息子の作業服~誰かの居場所になれるように~
我が家の長男、独身。両親に似ず、家ではほとんどしゃべらない。
「洗濯機回してるから、後で干しといて。」
とボソッと言って、いつものように朝8時過ぎに仕事に行った。2週間、休みなしである。農機具の販売をしているので、農繁期の今は忙しい。
洗濯機に入っていたつなぎをベランダに干す。でかいので、引きずらないように気を付けないと。いつもの作業服だけでなくつなぎを洗濯に出すときは、機械の修理か、農作業の手伝いか、たぶんその両方の仕事をしたんだろうな~と想像する。
息子の作業服を干すとき、私はいつも心の中で「神様または仏様、ありがとうございます。」とつぶやく。ふだん全然信心などしないくせに、勝手な話で、しかもごちゃまぜ。まじめに信仰している方が読んだら、気を悪くされることだろう。すみません・・。でも、けっこう真剣につぶやいている。
10年ほど前、息子が引きこもってしまった3年間(浪人していた時を数えると5年間)、私にとってはけっこうキツイ時間だった。子どもを育てるのに後悔することがない親などいない。家でも外でも変わらず明るく振舞っていたけれども、一人になるとやはり考え込んでしまう。受験の失敗だけが引きこもりの原因ではないだろうと思ったのだ。
「私が忙しすぎて、自分の子供はほったらかしだったからなあ。」
「家事も下手で、食事もいい加減だったからなあ。」
「何よりあかんのは、自分がしんどいからって、家で子供に当たり散らしたこと。こういうのが積み重なって、自己肯定感の低い子にしてしまったかもしれないよなあ。」
私はわりと物事を合理的に考える方だ。「言っても仕方がないことは言わない。解決に結びつかないことはスパッと切り捨て、別の道をさがす。」というのが自分の長所だろうと思う。しかし、この時はやはり自分を責める考えから逃れられなかった。
結局、息子は遠い県の農業大学校に入学し、そこで無事2年間を過ごした後、今の会社に就職できた。農大では、早朝に雪かきをしてからビニールハウスで作業をする日々。本人いわく「長年引きこもっとった体にはキツかったで。」5歳年下の同級生も、先生や寮母さんも、皆が温かく接してくださったことが、めったにしゃべらない息子の断片的な話の端々から伝わってきた。拝みたい気持ちになるほど、ありがたかった。
作業服を干しながら、そんなことを思い出す。私はいい親ではなかったと思う。でも息子が一番しんどい時、何も言わず、必ず立ち直ると信じ、笑って待つことができたのは、自分でも最高の対応だったのではないだろうか。
最後に・・・
引きこもっていた間も、土曜日の晩だけは遅くまで出かけていたけれど、相手は誰だったのだろう。本人はゲームやカラオケをしていたというが、本当に数少ない友人が、親にはできない支え方をしてくれていたことに感謝したい。
若い人が自分の命を絶つニュースに接すると、涙が出る。批判的に見る人も、もちろんいるだろう。
「そんなことぐらいで、なぜ死ぬの?もっと厳しい境遇でもがんばっている人はたくさんいるのに。生きていればいいこともあるのに。」
その言葉は正しいかもしれないが、絶望の中にいる人の心には全くひびかないだろう。絶望の中にいる人はみんな、明日を考えることなどもうできなくなってしまうのだ。そんなとき、人や自分を傷つけることなく、戻ってくる力をくれる「居場所」が1か所でもあれば・・・。息子にあったような居場所が、今苦しんでいる人にもそれぞれにあれば・・・と、願う。