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黒い花

俺達が高校時代にからかっていた女は、魔木《まぎ》といった。そいつはいつも冬服を着ていて、頭に黒バラの飾りが付いたバレッタを付けていた。真っ黒なロングヘアと黒いセーラー服のせいで、そいつだけいつも黒かった。寒がりなのと言っていたが、真夏は見ているだけで暑苦しかった。お前、周りにも配慮してくれと言ったが、そいつは返事もしなかった。だから、からかった。俺はそいつに糞!と言うようになった。時々殴った。その度にそいつの友達が飛んできて、魔木ちゃんをいじめるな!と叫んだ。おれはその度にこいつも殴った。気が強いが所詮女子。言い返して殴り返そうとしてる拳なんて軽々かわせるわ。
そのうち、俺以外の奴もそいつをからかう様になった。そいつは特に不潔でもなかったが、くせーんだよお前!と怒声を投げつける奴、周りを不快にさせてる迷惑料出せよと金をせびる奴、夏の体育でプールの後、突然戸が半分開いて、男子ーおかずあげるー!と魔木の物らしい下着が飛び込んできた事もあった。何だ、魔木を疎ましく思ってるの俺だけじゃないじゃん。止めなよとクラスの奴等に咎められた事も何回もあるが、俺らは止めなかった。奇行を止めないあいつが悪い。通っていた学校はクラス替えがなかった為、俺らは3年間そいつをからかい続けた。

卒業式が終わり、教室で最後のホームルームの時間。世話になった担任が卒業アルバムを配り終え、最後の話を始める。つまんねー話を聞き流し、やっと終わったところで、急に魔木が立ち上がり、担任を押し退け教卓へついた。ざわつく教室の中で、魔木がゆっくり口を開いた。
「3年間、私と関わってくれて有難う。お礼にあなた達に呪いをかけます。期間は3年間。呪いを解くヒントは、たった一言の言葉…」
そう言って魔木は右手の人指し指を立て、右腕をスッと上に上げた。そのとたん、キィーーーとまるで黒板を指で引っ掻いた様な不快な音が耳に響いた。
うっ…と呻いて辺りを見渡すと、キョトンとしてる奴と、俺と同じく不快音に呻いてる奴が居た。魔木はいつの間にか席に戻っていた。
不快音に呻いてたのは、担任と俺ら魔木をからかっていた組だと気付き、怒りを感じた。どうやったのか知らないが、最後に地味な仕返しとは生意気な。
俺は耳鳴りが収まった後、卒業証書の角で魔木の頭を殴って母校を後にした。何が呪いだ!そんなもんある訳ねーだろ!
イライラしながらいつものバスに乗ると、急に腹が痛くなった。それは時間がたつ度にヤバくなっていく。早くバス停に着けよポンコツバス!ギュルギュルいってる腹をおさえる。脂汗がデコから流れ出る。あんた、大丈夫かぃ?お人好しそうな婆さんに声をかけられた瞬間、俺の肛門は決壊した。
その日以来、俺は腹が弱くなってしまった。いつ下痢にみまわれるか分からない為、それ以降オムツ生活になってしまった。

「場加《ばか》、助けてくれ!危ない先輩に目を付けられて金をせびられてるんだ!」
阿帆《あほ》から電話がかかってきたのは、大学生活になじみ始めた6月の事だった。こいつはかつて魔木に金をせびっていたなと、オムツにブリブリ糞を漏らしながらボンヤリ思った。どうやら本当に俺達は魔木の呪いにかかっているらしい。俺は卒業式の日から下痢気味だし、こいつはやってた事が自分に返ってきている。何だこの呪いは…地味!しかし、あいつは言っていた。呪いの期間は3年間だと。つまり今無理して呪いを解かなくても、3年耐えれば呪いは解けるという事だ。
「阿帆、耐えろ。どうせ今だけだ。3年我慢すれば元に戻る」
「いやいや、その前に俺が殺される!間抜《まぬけ》と出部曽《でべそ》も大変な事になってるし、1度みんなで会って対策法を考えないか?このままじゃみんな死んでしまう!」
大袈裟な…と思った。俺は下痢、阿帆は金銭トラブル、間抜と出部曽は知らないが、どうせ大した事じゃないだろう。俺は正直呑気に構えていた。そんな地味な呪いじゃ俺達は死なないと。
阿帆があまりにもうるさいので、仕方なくみんなで会う事にした。俺らからかい組の早すぎる同窓会だ。

