第三章 伯父がペンでペンギンを書いたら、翌日それが冷蔵庫の中に入っていた。
伯父は文字ではありません。伯父は人間です。ここで、「伯父は文字だ。文字通りに」と言い切ってしまうと、言葉遊びの領域を超えてオヤジギャグになってしまいますからね。
何よりもハミルちゃんは、「伯父」という言葉よりも、「おじさん」という言葉の響きのほうを好んでいました。……ひらがなで「おじさん」と言ってしまうと、子供っぽさを感じてしまいます。何よりもハミルちゃんが渋谷の松涛の公園で双子の宇宙人と出会ってから、十年の月日が経っています。今の彼女は二十歳の女性です。宇宙人に出会える夢見がちなお年頃は、とうの昔に卒業しているのです。……それでも彼女は、「おじさん」という言葉の響きが好きでした。子供っぽさはネガティヴにならなくて、寧ろ、あたたかみのあるポジティヴな思いに変わっていく。彼女は二十歳になっても、そのような思いを抱いていたのです。
話は変わりますが、今、彼女は『テディベア・カウンセラー』というタイトルの本を手にしています。それは自費出版された私家本です。薄い本ではありません。そういうものに興味を抱くお年頃になっていましたが、そういうものは秘めたままのほうがいい、という良識を彼女は持ち合わせていました。何よりも、その本には官能よりも理性に訴えかける物語が紡がれていました。かわいい生活雑貨のような佇まいが、その本にありました。だから彼女は、安心して、その本の頁をめくったのです。その本は、彼女のおじさんが作ったのです。
――マホガニーやオークと呼ばれる樹の質感を大切にした家具は、若干の重みを感じるかもしれないが、深読みを試みると、英国の深部に存在する森を散策するようなロマンティックな幻想を抱かせてくれる。このような格調高い空間で扱う調度品……例えるならば、花と蝶の意匠で飾られたティー・カップや、フォリーと呼ばれる特別な釜で焼かれた陶磁器こそが、森の中に隠れている妖精に変化していくのだよ――
冒頭の文章を読む限りだと、この本はファンタジーをテーマにした小説なのかな、と彼女は思いました。ファンタジーと言えばラノベやアニメのようなものがパッと思いつくのですが、彼女にとっては、双子の宇宙人と出会ったあとで夢中になって読み耽った海外のYA文学小説が、ファンタジーに結び付きました。J・K・ローリングやステファニー・メイヤーという人気YA作家でなくて、 フランチェスカ・リア・ブロックというマニアックな作家の小説が、彼女のお気に入りでした。……おじさんの小説も、そんな感じになるのかな? ……そんなことを思い始めた彼女に向かって、後述の文章が否応もなく襲いかかったのです。
――僕は、この喫茶店の、たった一人のお客さんだった。実はね、僕は今日、初めて、高校をサボったんだ――
「……えっ? 急にダサい文章になっている……」
そう簡単に、世界は自分の望む姿に変わってくれません。彼女は、もう自分は大人だから、とっくの昔に「セカイ系」という言葉の意味を信じることを止めていました。自分のことをリアリストだと思っていました。……そんなことはわかっていても、突然目の前に下手くそな文章が現れたら……自分の美意識が傷つけられたような気がして……下手くそなものに向かって正直に「下手くそ!」という悪口を言ってしまったのです。それが下品な行為だとわかっていても、止めることができなかったのです。
――朝、起きたら、急にそんな気持ちになっていたから……どうしよう、と思い……勇気を出してサボってみたんだ。そうしたら、普段なら見過ごしてしまう町の隅にある何でもない雑居ビルが急に気になって、吸い込まれるように入ってしまった。そして、この喫茶店を見つけたんだ――
「……だから、学校をサボるだけのことを淡々と描写しても、ぜんぜん面白くないって。おじさん、本当に作家なのかな? ひょっとしたら、才能、無いんじゃないのかな……」
彼女がダイニング・ルームで頬杖をつきながら本を眺めていると、扉の向こうから、彼女の祖母が、飲み終わったティー・カップを大事そうに両手で持ちながら、静かに歩いてきました。彼女は両親と祖母と一緒に三世帯住宅で暮らしています。祖母の名前は「ヒミコ」と言います。……どこかで聞いたことのある名前ですね。神々しい面持ちになりながら、祖母は目蓋を臥せます。そして、神の啓示を受けるかのように、自分の内に眠る記憶のひとかけらを拾い上げます。
(孫娘は小さい頃は「ハミルちゃん」と呼ばれていた。私も孫娘と同じ歳頃には「ヒミコちゃん」と呼ばれていた)
(そう言えば、私はハミルちゃんからも「ヒミコちゃん」と呼ばれたことがあった。その時のことを、私は今でも忘れていない)
ヒミコさんは目を開けて、目の前で頬杖をついている二十歳のハミルさんを見つめます。そして、彼女が手にしている、綺麗な色をした本に気づきます。
「あら? ハミル、懐かしい本を読んでいるのね。おばあちゃんも昔、その本を読んだことがあったわ」
いつものように、大学に行く前や帰ってきた後でダイニング・ルームで会話をするように、彼女は祖母に向き合います。
