飛び抜けた才能 4000字相当


「う、また聞こえなくなっている。どんどん俺から音が無くなっていく」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、どんどん耳から音が聞き取れないことに日々恐怖を感じていた。


1770年にドイツのボンに生まれたルートヴィヒは、父と同様に音楽家を志した。
子供のときから音楽の英才教育を受け、やがてオーストリアのウィーンに移住してから本格的に音楽家として活動。ルートヴィヒはピアニストとして、また作曲家としての才能は飛び抜けており、20代にて早くも名声を持つようになっていた。

そんなルートヴィヒに異変が起きたのは20代後半のこと。突然耳が痛くなることがあるかと思うと、少しずつ音が聞き取れにくくなっていた。最初はそのうち元に戻るかと思っていたが、全く逆。どんどんルートヴィヒは聴覚を無くしていた。

「あのころは何もかも音が聞こえていた、父・母・学校や音楽の先生・友達いろんな人の声を聴き、言葉でコミュニケーションが取れたというのに、今は筆談でしか相手と話ができない」
ルートヴィヒは、自室のテーブルの椅子に腰かけながら、自由に音が聞こえていた当時を懐かしむが、その反動で「聞こえない」という現状を嘆く。

「そう、あのとき俺は人生を一旦あきらめた。音楽で飯を食おうという奴が、音が聞き取れないなんて論外だ!」

ルートヴィヒは頭の中でそうつぶやく。ふと視界の目の前にペンとインク、紙が置いてある。ルートヴィヒは、羽根のついたペンと紙を手に取ると、初めて聴覚に異変を感じたときことが頭から浮かび始めていた。

「あのときも『俺はもうだめだ』と、死を覚悟した。俺から音が奪われていった。だからもう生きる価値は無いのだ」
ルートヴィヒは、ペン先を眺めながら過去の記憶を次々と呼び覚ます。初めて難聴に苦しんだあのときも、この日のように同じテーブルの上で悩んでいた。今やっていることがあの十数年間のときを再現しているようだ。

「だが、あのときは、聞こえないと言いながらも少しは聞こえていた。そう僅かでも音があれば楽曲がイメージできた。しかし昔のように鮮明には聞えない。だから一旦は遺書を書いた。そのときは書きながら考えた物だ。『出来る限りの可能性があるのでは』と。まあ、せっかく書き終えたものだし、あれは可愛い甥のカールと信頼できる弟ヨハンに託したりしたな」

このときルートヴィヒがしたためた書は後に「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるもの。

音楽において飛び抜けた才能を持つルートヴィヒは、この遺書を書いたことで、逆に音楽家としての情熱が強いことを知った。
だから一旦どん底の状況だったルートヴィヒは、再び創作意欲が湧きおこり、顔の表情が緩んでいた。
「そう俺は、わずかな可能性にかけてもう一度音楽に向き合った。リアルの音楽が聞こえづらいが、わずかな音を頼りに後はそれまでの経験でカバーしたんだ」

過去の譜面を見ながら頭の中で音楽を再構築……。
ルートヴィヒは、その方法にたどり着いた。それまでは師匠だったハイドンら古典派の音楽を忠実に作曲していた。だが、そうではなく、そこから新しいものを追求した。
「あのときも絶望であったが、その逆境からできた。でもあのときはわずかでも音があった。今とは違う」

ルートヴィヒが僅かに聞こえる音とそれまでの経験、そして頭でイメージする新しい可能性で作曲したものの中には、代表作として名高い「運命」と呼ばれる交響曲第5番、「田園」と呼ばれる交響曲第6番が含まれていた。



「あのとき、最初は不安であった。音がとにかく聞こえにくい。だから頭の中でイメージするしかなかった。だから俺なりにアレンジを加えた。実際それは正解だった」

ルートヴィヒは、ペン先をインクの壺に差し込んだ。

「そうだ、ペンを動かせば、あのときのようにまだできるかもしれない」

かつて30代で耳が聞こえない状況でも、作曲に情熱を燃やし、ペン先を紙の上で動かした。そして次々と新曲を発表したことを思い出す。

「新しい曲を発表しても。昔のように拍手などはほとんど聞こえない。だが、目は見える。だから会場の観客の喜ぶ表情でおおよそのことは解る。大盛況だったのに違いない。音ではなく、他の感覚で教えてくれた」

ルートヴィヒは、ペンを強く握りしめる。
「あのときのように、この状態からでもできるはずだ」
インクを浸したペンを紙に近づけた紙に何かイメージできないかと。ペンの羽根を眺めながら手を動かそうとする。だが何かを書きだしたくても手が全く動かない。何もイメージできない!できるのは今の現状への焦りだけか......。

あたかも手先が金縛りにあったかのように、ペンをつかんだまま全く動こうとしないのだ。たったひとつの文字すら書けない。その場では、インクがにじみ出て紙を汚すのみ。ルートヴィヒは、徐々に焦りから苛立ちが募り、そして怒りが一気にこみ上げてくる。

ついにペンを投げだし、インクで汚れた髪を豪快に破ったかと思うと、それを思いっきり丸めてボール状に。彼以外誰もいない部屋にそのまま投げすてた。するとボール状の紙は花瓶に当たり、花瓶はその衝撃で床に落下。そのまま砕け散った。

