縁側」
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