「えっ? この本、お母さんの本棚の端っこに隠されていたのを、わたしが見つけたんだよ。お母さんに聞いたら『おじさんの書いた小説』だって言っていた。おばあちゃんのお部屋にも同じものがあるの? ……ってことは、二冊あるってこと?」
彼女の子供っぽい仕草に、祖母は微笑みながら答えます。
「あの子は『百冊分は作った』と言ってたわね。お金を貯めて、印刷屋さんと相談したそうよ。そして母親の私や、あの子の弟……つまり、ハミルのお父さんに、無償でプレゼントしてくれたのね」
祖母の言葉を聞きながら、彼女は「血は水よりも濃い」ということわざを思い出します。……でも、「このことわざを教えてくれたのは誰?」というところにまで考えが及んでしまい、頭の中がぐるぐると回っていったのです。
「あの子って……おじさんのことかな? つまり、おばあちゃんの子供で、わたしのお父さんのお兄さん……になるんだよね?」
間髪入れずに「言うだけ野暮」という慣用句が突っ込みます。
「そうよ。『マサユキ伯父さん』と言うのよ」
そうしたら、「野暮」という言葉は「思慕」という言葉に変わっていったのです。
「『マサユキ』って言うんだ! 確か、小説に登場する男の子の名前も『マサユキ』だったよ。……ってことは……」
そうです。彼女の言う通りです。「思慕」という言葉は「シフォンケーキ」に包まれていきます。それを食べれば、リテラシー能力が高まるのです。
「これは、『マサユキの生きた証』なのよ」
……でも、「良薬口に苦し」だったようですね……。
「おばあちゃん、何言ってんのか、わかんないよ! 『生きた証』って……何か凄いことを言ってるような気がする……」
そのあとでようやく、彼女は気づきます。そこには、言葉を覚えたばかりの子供が、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」を独学している趣があったのです。そして彼女は、祖母と共に、異世界のような森の中で言葉の内に神を見出だすメソッドを学んだことを思い出したのです。……敬虔な気持ちになりながら、彼女は、祖母の言葉に耳を傾けます。
「マサユキは高校生の頃に学校をサボったのよ。せっかく進学校に入学したのに、学校に行くふりをして図書館にこっそりと寄り道しては本を読んだり、お小遣いをやりくりして映画を観ていたそうよ。私は全てお見通しだった。こっぴどく叱ってやったわ。……あの子、大人になっても、その時のことを忘れてなかったのね」
彼女は全てを理解しました。祖母はもう一度微笑み、キッチン・シンクでティー・カップを丁寧に洗い終えてから、踵を返しました。祖母と入れ替わるように彼女の息子が……つまり孫娘の父親が、ダイニング・ルームに入室します。祖母と息子は、すれ違いざまに距離を縮めるように、言葉を交わしました。
「あら? キヨハル、家に居たのね。今日は仕事じゃなかったのね」
「母さん、おはよう。うちの会社は土日が書き入れ時だから、平日は休みなんだよ」
前述の台詞を言い終わったあとで、息子はスーパーサイヤ人のように豹変して攻撃を仕掛けました。
「それよりも、母さんは毎日休んでいるようなものだから、ぼけないように何かやったほうがいいんじゃないかな?」
しかし祖母は少年ジャンプのパワーインフレ問題に鋭く言及したのです。
「生意気なことを言うわね。貴方が巣立ちするまで、私はさんざんと働いてきたのよ。だから余生くらい、私の好きなようにさせてくださいな」
話の腰は折られてしまい、言葉は歩行不能になってしまいました。
「わかったよ。……でもさ、『この親にして、この子あり』という言葉は忘れちゃダメだからね。それがオオタ家の家風になるんだ!」
祖母は倒れた息子の上に馬乗りになり、グレイシー柔術スタイルの顔面パンチを放ちます!
「勝手に家風を決めないで!」
勝負はつきました。豆鉄砲を食らった鳩のような息子の顔を見つめながら、「でも、今の若い子は豆鉄砲のことを知っているのかしら?」という思いに至りながらも、祖母は孫娘のほうに視線を移します。「大丈夫よ。孫娘は豆鉄砲に興味を示してくれる。インターネットを駆使して、『古きを温ねて新しきを知る』を実践するでしょう」 ……前述の前向きな思いが湧き上がっていくの感じながら、祖母は孫娘に話しかけました。
「じゃあね、ハミルちゃん。おばあちゃんは部屋に戻ってアメリカのお友達とSNSでお喋りしてくるから、あとは生意気なパパのお相手を宜しくね」
残念ながら、反応したのは孫娘ではなくて息子のほうでした。
「ちょっと待ってよ! 母さん、SNSをやってるの? 初めて知ったよ……」
……違う。突っ込むところは、そこじゃない。
「お父さんの情弱!」
あとはわたしに任せて! と言わんばかりに、娘は父親に追い討ちをかけます。
「なんだよ! ハミルまで母さ……おばあちゃんの味方になって父さんを苛めるんだな! ……と言うか、なんでハミルも家に居るんだ? 大学、ちゃんと行っているのか? サボってないだろうな?」
父親は娘の攻撃を余裕でかわしました。それでも娘は攻撃を止めません。恋を覚えたばかりの女の子のように、大胆にアタックしていきます!