「以前はわずかな音が聞こえたからこそ出来た。今回はもう無理だ!本当に何も浮かばないし、何も聞こえないじゃないか!
紙を破る音も、投げつけてぶつかった花瓶が割れた音。そして俺がここでこうしていくら大声出しても、それすらも聞こえないというのか!!」

ルートヴィヒは、目の前にあったテーブルを思いっきり叩く。
「ダメだ。机をたたいても何も聞こえない。手はこんなに痛いのに。ああ!神はいないのか。ああ!おれはもうこのまま死ぬしかないのか!!」

ルートヴィヒは大声を張り上げる。だが喉を限界にまで声を張り上げても、それは耳には入ってこない……。


ルードヴィッヒがふと背後に何かを感じ取り、後を振り返るとおびえた若者が建っていた。
その若者は、ルートヴィヒがテーブルを叩き、大声を出し続けていたために、慌てて部屋に入ってきた弟子のひとりである。

「先生… …」弟子は、おびえながらつぶやいたが、ルードヴィッヒには聞こえない。
だが、おびえる弟子を見ていると、怒りと苛立ちはどこかに消え去ったようだ。ルードヴィッヒは、ばつの悪そうな表情をしながら椅子に座りなおした。

弟子は、テーブルの下に転がっているペンを取り出した。そして、ペン先をインクに浸しまだ破られていない紙を取り出して何かを書きはじめる。書き終わるとルートヴィヒに見せる。

「先生、お気持ちはわかります。また耳が悪くなられたのですね。でも。いら立たないでください。先生の音楽はだれにも真似はできません。本当に最高の作品です」と書いてあった。

それを見たルートヴィヒは、完全に冷静さを取り戻し、まだおびえた表情のままの弟子を見ると。一瞬頭を下げた。その後、弟子に促してペンをもらうと、別の紙に返事を書く。

「残念だが完全に俺から音が無くなった。さすがの俺でももう無理かもしれん」

それを見た弟子は再びペンを返してもらうと、今度は少しリラックスした表情になり、再度紙にメモで記す。

「先生、でも先生なら音が無くても頭の中のイメージでもう一度素晴らしい作品ができるような気がします。お願いです先生最後と思ってもう一度チャレンジして下さい」

ルートヴィヒはそのメモを見ると思わず笑みがこぼれた。そして弟子からペンをもう一度もらう。
「ありがとう。お前の言うとおりだ。何も聞こえないからダメかもしれないが。もう一度頭の中でイメージしてみよう。今回もしダメなら俺は笑いものになるかも知れん。それも運命だな」と書くと、弟子はにこやかな表情になった。それを見たルートヴィヒの表情も晴れやかになった。



その日の夜、ルートヴィヒは夢の中で音楽が聞こえた。
「多分俺は夢を見ているな。そうか夢の中ではこんなに鮮明に音が聞こえるのか。ああ美しい。これは田園の中で豊作に喜ぶ人たちの歓喜の声だ。こんな音を世に送り出したい。でも無理だろう起きるともう何も聞こえない。できることならこのまま目覚めないでほしい」

しかし、そんな期待を裏切るように朝日に起こされるルートヴィヒ。
ところが起き上がると、不思議なことが起きていた。頭の中から夢の続きであるかのように音楽が聞こえるのだ。

この状況にルートヴィヒは驚いた。
「あ、あの夢の中で聞いた音が聞こえる。頭の中に音楽が! これは音が聞こえなくてもできる。もう一度可能性に賭けてみるしかない」

こうしてルートヴィヒは、またしても創作意欲をよみがえらせたのだ。再び作曲活動を、再開すべくペンを取り出した。この前と違いペン先は勢いよく紙に文字を表現させてくれる。

ちなみにルートヴィヒは、このときの作曲活動には瞑想を取り入れたという。
「これは素晴らしい。瞑想すると俺には聞こえる。頭の中で音が響く、次々と響くぞ」

だが、順調のように見える作曲活動は、そう簡単ではなかった。耳以外にも患っていた腰痛いなどに悩まされ、思うように作曲活動が進まない。
「い・痛い。今日はやけに腰が痛む。ダメだ!今日は音がイメージできない」

また、ちょうどこのころ甥のカールの父親が無くなり、ルートヴィヒは後見人になった。創作活動とは無関係のことが続き、中々創作が前に進まない。


「もう夕方か。今日は後見人としてのやり取りで1日を費やしてしまった。しかしこんなに面倒な役回りとは。くそ、余計なことばかり邪魔をする。俺はもうダメなのか! いや、まだやれる。明日はできる」

ルートヴィヒは自殺志望と創作意欲が交互に頭の中にうごめきながら、それでも頭の中に聞こえる音楽の再現に務めた。


そして1824年のある日。
「できた。音が聞こえない俺が作った傑作だ!」
こうしてルートヴィヒが死の床に入る3年前に、ひとつの作品が完成した。この曲のタイトルは、ルートヴィヒ自身名づけなかったという。

翌1925年に初演がなされたこの曲は、歓喜の歌とも呼ばれる交響曲第9番。
「第九」と親しまれ、後の世の年末の日本で流れる、彼の最も人気の高い曲のひとつである。



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