間抜は魔木に性的なからかいをしていた奴だ。水泳の授業後、魔木の下着を男子更衣室に投げ込んだり、時々トイレで裸にして写真を撮っていたらしい。そんな間抜は、今ストーカーに悩まされているらしい。僕のジャムと書かれた白い何かが入ったビンがポストに入っていたり、誰かが後ろからついてくるのを感じたり、自宅のドアに、チラシの裏に書かれたラブレターが貼らさってたりするらしい。警察に行っても軽くあしらわれて終わりらしい。一方、魔木によく、くせーんだよと言っていた出部曽は、体臭が酷い事になっていた。待ち合わせの喫茶店に出部曽が現れたとたん、俺達も周りの客も一瞬で顔をしかめた。くせーんだよ!出部曽!
申し訳ないですが…と店長にやんわりと追い出された俺達は、仕方なく公園で話し合う事にした。
出部曽は卒業してから、酷いワキガになってしまったらしい。
4人の呪いをまとめると、俺は下痢、阿帆は金銭トラブル、間抜はストーカー、出部曽はワキガとなる。どうやらみんな、自分がやってたからかいが呪いとなって返ってきてるという事が分かった。糞!糞!言っていた俺は今、糞に泣かされている。
「この中だと間抜が一番危ないかも…そのうちストーカーにレイプされるんじゃ…」
出部曽の言葉に間抜は止めてよ!と怒鳴った。
3年待てば呪いは解けるが、その前に間抜が強姦されるならちょっと可哀想か?
「そうならない為に、みんなで呪いを解く一言を考えるぞ。俺だって先輩に殺されたくない。えーと…アブラカタブラ~」
「そんなんで呪いが解ける訳ねーだろ!」
ノロイトケロ~、タスケテクレ~、マジョノマホウ~、ナンマイダブツ…色々唱えてみたが、呪いが解ける気配はない。本当に何か一言言えば呪いが解けるのかよ…。やってるうちに魔木に怒りがわいてきた。段々オムツもパンパンになってきたので、俺は1度トイレに行く事にした。
公衆トイレに入り、個室のドアを開けた途端に俺は悲鳴を上げた。高校時代の担任が、便座に座った状態で血まみれで死んでいた。

後日、担任は公衆トイレで自殺していた事が分かった。自宅に残されていた遺書に、ある生徒のいじめを見てみふりしていたら、その子が卒業後、周りから無視されるようになり、仕事に支障が出てきた。生徒も自分の話を全然聞いてくれず学級崩壊状態だ。もう疲れた、死ぬしかない。こう書き残して公衆トイレで何度も自分の左胸をナイフで刺したらしい。テレビのニュースで何度も繰り返されるこの報道を、俺はボンヤリ見つめていた。呪いの最初の犠牲者は、元担任か…。
俺達はあの後、警察から質問攻めにされて疲れた。特に第一発見者になってしまった俺は、何度も繰り返される質問に心底うんざりした。その日は呪いを解く方法どころではなくなり、警察からそのまま解散になったのだが、その後何故かみんなと連絡がとれなくなった。LINEもメールも送れず、通話も出来ない。それから1年がたち、阿帆と久しぶりに再会した。テレビの画面を通じて…。
テレビには暴力団事務所の映像と、港の映像がさっきから交互に映っている。金銭トラブルに巻き込まれていた阿帆は、大学入学早々、暴力団の息子に目を付けられて金をせびられていた。拒む阿帆に腹を立てた息子は親にチクリ、阿帆はクスリを吸わされ、体に重しを付けられて海に捨てられ、水死体となって発見された。組長は息子ラブでしてねぇ…と、顔にモザイクをかけられた元暴力団員がインタビューに答えている。
担任も、阿帆も死んだ。早く呪いを解かないと次は俺かもしれない。