「わたしは『マサユキくんのように高校をサボって喫茶店に住み込む』なんてことはしないよ!」
失言しましたね。父親は娘の甘さを見逃しません。
「はぁ? 何を訳のわからないことを言ってるんだ! ……と言うか、ハミル、その本は……」
たった一冊の本が空気を変えていきます。今の時代は、紙の本よりもスマホで電子書籍を読むことのほうが流行っています。それでも、電子書籍よりもニュースサイトの扇情的な見出しのほうがユーザーに受けてしまう時代でもあるのです。「事実は小説より奇なり」の慣用句が活き活きと躍動していきます。ユーチューバーが大人になったらなりたい職業の上位に食い込みます。前述状況を現状認識として把握しながらも、それでも時代遅れと化した本は、今の時代を象徴するリノベーション・マンションの一室の空気を変えようとしたのです。……彼女は「古きを温ねて新しきを知る」の意味を彼女なりに理解した上で、メッセージを伝えました。
「おじさんは小説が書けるんだね。アーティスト気質だなと思った。お父さんも、頭が固くならないように何かやったほうがいんじゃないかな。働いてばっかりだと、おじいちゃんになった時に余生がつまらなくなっちゃうからね」
空気が変わっていくのと同じタイミングで、父親の顔色も変っていきます。
「……あんな奴の話はするな!」
論破したと思ったのですが、知らない間に言葉に溺れてしまったようですね。
「どうして怒るの? お父さんとおじさんって兄弟でしょう? 『血は水よりも濃い』って言うんじゃないの?」
必死に抵抗したのですが、相手は何度も死線を越えたことがある企業戦士です。全く効果がありません。
「どこで、そんな言葉を覚えたんだ? ハミルは若いんだ。古臭い言葉を使っていると、未来が見えなくなるぞ!」
威厳という名のアブソリュート・テラー・フィールドが身体中の穴という穴から滲み出ていきます。父親にだけ許された行為が、一子相伝の儀式ように、娘に授けられます。
「『血』なんて、どうでもいいことなんだ。父さんは『リアリスト』で『インディヴィジュアリスト』だ。そのことは、ハミルにも教えてあげただろう? それが、オオタ家の家風に繋がるんだ!」
娘は反抗期という名の最終兵器を作動させます。ドント・トラスト・オーヴァー・サーティー。
「『勝手に家風を決めるな』って、おばあちゃんに言われたばかりじゃない!」
エリ・エリ・レマ・サバクタニ。封印された虐殺の文法が拡散し始めました。
「うるさい! 口ごたえしないで、父さんの話を最後まで聞きなさい! おじさんが何をしようが、おじさん個人の『インディヴィジュアリズム』の範疇で終わることは、オオタ家には一切、関係のないことなんだ。ハミルは、そのことだけを理解しなさい!」
デウス・スィウェ・ナトゥラ。前述のポルトガル語に「古きを温ねて新しきを知る」の新解釈が加味されていきます。
「わたし、おじさんの小説に興味があるよ。おばあちゃんの話を聞いたら、もっと興味が出てきた。だからわたしは、わたしの『インディヴィジュアリズム』の範疇で、おじさんに近づくからね!」
発想の飛躍も大胆な仮説も保守的な思考を受け入れることはありません。「連句」という文芸は、「五・七・五」の音韻で構成される「長句」と、「七・七」の音韻の「短句」を、連想ゲームのように言葉を繋げていく知的ゲームでもあるのですが、保守的な思考は論点が多岐に渡ることを恐れて、「連句」を否定したのです。思考はぶれないほうがいい。前述の「ぶれない」という言葉が「リアリスト」と「インディヴィジュアリスト」の武器となり、逆にフレキシブルな対応が不得手となる弱点を露呈したのです。……父親が前述の概念を体現しました。彼の言葉の裏面には偏執的な病理が巣食っていたのです。
「ダメだ! おじさんの小説の中に、こんな文章がある……。
――苦しんでいる、と思った。そう言えば、お母さんは、「空にお日さまが昇れば、わたし達の心の中にあたたかい光が射し込むから、にこにこ、することができる」って、僕が子供だった頃に話してくれたな。……ガッシュおじさんの詩を聴いて、お母さんの言葉を思い出した。おじさんは、にこにこ、していない……。夜明けになって、お日さまが昇って、心の中がほっとしても、すぐに忘れてしまう。どうしてなのかな――
……俺はこれが嫌なんだ! 兄ちゃんの甘さが文章から伝わってきて、物凄くムカつくんだ! ハミルは、こんな風に育って欲しくない!」
「えっ? わたしは、その文章はいいなぁ、って思ったんだけど……」
彼女はそこまで言いかけて、二の句を飲み込みました。そして、おじさんの小説に書かれている「マサユキくん」のように、括弧付きのモノローグで、相手が何を考えているのかを自分なりに考えて列記することにしました。
(なんだかんだ言って、お父さん、おじさんの小説を読んでいるよね)
(好きという気持ちが裏返っただけじゃないのかな)
(小説に登場するマサユキくんがリアルなおじさんなら、この文章に登場するガッシュおじさんがお父さんになるのかもしれない)
(それがコンプレックスに変わっていったのかもしれない)
前述のモノローグに父親が豹変した謎が隠されている、と彼女は思いました。それと並行するように、ここで簡単に謎と言い切っていいのか、というオルタナティヴな思いも付随してしまったのです。寧ろそこには、簡単に触れてはいけない聖域のようなものが……中学二年生の自由奔放な想像力が生み出した異形のものが、蠢いていたのです。
「ちょっと、あんたたち! アンタッチャブルなことしてブルブル震えないでよ!」
突然! ガバチョという音を立ててガウチョを纏い突撃するヒューマンが現れました!
