熊谷建太郎って何者?(小~中学生編)
どうも。夜勤明けです。
ハイになったテンションのやけくそでこの記事を書いてます。
どうぞよろしく。
これからざっくりと熊谷の生い立ちを
書いていこうと思います。
熊谷がいかにして野球と出会い
なぜ富良野に来たのかを
何パートかに分けて紹介したいと思います。
今回は小~中学生編です。
それでは、どうぞ。
※サムネは大人になった熊谷です。
子供のころはもっとかわいらしかったはずです。
あと、最初からチンギスハンではないです。
あしからず。
小学生の熊谷
~「アホな子」~
小学生の熊谷少年を表すなら「アホ」という言葉が最適だろう。
…今もだろってツッコミは置いといて。
校外学習で立ち入り禁止の所にふらっと入る
逆上がりの練習中に怖くなって手を放したら
頭から落ちて5針も縫う大けがをする
学童保育所からの帰りに家まであと少しの所で
ランドセルを忘れたことに気づく
などなど…
幼いころから奇行エピソードには事欠かない。
そんな熊谷少年が野球に出会ったのは小学校6年生のことである。
~日本シリーズ~
ある日のこと、祖父母の家でテレビを見ていると野球中継が流れていた。
白地に青い文字の書かれたユニフォームのチームと
黒地に白い文字の書かれたユニフォームのチームが戦っていた。
その試合は夜遅くまでやっていて
すごい盛り上がりだったのを覚えている。
2010年11月6日 日本シリーズ
中日ドラゴンズ対千葉ロッテマリーンズ 第6戦
延長15回まで激戦が繰り広げられ、後にNPBの延長戦のルールを
見直すきっかけともなった、あの試合である。
当時は野球のルールなんてわからなかったけど
会場の盛り上がりやプレーする選手の姿を見て
漠然と「かっこいい」と感じた。
この試合ですっかり野球に魅入られてしまった
熊谷少年。
「野球をやってみたい」気持ちにかられるのだが
ここでヘタレ属性が顔を出す。
「うちの小学校の野球チームのコーチは怖い。」
と、周りから伝え聞いていたためびびって入団拒否。
小学校卒業も近かったため、切りよく中学生から
始めようと逃げ腰の熊谷少年なのであった…
中学生の熊谷
~晴れて野球部員に~
中学生になった熊谷少年。
いよいよ本格的に野球を始める。
部活動体験初日。仮入部届を手にして意気揚々と
向かった先は体育館。
入部先は「男子バスケットボール部」!!
・・・ん?
部活動体験初日、入部先は
「男子バスケットボール部」である。
これには訳があり、当時一緒の小学校から
進学してきた男子全員がバスケ部に入部希望
だったため、熊谷も一日だけバスケ部に入部した。
名も知らぬ先輩から教わったレイアップシュートを
引っさげ改めて、意気揚々と
翌日から軟式野球部に加わった。
始めた当初はサードがやりたかった熊谷少年。
しかし、ノックを受ければ基本エラー。
たまに捕っても投げれば暴投。
「初心者に内野は無理だ。」と
名も知らぬ同級生に吐き捨てられ
泣く泣く外野の練習へ向かうのであった。
ちなみに「初心者に内野は無理だ。」と吐き捨てた
名も知らぬ同級生とは、後に家が近所だと知り
中学卒業後も飲みに行ったり野球観戦に行ったりと
今では家族ぐるみで仲がいい、唯一無二の親友に
なっていたりする。
…本人が吐き捨てた記憶があるかは不明だが。
~まさかの副主将に~
中学最初の1年を基本の「き」の字の一画目を
書き終えるのに費やした熊谷少年。
先輩たちも卒部し晴れて自分たちの代となった…
が、別にレギュラーでも何でもない熊谷は特に
気構えをすることもなく中学二年生を迎えた。
野球よりもゲーセンでガンダムのゲームに
精を出すことを覚えてしまった熊谷少年は
練習も勉強も疎かになっていた。
それは熊谷だけでなく、すべての中学二年生に
当てはまることであって
周りの他の人間たちも、野球よりも遊びが
大切だったはずである。
「中学二年生」とは、そんな生き物である。
そんなある日のミーティングでのことだった。
当時の主将から副主将に任命されたのだ。
理由は、副主将の一人の野球に対する
姿勢が芳しくなく
お灸をすえる意味合いで副主将を解任する
というものだった。
彼は中学二年の初めに関西から引っ越してきていて
人柄もよく、ユーモアがあって
すぐに周りとも打ち解けていた。
当時のポジションはショート。
強肩でショート守備にも華があった。
(様に当時は見えていた。)
そんな彼も、中学二年生。
お遊びしたい気持ちもわかるが
少々やりすぎたようだ。
とはいえ副主将なんて勤まるほど
できた人間ではない熊谷。
突然の副主将就任に何をすればいいのかと
戸惑っていたが
結局やることも特になく、名ばかり副主将として
時が過ぎていった。
しまいには某日に行われた全校朝礼。
市民大会で3位になった表彰が行われ
主将と副主将が記念品を受け取るのだが
何故か受け取ったのは主将と前副主将。
熊谷が副主将であることは完全に
忘れられていたのである。
記憶が確かなら、まだ肌寒さの残る3月。
身も心もちょっぴり寒さを感じた熊谷少年だった。
~ノーヒットで卒業へ~
幼いころから、物事が長く続かなかった熊谷少年。
しかし不思議と野球だけは続けられた。
母が将来を気にして入会してくれた通信教育の
教材を一週間も続けられなかった人間が
自発的に始めた野球を
2年間続けたのだから大したものである。
そんな野球も始めてから3年目。
中学野球最後の年を迎える。
日々の練習も、週末の試合も
すべてが楽しかったが、結果だけが出なかった。
自分の背丈より高い球も飛び掛かって打ちに行く。
来る球すべてがストライクだと思って
いつでもフルスイングする
「超積極打法」で打ち出の小づちのように
空振り三振を量産。
ジョーイ・ギャロもびっくりである。
上記リンクのギャロのように長打もある
ロマン砲ならよかったのだが
ホームランどころかヒットも出ない。
ギャロは選球眼もよく、四球も選べるが
熊谷は四球もめったに選ばない。
なぜギャロを引き合いに出したのか
今すぐ謝った方がいい。
ごめんなさい。
そんな訳で中学通算ヒット0本。
あげく公式戦出場なし。
しかししれっと2盗塁だけ決めて、熊谷少年の
中学野球は引退を迎えるのである。
これだけ散々な結果でも野球の楽しさは
忘れなかった熊谷少年。
高校でも野球を続けようと思うのだが
「高校野球」というものが
どれだけ過酷なのかを知るのは
もう少し先のお話。
なお勉強をおろそかにした結果
進学には苦労した模様。
まとめるほどでもないまとめ
まとめたら2,500文字超にもなってしまいました。
ここまで読んでくれた画面の向こうのアナタ。
目が疲れたでしょう?
今日はゆっくり休んでください。
ラッキーアイテムは
「クマちゃんのぬいぐるみ」です。
ではでは…
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