今日も下痢が止まらない俺は、オムツを履いて大学へ向かう。カバンの中には予備のオムツも入っている。普通のパンツは、あれ以来履けてない。
通学中も、講義中も、下校中も、絶対1度は漏らすからだ。この事を知っているのは、生き残ってる間抜と出部曽だけだ。他の奴には絶対バレてはならない。大学生にもなって粗相とか、クソ恥ずかしいわ。
大学でのトイレは、出来るだけ人気がない場所のを使う。男子トイレにはゴミ箱が無いから、使用済みオムツは丸めて隅に置く。人が多い場所では出来ない。俺のだとバレるから。新しいオムツを履いて、個室を出ると、知らない奴と出くわした。何でだよ、いつも誰も居ないだろ!小便器で用を足すそいつの側を通りすぎて、これも呪いか?と呟いた。
それ以来、いつもの人気がないトイレまで人が来る様になった。地味な呪い恐るべし。マギノノロイ。呪いが解ける様祈って呟いたが、これも違うらしい。何なんだよ…呪いを解く一言。
いつものトイレが混み始めたせいで、ついにオムツが俺のだとバレた。大1でまだお漏らしかよー!だせぇ!と、自分の使用済みオムツを、顔面に投げ付けられる。てめえ!と殴りかかろうとした俺を、違う奴に止められる。カバンから予備のオムツを出され、便器に捨てられてようやく解放された。 からかわれる方の景色って、こんな感じなんだな…。ちょっとだけ魔木に対して罪悪感を覚えた。

入学当時から、1年にオムツ履いてる奴が居ると噂があった。それが俺だと気付かれまいと頑張ってきたのに、先日知らない奴にそれがバレた。いつ撮られたのか、俺の顔写真付きで、〇〇大学オムツの怪、解決!とSNSで拡散され、あの謎のオムツ、あいつのかよー!と大学内でクスクス笑われる様になり、恥ずかしい日々を送ることになってしまった。そんな頃、今度は間抜が殺された。登校前にコーヒーを淹れ、朝刊に目を通していたら間抜が居た。
気持ちを受け取ってくれない間抜に苛立ち、撲殺した後、服を脱がし、イタズラしたという記事が載っていた。遺体には犯人の体液が大量にかけられていたらしい…。死姦された間抜を思い、吐き気を覚えた俺はトイレに駆け込んだ。ゲーゲー吐きながら残りは俺と出部曽かと思った。魔木、お前3年間待つ気ないだろ?仕返しがハード過ぎだ!
その出部曽も、すぐにリタイアした。死んではいない。酷いワキガになって短大で酷いからかいを受けていた出部曽は、段々無気力になっていった。それに加え、魔木の呪いでからかい仲間が次々死に、恐怖で精神がおかしくなっていった。最終的に引きこもりになった出部曽は、ウガウガとしか言わなくなり、更に家族に暴力を振るう様になり、そういう奴の病院に入院していると、登校途中にたまたま会った同級生に聞いた。残りは俺だけ。今のとこ下痢でオムツを履くはめになり、最近それがバレてからかわれている。いや、これはからかいじゃねぇな。イジメだ。俺達が受けたのも、俺達が魔木にしてたのも、全てイジメなんだ。認めたくなかった。イジメしてたのも、受けているのも。

クソッタレ君。オムツがバレた後の俺のあだ名はこれになった。遠巻きにクスクス笑われたり、わざわざ俺の近くに来てくせーんだよ!と知らない奴に言われたりした。何かの病気?と知らない奴に心配されたりもした。本当の事なんて言えず、俺は何を言われても黙っていた。あいつ、常にこんな気持ちだったんだな。俺が黙っているので、周りの奴らは調子にのったらしい。ある日、カバンから予備のオムツが消えていた。その日は特に下痢が酷く、何度もオムツを替えていた。ケツはもうパンパンだ。仕方ないので今日は帰る事にした。ドラッグストアに寄り、大人用オムツを手に取ると、ママーあの人ウンチくさーい!と近くにいた子供が俺を指さした。オムツがパンパン過ぎてにおいがもれたか?と、思わずケツを手で隠す俺。コラ!知らない人に失礼を!と親らしき奴が子供を叱り、俺に頭を下げて去っていく。地味に傷付いた俺はさっさとオムツを買い、店のトイレを借りてオムツを取り替えた。これで気持ちよく帰宅出来る。店を後にし、歩き出すと、頭の上にピシャンと何かが落ちてきた。頭頂部を手でぬぐうと、鳥の糞だった。何だよちくしょう!早く帰って風呂入ろう!駆け出すと今度は犬の糞を踏んだ。俺だけ呪いが地味だなオイ!