「……お母さん、いきなり意味不明なんだけど……」
それはまるで、小堺一機とラビット関根が意味ねぇと叫ぶ昭和の趣がありました。
「なによ! 二人ともケンカしていたのに、息をあわせて突っ込まないでよ! ……と言うか、せっかくの親子水入らずで悪いんだけど、こんな時は思いっきり水をぶっかけてあげるから、水もしたたるいい親子になって加水分解されて溶けて流れりゃ皆同じになってね!」
それはまるで、女性性とシャーマニズムがカクテル・シェイカーで混ぜ合わされたジェンダー・パニックな趣がありました。
「……俺、お前と結婚して間違ったなと、いつも思うよ……」
そうしたら、男性性は人間の限界を露呈して、神がかった女性性を否定したのです。
「ひどーい! お母さんはお喋りなだけなの! ちょっと言葉のセンスがなくて、カエルさんの脊髄反射みたいになっちゃうけどね」
大丈夫です。女性性は母から娘に受け継がれていきます。右傾化した椎名林檎が歌う歌舞伎町の女王のように、アジテートは一子相伝されたのです。
「蛙の解剖はポリティカル・コレクトネスに反するだろう。女の子なんだから、暴力的なことを言うのは控えなさい」
父親は言いました。お前、まだまだ青いぞ、と。
「『水曜日のカンパネラ』のコムアイさんは、鹿の解体をやってるよ。わたし、コムアイさん大好き!」
子供は言いました。あんた、似たようなもんやで、と。
「……と言うか、私と貴方は『男は度胸、女は愛嬌』というジェンダーの約束を破ってお互いに多様性を認め合ったから結婚したんだよね? ハミルが生まれてこんなに大きく育ったのに、親の貴方がここで思想転向したら『老害』と呼ばれて『ソイレント・グリーン』のように処分されてしまうわよ。貴方はマゾヒストだったのね」
そしてまた、追いつ追われつのこたつ内紛争は繰り返されて、最後に父親は威厳を示しました。ただそれだけのこと、です。それを林マキバージョンで聴くか、八代亜紀バージョンで聴くかは、貴方の未来は私のものと告げているレイ・ホシコに相談したほうがいいでしょう。
「いい加減にポエトリー・リーディングごっこは止めろ! 俺は疲れている。休みの日くらい、疲れを癒すものが欲しい。お前の言葉遊びに付き合っている暇は無いんだよ!」
あら、そうなの? デベソなの? それともデ・ラ・ソウル?
「泣き言は言わないでよ。そんなに自意識にたわむれていたいのなら、親ぶって子供なんかに構っていないで、錻力の太鼓のオスカルのように幼児退行すればいいのよ。そうすれば、貴方の頭の中はお花畑になって痛みなんか溶けて無くなるよ。今の貴方は怒り過ぎてアドレナリンが増え過ぎてトリップして自分自身がコントロールできなくなってるだけなんだよ……」
ウッ! ドーン! (Ugh! Doom!) トーマス・ガブリエル・ウォリアー、息の根を止めるわよ!
「……つまりさ、こうすればいいんじゃない! ハミル、その本を私に渡して!」
Circle of the tyrants. The power of man, for none of woman born, shall harm Macbeth. Despair thy charm. Macduff was from his mother's womb, untimely ripp'd.
「えっ?」
Helter Skelter means confusion.
お母さんは『テディベア・カウンセラー』の本を鷲掴みにしました。
「貴方は、お兄さんに向き合わなければいけないんじゃないかな。いつまでも無視したり見下したりなんかしないで、オルタナティヴな解決方法を見出だすべきなんだよ。北朝鮮と韓国が和解するように、『ロケットマン』と『ドタルド』でディスっていたのが『リスペクト』に変わるように、貴方も変わらないとね!」
임진강 하늘 높이 무지개 서는 날
イムジン河の空は遠い。虹よ、掛かっておくれ。
「……否、でも、俺は違う。……何て言うか、その……」
花無心招蝶 蝶無心尋花 花開時蝶来 蝶来時花開
なにかに寄り添うことなく、可能な限り、あなたで埋め尽くしてほしい。
「キヨハル、貴方には貴方の『テディベア・カウンセラー』が必要なんだよ。……ほら、ハミルが生まれる前に、私と一緒になる前に、『俺は昔、パンク・バンドをやっていたんだ』と言っていたじゃない? それって『爽やかな青春ビートパンク』だったよね? それを今、やればいいんだよ! 今日はお休みなんだから、今から練習スタジオに行ってギターを弾けばいいじゃない!」
หนุมานเป็นอวตารปางหนึ่งขององค์พระอิศวร
仏様を大切にしろ。大切にしない奴は死ぬべきだ。
「馬鹿! 黙っていろ! そのことをハミルが知ったら、父親の威厳が……」
मैं एक मुस्लिम, एक हिंदू, एक ईसाई, एक यहूदी, और आप सभी हैं।
それが厭なら印度の山奥で修行すればいい。そうすれば提婆達多の魂を宿すだろう。
「私は馬鹿じゃないわ。貴方が隠していたことを、私は正直に言っただけ。そのことを馬鹿扱いするなら、貴方は馬と鹿の区別がつかないくらいに認知力が劣えた二十一世紀のスキッツォイドマンだと思われるわよ」
عَبَسَ وَتَوَلَّىٰ أَن جَاءَهُ الْأَعْمَىٰ وَمَا يُدْرِيكَ لَعَلَّهُ يَزَّكَّىٰ
預言者は眉をひそめて顔を背けた。 盲人が彼の下に訪れたからだ。然し、彼に何が解るのだろうか? 盲人は浄められる存在かもしれないのだ。
「お父さん、バンドをやっていたの? 凄いじゃん! おじさんの小説にぜんぜん負けてないって!」
