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プレイボールは父と友達になる魔法 〜inning⑩~ 【不定期】

1992年のタイガースは

1985年のV戦士
岡田選手、真弓選手、平田選手、木戸選手
のベテラン勢

仲田幸司投手、猪俣投手、野田投手、八木選手
などの中堅勢

亀山選手、新庄選手、田村投手、中込投手、
葛西投手などの若手勢

久慈選手、弓長投手
などのルーキー勢

オマリー選手、移籍してきた
パチョレック選手

と、それぞれの世代や
立場の選手達が見事に融合をし

競争と助け合いが出来る
非常に良いチームバランスと
なっていた。

そんな戦力が躍動をし
この年のタイガースは
春先から好スタートを切る。

私は父と
プロ野球とタイガースを
追いかける様に
なってから

こんな良い成績を
送っているシーズンは
初めてだったので
本当に痛快だった。

今じゃ考えられない
かも知れないが

関西地区以外では
スポーツニュースの
その他の試合結果
扱いは当たり前で

ダメ虎ダメ虎と
バカにされてきていた。

学校でどこの球団の
ファンかの話題になると
影武者の如く気配を消し
その会話から抜け出していた。

父ですら
親心だったのか
私にジャイアンツの帽子を
被らせていた事もあった。

最早
隠れキリシタン状態である。

なので
そんな我々親子は
この快進撃には
どんどん我慢が出来なくなり

父がタイガースの通販で
球団旗を用いた
玄関マットに始まり
メガホンやフラッグを
買い揃えた。

そのグッズの数々を
狭い家中に配置をして
それらに囲まれ
TV orラジオ観戦を
するのだ。

ゴールデンウィーク辺りに
開催された
甲子園球場での
対巨人戦で

劇的なサヨナラ勝ちを
収めた時には

興奮した父が
住んでいた公団住宅の
4階のベランダから

六甲おろしを唄いながら
買ったばかりのフラッグを
振り回していた。

今なら確実に
通報レベルである。

この時でも
奇人扱いでは
あったであろう。

そしてこの日を境に
タイガースが勝利をすると

祝日の日に掲げる
国旗の如く

タイガースのフラッグを
ベランダから掲揚する
儀式まで定着した。

男は本当に秘密基地的な
モノが好きなんだと思う。

まさに男2人だけの
戦いと憩いの場だ。

そしてそんな我々を
いつも横目で見ていた
母の顔は

喜怒哀楽の
喜と楽を抜いた様な
諦め顔であった。



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