俺だけ地味な呪いをくらい続けて3年後。結局呪いを解く一言が分からないまま下痢を垂れ流していた。魔木は俺達に何を言ってほしかったのか、未だに分からない。3年前のこの時間だったな。魔木に呪いをかけられたのは。あまりに体調が悪く、ベッドに横になっていた俺はぼんやりと当時の事を思い出していた。結局呪いは解けなかったな。くそ、腹が痛い。腹痛を忘れる為に、俺は半ば強引に眠りに落ちる。

「場加君。久しぶり」
懐かしい声が聞こえた気がして、ゆっくりと起き上がると、目の前に魔木が居た。驚いて、どっから入った!と怒鳴ると魔木は微笑んだ。何だこいつ。
結局呪いは解けなかったのね、可哀想に…。魔木はそう囁くと俺の首に手をかけ、ゆっくりと絞め始めた。呪いを解くのは簡単な一言だったのにね。あなたも死ぬ運命だったんだ。残念だね。優しく微笑みながら、俺の首を絞める力を強めてゆく。止めろ、止めてくれ…。何故か体は動かない。俺の首を絞めながら、魔木は勝手に色々話していく。担任の先生はちょっと私と同じ状況を作ったら自害しちゃったね。心が弱い人だったんだ。阿帆君と間抜さんのは本当キツかったなぁ…。お爺ちゃん騙して小遣い多くもらったし、間抜さんには沢山裸の写真撮られちゃったし…だから2人には特に痛い目にあってもらっちゃった。スッキリしたよ。クサイとうるさかった出部曽さんは自分が臭くなったら精神崩壊しちゃったね。笑える。さっき殺しちゃったけど。場加君は小物だね。殴られるのは痛かったけど、クソクソうるさかっただけだし。ねぇ、場加君。本当に分からないの?呪いを解く一言は、被害者が加害者に言ってほしい事だよ。

意識が朦朧としてきた。何だよそれ…。じゃあ出部曽も死んだのか。わかんねーよ。呪いが解けないまま死ぬんだな俺…。ぼんやりと俺の首を絞める魔木を見つめていると、突然魔木がドロドロと溶け出した。驚いた?人を呪わば穴ふたつって言うでしょ?私も人を呪った罪で死ぬの。もっと生きたかったけど、悔しい気持ちを抱えたまま生きる方がしんどいから、復讐に走る事にしたの。特に吉野ちゃんまで巻き込んだ間抜さんは本気で許せないから。場加君、そろそろ時間切れよ。そう言うと魔木は更に力を込めて首を絞めてきた。女とは思えない力だ。大人しいと思っていた魔木をこんなにしたのは俺達だ…。ドロドロに溶けて、死ぬ運命を選ぶ程、俺達が憎かったのか…。すまん…。イジメて悪かった…。
「ご…え…ん…な…さ…」
首を絞められながら、俺は呟いた。ごめんなさいと言いたいが、首を絞められながらでは上手く声にならない。その声を聞いた魔木は俺の首から手を離した。
「正解よ、おめでとう。私、ずっとあなた達に謝ってほしかった。もう2度と、イジメなんかしないようにね」
そう言い残して魔木は、溶け終えて水になった。傍らにいつも付けていた黒バラのバレッタが落ちていた。ゲホゲホとむせながら、俺はそれを見つめていた。

目覚めたら部屋の隅に置いていた、買い置きのオムツが全て無かった。パジャマのズボンを脱ぐと、普通のパンツを履いていた。腹痛は治まっている。夢だったのか?いつから夢だった?俺は混乱した。魔木が残したバレッタは床に落ちているが、水溜まりは消えている。じゃあ死んだあいつらは?俺が呪いを解いた事で生き返ってたりしないか?過去のニュースをスマホで調べたが、残念ながら死んだままだった。魔木は?バレッタが残ってるし、実は生きてるんじゃ…。俺は吉野の家の電話番号を調べてかけた。何の用だよと不機嫌な声に、魔木の事を聞いてみる。
「場加君、頭大丈夫?そんな人居なかったよ」
「お前こそ何言ってんだ?魔木だよ!お前の親友の」
「はぁ?私、ぼっちでしたが?あんたらが散々イジメてきたせいで、友達出来ませんでしたが?」
「俺らが魔木イジメる度に、お前飛んで来てたじゃねーか」
「あんたらがイジメてたのは私でしょ!何?意味分かんない、新手のイジメ?」
俺はガシャンと電話をきった。どういう事だ?俺の仲間は全員死んでる。魔木のバレッタはここにある。にもかかわらず、親友だった吉野は魔木を知らない。あっ!と思い付き、高校の卒業アルバムを開くと、そこに魔木の写真は1枚も無かった。
ゆういつ魔木の存在を証明出来るバレッタは、床の上で艶々と黒光りしていた。

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