(Fuck) (못쓰게 만들다) (他媽的) (พิลึก) (शापित) (مارس الجنس)
「……嗚呼! わかったよ! 今日はこれぐらいにしといたるわ!」
それは、鳥になれなかった鳥のように見えました。言葉にならない声が、存在理由がわからなくてもその存在を認めてしまう人間の抽象的思考力が、自分自身を自傷していきます。腐っている果実なら躊躇なく捨てるのに、腐っても鯛という言葉に惑わされてしまうようなものです。
「あら? 池乃めだかさんの言葉を引用するのね。基本に忠実にボケるのね。見直したわ」
それでも、彼女は寛容でした。彼女の優しさは女性性の象徴となり、彼女が示す哀れみは女性性を際立たせるスパイスのような効果をもたらしたのです。……すると、男性性の象徴がデス声で笑いました。鼻が曲がるような臭いが、男性性が密集する部位から漂ってきたのです。
「……お父さんとお母さん、どうしたの? 見つめ合ったまま、固まってるよ……」
子供は、電信柱の陰に隠れて凝視する星飛雄馬の姉の明子のように、両親を見つめています。それでも、電信柱を東京から無くそうとしている都知事のお蔭で、恥ずかしがり屋の日本人はパラダイム・シフトを余儀無くされるのですが、ついうっかりとパラダイス・ロストを実行してしまったのです。
「……ハミル、こういうことだよ!」
パターナリズムの上にバターをたっぷりと塗ってから、父親は破顔しました。それは、顔面崩壊と言われてもおかしくないくらいの笑顔でした。その後で、娘から母親に手渡された『テディベア・カウンセラー』が、父親の大きな手に奪い取られたのです。
「お父さんは、お父さんの『テディベア・カウンセラー』をやるからな! ……違う。お父さんがやるのは『ノンポリシーズ』という名前のエモーショナル・ハードコアなパンク・バンドだ。それは洋楽の真似でもJポップでもない。EDMにも走らない。保守でもリベラルでもない中道の意味を持つ『ノンポリシー』という言葉に『雑色的なミクスチャー・ロック』という新解釈を加味する。堅苦しく考えるな。そこでは多様性が臨界状態になっている。そして、爆発するんだ! ……ハミルはおじさんに興味を示したが、お父さんのことも気になって仕方がないくらいに夢中になるはずさ! いいか! 期待してろよ!」
父親は、見えない自由が欲しくて見えない銃を撃ちまくりました。結果的に簡単に自由を得ることができたので、人を殺すことなどできはしない優しい言葉の弾丸が入った銃を、懐に仕舞いました。彼は顔面崩壊の笑顔のままで、昔のクールな面持ちに戻ることを忘れて、遊び疲れた子供のような足取りで去っていきました。……彼が去った跡にはぺんぺん草が一本も生えていなかった……訳ではありません。実は部屋の片隅に置いてある観葉植物の鉢に、ちょこんとナズナが生えていたのです。可愛いお花のプレゼントを添えた状態で。
「……お父さん、おじさんに嫉妬していたの?」
娘は、つぶらな瞳を輝かせて、父親を憐れみました。
「シンプルに悔しかったんだろうね。それが自分の中に溜まっていたネガティヴな心の断片に反応して、ルサンチマンが生成されたんだよ。……ごめんね。驚いたでしょう? 子供の前であんな姿を見せたら親失格なんだけどね……」
母親は、浮世離れしたポエトリー・リーディング・ラッパーの仮面を外して、お肌の曲がり角なんか気にしないで、素直に答えました。
「大丈夫だよ。いつもはクールなお父さんが、あそこまで豹変したのって初めて見た。何て言うか、かえって安心したよ。人間臭いなと思った」
この優しさは偽善ではありません。それは、残酷なまでに生々しい優しさだったのです。
「ねえ、お母さん。おじさんって何者なの? お父さんがずっと意識しているのなら、それだけ、お父さんとおじさんの間に何かがあった、ってことでしょ?」
残酷さと美しさが同居した少女のように、娘は尋ねました。
「お父さんがおじさんのことを嫌っているのは、おじさんがずっと自分の好きなことをしていたから、だと思う。逆にお父さんは、結婚してからは仕事に専念して、好きな音楽から遠ざかっていたからね」
昔は少女を演じたことがある母親は、今は美しさの拘りを捨てて、心が軽くなった状態で返答しました。
「おじさん、凄いね! 好きなことを仕事にして暮らしてるんだ!」
つぶらな瞳は、「夢を叶えた」というソースコードが組み込まれた呪文によって、より一層に瞳を膨らませました。
「否、成功はしていないと思う。『生活保護を受ける』という連絡が来たからね……」
残念でしたね。魔法の呪文は異端の審問にかけられてしまいました。前述の行為を甘んずることによって、夢は、本来備えているはずの夢であり続ける機能を喪失してしまったのです。
「……じゃあ、今、おじさんは……」
それでも夢は諦めきれずに、口腔内に残る夢の後味を、丹念に噛み締めていたのです……。
「音信不通だね……」
――『ねえ。むかしのげーむは、きまったすてーじこうせい、だけじゃなかったんだよ。じょうけんを、くりあ、しないとあらわれない、かくしすてーじ、もあったんだ』 僕は、気がついた。(喫茶店の隠し扉の向こう側は、隠しステージに繋がっている)(僕の謎を解くヒントが、隠しステージに隠されているかもしれない) 突然、幼い頃に遊んだ記憶がある、ファミコン・ゲームのBGMが聴こえてきた。(タラッタ♪ タタッ♪ タン♪)『さあ! ひみつのかくしあいてむを、さがしにいこーよ、まさゆき!』 くまちゃんは、扉を開けた。僕は、くまちゃんと一緒に、扉の向こう側に行くための小さな一歩を踏み出した――
「お母さんはね、『テディベア・カウンセラー』の中では、この一節が一番好きなんだ」
ポエトリー・リーディング・ラッパーがナチュラルな語り口で話しかけました。
「どうしたの? いきなり読み聞かせなんか始めたりして……」
若いオーディエンスは豆鉄砲を食らった鳩のような顔になりました。そして豆鉄砲のリリックの意味がわからなくて、くすくすと笑い始めたのです。
「あら? ハミルは小さな頃から絵本の読み聞かせが好きだったじゃない? 『エドワード・ゴーリー』や『ガブリエル・バンサン』がお気に入りだったよね。しかも『くまのアーネストおじさん』よりも『アンジュール』が好きな変わった子だったね」
ラッパーが言葉を畳み掛けていきます。言葉と言葉はミルフィーユのように重なり合い化学変化で特殊な分泌物を生成して、オーディエンスを思考中毒に陥れたのです。
「えー、なんかそれって、ちっちゃな頃から『不思議ちゃんのゴスっ娘』って言われてる気がする……」
オーディエンスはコール・アンド・レスポンスを試みましたが、それは自問自答に変質していきました。
「そのほうがいいのよ。『地下アイドル』とか『ラディカル・フェミニスト』と呼ばれるよりは、そのほうが今の時代に優しいからね。お母さんだって『ポエトリー・リーディング・ラッパー』と呼ばれているしね」
リリックが説教臭くなりましたが、「マジに親感謝」は説教を超えたクラシック・リリックだったので、逆にオーディエンスは喜んでしまいました。
「サブカル万歳だね」
マジという言葉はマンジと読む記号に誤認識されて、更に第二次世界大戦の枢軸国のシンボルへと疑義が深まっていったので、遂にポリティカル・コレクトネスの警告が発せられてしまいました。
「ハミル、そのような言葉を使ってはいけません。バンザイ・クリフで亡くなられた方々が悲しみますよ」
今の時代は、マイノリティとソーシャル・ヴァルナブルに優しい時代ですからね。
「……ごめんなさい……」
相手が認めてくれるまで、何度も何度も同じ誠意を示して謝罪する。そうすることで、かつての枢軸国はグローバルな信頼を取り戻していったのです。
「それよりも、ハミルが気に入った『テディベア・カウンセラー』の言葉のほうが、お母さんは気になるな。……ねえ、教えてくれないかな?」
戦勝国は敗戦国を受け入れました。「目には目を、歯には歯を」の同害報復は実行しません。勝者が傲慢にならず、敗者を奴隷扱いしなければ、人間は新たなステージに到達するのです。
「えっ? そうだね……お母さんの選んだ言葉に繋げるなら……わたしはこれかな?」
――「うん! その通りよ、マサユキお兄ちゃん。妖精は本当にいるわ。大人は信じることを知らないから、妖精を見つけることができなかったの!」 女の子達は、とびっきりの笑顔で答えてくれた。……そうしたら、紙に描かれた妖精がふっくらと肉付いて、キノコに留められていたピンを弾き飛ばして、一斉に飛び始めたんだ。妖精の群れはそれぞれがハサミやクシを持っていて、くすくす笑う青年に近づいていった。そして、もしゃもしゃした髪を、虹色の服を、思いっきり切り始めたんだ。「俺はポップスターじゃない! 商品ではない! 自由に歌うんだ!」 青年は嬉しそうに笑っていた――
「可愛いね♪」
そだね♪ ソーダレモネード♪
「うん♪ さっきお父さんは『兄ちゃんの小説は言葉が甘い』って言ったけど、でも、小説だもんね。SNSで政治の議論をするのとは違う。なんかね、オブラートの包み方と言うか、スポンジケーキに生クリームや砂糖菓子でデコレーションするのが、おじさん、上手いと思ったよ」
そんなものはつまらない。だって女の子なら、お金持ちでもそうじゃなくても、安くていいものが好き。……前述の台詞は、二十年前にドラッグストアで出会ったシンデレラが残したものです。今のシンデレラは母になり、シンデレラの絵本がスマホのエデュテイメント・アプリで読まれていることを知ると、ほうれい線を恥ずかしがらずに口角を上げて喜びました。……そんな母シンデレラの背後には、祖母の大地母神グレートマザーが、仁王立ちともジョジョ立ちともつかないポーズで立っていたのです。
「私なら、あの子の気持ちが滲み出ている、この文章を選ぶわね」
――でも、やっぱり僕は、この町が好きだ。田舎と呼ばれても、都会的な灰色をしたものが混じっていても、町に残っている自然は気持ちいいからね。小さな頃から好きだったものは、初めての体験でドキドキした気持ちは、成長しても失いたくない。僕の町にも、日本の自然の中にも、イギリスと同じように妖精が隠れているかもしれない。僕は、それを、見つけたい!――
「おばあちゃん! SNSで外国のお友達とお話してたんじゃなかったの?」
その通りです。グレートマザーは、母国語も外来語も適性語も差別しないリベラルなマルチリンガルだったのです。
「Yeah! I will turn into a pumpkin and drive away in my glass slipper!」
そこには、『ローマの休日』を彷彿させる言葉の響きがありました。
「Yes, mom. And that will be the end of the fairy tale.」
そして、時は健やかに流れていきます。オードリー・ヘップバーンは、一九五三年に、二十三歳の美しさを永遠に残しました。グレゴリー・ペックは、一九七六年に、悪魔の落し子を育てていたのです。
「えっ? おばあちゃんとお母さん、何喋ってんの?」
連句という文芸は、五・七・五の音韻の長句と、七・七の音韻の短句を、連想ゲームのように繋げていくものです。しかしそれだけで、シンプルに連想するのだろう、と判断してはいけません。何故なら、そこには「付け」という概念が存在するからです。それは「付かず離れず」という慣用句の原典にもなっています。……話を少し飛躍させて、「シュールレアリスム」という西洋の美術様式について話してみます。そこには「デペイズマン」という概念が存在します。「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の偶発的な出会い」という文章が、その概念の本質を表しています。そこには、意味の繋がらない言語群を意図的に繋げることによって生じる意外性を愉しむ、というような趣が感じ取られます。……話を元に戻すと、「付け」と「デペイズマン」には似ている要素があるということがわかるのですが、何よりも「付け」には、意外性があればそれでいい、というシンプルな解では収まらない複雑性があるのです。
松尾芭蕉は、蕉風という連句(俳諧)の流派を作り、「付け」の概念を発展させた「匂い付け」という新概念を打ち立てました。それは「移り」「響き」「匂い」「位」という四つの大きな付けの様相に分けられて、その下に「有心」「向付」「起情」「会釈」「拍子」「色立」「遁げ句」という七つの付けに対する心がけと、「其人」「其場」「時節」「時分」「天象」「事宜」「観想」「面影」という八つの付けの狙い所に分けられています。そこには、西洋の「デペイズマン」を細分化させた日本独自の味わいがある、と言い換えてもいいでしょう。辻褄が合う合わないの二択の考え方では、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」の文意は読み取れない。辻褄が合うと合わないの間には、微細で多様なグラデーションが流れている。このことを、「付け」の概念が、絶妙なさじ加減で表しています。
前述の思考実験が、三百年前の江戸元禄の時代に、日本国にて執り行われました。それ故に、三百年を経た今の時代は、古き良き「付け」の概念をアップデートしなければならないのです。西洋諸国では、W・S・バロウズの「カットアップ・メソッド」や、J・G・バラードの「濃縮小説」が、「デペイズマン」をアップデートしています。日本国では、古井由吉という純文学の大御所が、「付け」の概念を応用することで物語が大胆に飛躍する小説を書いています。……これで満足してはいけません。更にアップデートしなければならないのです。
「ハミル、貴女が一番若いのだから、もっと勉強しなければいけませんよ」
ハミルちゃんの若さが爆発します。
「お母さんも、おばあちゃんも、キモいよ! ……なんか、二人だけで隠しごとをしているような気がする……」
お母さんが若さをディスります。
「……と言うかハミルは、自分の都合が悪くなると他人のせいにするところが、お父さんのDNAを受け継いでいるよね」
おばあちゃんは若さも母性も衒いなく受け入れていきます。
「二人とも、落ち着きましょうね。まずは、物事の本質というものを考えるべきです。……改めて、ハミルちゃんに聞きますね。貴女は何故、伯父さんの小説に興味を示したのかしら?」
傷つくだけ傷ついて解ったはずの答えを、もう一度、問いかけてみます。
「えっ? ……そーだなぁ、おじさんの小説は、ぱっと見た感じで、本のデザインが綺麗だなと思った。だから、中身が気になったんだ」
Can't you see me standing right here? I.V.(点滴静脈注射)を受けて意識を取り戻すように、お母さんは答えます。
「そーそー、そういうことなのよ! 中身は読まないとわからない。精読したら下手な小説だということがバレてしまう。読書好きをこじらせて、小説の作法的に云々、とディスってしまう。……でも、そんなことはどーでもいいのよ! おじさんの小説は『本』だったから、自費出版で手に取って触れることのできる『紙の本』だったから、功を奏したんだよ!」
Born to be free. We won't surrender. その言葉にどのような意味が隠されているのか? 相手の読解力に委ねず、発話者は言葉に言葉を重ねて丁寧に伝えていきます。
「勿論、身贔屓と言われるのは覚悟している。私達は親族だからね。でも、疎遠になっているミステリアスな親族の限られた情報を解き明かす証拠品が『テディベアを主題にした小説』だったら、どう思われるかな? ……めちゃくちゃインパクトがあるじゃない!」
「極め付きがこれだね! ハミル、この本を最後まで読んだかな? 読んでなかったら、最後の頁を開けてみてよ!」
言われるがままに、ハミルちゃんは頁を繰りました。そうしたら、巻末に葉書が挟んであったことに気づいたのです。その葉書には、下記の文章が印刷されていました。
――感想を送ってくれた方に、お礼に、くまの形をしたハチミツをプレゼントします――
「やっだーw おじさんったらw」
「いいでしょ♪」
「これが、あの子の本質なのよ(微笑み)」
三人は、オーネット・コールマンのハーモロディク理論のように声を揃えました。
「ねえ、お母さん。この葉書、出してみたの?」
娘は、エゴラッピンやオレンジ・ペコーのようなジャズっぽい声で語りかけました。
「出してないから、そこに挟んである、ということなのよ。私とお父さんとおばあちゃんが読み終わっても、この葉書は出さなかった。ハミルが大きくなって、この本が読めるようになるまで、貴女の為に取って置いていたのよ」
母は、カヒミ・カリィやマンディ満ちるのようなジャズっぽい声で答えました。
「住所も印刷されているね」
娘は、渡辺満里奈はフリッパーズ・ギターと組んでいたから渋谷系という音楽ジャンルに属する、という情報を思い出していました。
「個人情報をばら撒いているね。おじさんのセキュリティ感覚は甘過ぎだね」
母は、昔は渋谷系だけど今はネット右翼に転向しているミュージシャンのことを思い出していました。一方で、日本の民族主義者である小澤開作の孫も渋谷系なのも思い出していました。
「おじさん、まだ、ここに住んでいるのかな?」
娘は、両親と一緒に国会議事堂前のデモに参加したことを思い出していました。その後は一人で政治とサブカルチャーを融合したイベントに参加して、そこで『水曜日のカンパネラ』のコムアイさんを知り、韓国移民ラッパーのMoment Joonさんを知ったのでした。
「そうだねぇ……今は音信不通だし、葉書の住所が昔住んでいた所なら、今は家賃が高いから引越している可能性があるかもしれないね」
母は、音楽に政治に持ち込むな論争があった二〇一六年のフジ・ロック・フェスティバルを思い出していました。時代の空気は、少しずつ、変わっていくものです。
「もし、引越していたとしても、転居届けを郵便局に出しているかどうかは疑わしいでしょうね」
祖母は、『この世界の片隅に』という映画で描かれていたことは自分も実際に体験していた、ということを思い返していました。
「この宛先に葉書を送っても、おじさんとは違う人がそこに住んでいて、その人が『ハチミツをください』と書かれた葉書を見たら……どのような反応を示すのだろうね。全ての人間が善人な訳ではないからね」
純文学作家の高橋源一郎も、彼の母親が『この世界の片隅に』と同じ体験をしていたことをニュース・メディアに打ち明けていました。それでも彼女達が体験したことは、シンプルな情報として取り扱う訳にいかないのです。
「お母さん! おばあちゃん! Googleマップだよ!」
OK Google. 今は情報を簡単に取り扱うことができます。それでも収集した情報が正しいのか? 間違っているのか? と簡単に判断することができないのです。人がそんなに便利になれる訳がない。ファーストガンダムでセイラさんはこのような台詞を言っています。人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから。武田鉄矢はこんな歌を歌っていたのです。
ハミルちゃんは、葉書に印刷されている住所をスマホに入力して検索してみました。ストリートビューが液晶画面に表示されます。そこには……人が住んでいるとは思えないほどの廃墟空間が広がっていました。人はいなかったのですが、その代わりに……お稲荷さんのほこらのようなものが、そこに佇んでいました。
「……これではまるで、志賀直哉の『小僧の神様』になってしまいますね……」
「……こういう時は『少し残酷な気がして来た。それゆえ作者は前の所で擱筆することにした』と作者が書いたように、現実も小説に併せなければいけないのかしら……」
母と祖母が、娘の知らない情報を発信しました。志賀直哉という名の純文学作家は、確か現代国語の教科書に載っていたはずです。探そうと思えば図書館の蔵書にもあるし、電子書籍化されているかもしれません。『文豪ストレイドッグス』という漫画(アニメーション)でキャラクター化されているかもしれません。今は志賀直哉の情報を簡単に取り扱うことができるのです。
「違うよ!」
無知の知が臆せずに言葉を発します。
「簡単に『残酷』と言っちゃいけない、その代わりに『不思議』と言わなきゃいけないんだよ!」
ハミルちゃんは、おばあちゃんを見つめます。
人は、世界の一部分を三割ほど知れば世界全体は十の大きさで占められている、という仮説を導きます。それが、百の情報を知ったのならば、世界全体は仮説通りの三倍の大きさでは済まなくなり、十倍から百倍に、ひょっとしたら千倍の大きさへと仮説が更新されていきます。それが、人間の思考力の可能性と限界を同時に表しているのです。
「だって……ヒミコちゃんはあの時、わたしに向かって『不思議だね』と言ってくれたじゃない! わたしは、同い年だったヒミコちゃんのことを、ずっと覚えているよ!」
それ故に、教養のある人は謙虚な人が多い、と言う人が現れるのでしょう。……それでは、教養とは何でしょうか? 謙虚という言葉から私達は何を連想するのでしょうか? そこには、夢って食べれるの? 愛は幾らで買えるのでしょう? という言葉と同質の問いが存在するのです。
ハミルちゃんは、お母さんのほうに視線を移していきます。
「わたしはあの時、お母さんに向かって『双子の宇宙人ってホントにいるんだよ』と言ったんだよ! 『このことは絶対に忘れないでいよう』と、今でも心に誓っているからね!」
足を上げたら痺れるなんて何を考えてるのか全然わかんねーよ。何でいつもそーいうことを言うの。日本の神奈川県横須賀市から訪れた松本秀人さんの言葉は「デペイズマン」であり、「付け」の概念でもあり、「カットアップ・メソッド」と「濃縮小説」のメタファーが組み込まれています。私達は、このことを、忘れてはならないのです。
「お母さん! おばあちゃん! わたし、お稲荷さんの所に行ってみる! そうすれば、おじさんの秘密が、わかるかもしれない!」
Yeah, thats right kid. I like your style. We can fish, we can fuck, we can hunt, we can fight, we can do all the great things tonight. Just grab a partner and dance the night away.
(第四章に続く)