どうして文章を書くのか
ふと、なんとなく文章を書いてみたくなったので、新しい場所で書き始めてみる。日頃、自分が気になったことを調べてまとめた冊子「くむ組む」を夏と冬で発行している。今回、新しい場所で書き始めるにあたって、どうして自分は文章を書いているのだろうと、そのキッカケを書いておこうと思ったり。
毎年、年末年始は実家に帰省する。実家は熊本にあるので、羽田からは飛行機。今年は、元旦に帰省することになったので、タイミング良く、初日の出を見ることができた。
飛行機の中での楽しみは、眠いときは、温かいブランケットと一緒に睡眠。眠くないときは、大体落語を聞いている。しかし、両方の楽しみの前に、まずやるべきことは、機内誌のエッセイを読むこと。空の上でちょっと小洒落たエッセイを読むのが好きなのだ。自分はJAL派なので、となると、浅田次郎さんの「つばさよつばさ」になる。
私は熊本で生まれ育ったが、両親の実家はさいたまにあるため、子どもの頃から年に1度さいたまに帰省するのに、飛行機に乗るのがすごく楽しみだった。そして、そこでエッセイを読むのがすごい楽しみだったのである。そして、同時にこう思っていた。こんな文章を書いて人をほっこりさせたり、考えさせたりできればと。なので、小説よりは、自分の身の回りのささいな出来事を書くのが好きなのである。
中学生の頃、父がマッキントッシュを購入し、私にも使わせてくれた。道具があると、何ができるか考えるのは楽しい時間。で、何に使おうと考えたとき、自分の考えをまとめて、文章を作るのがよいのではと思った。小学生の頃、作文で賞を取り、図書券をもらったことがあった。たまたま本屋で手に取った、公募ガイドを見ると、中学生部門の応募いろいろあるではないか。これ、片っ端から応募すれば、何かもらえるんじゃないかと、すっかり気持ちはハンター気分。絵心はまるでないので、キッドピクス(という、お絵かきソフト)はさっさと諦め、クラリスワークス(という、今でいうOffice的なもの)で文章を書きはじめた。
あれやこれやと応募すると、これが意外と賞をもらえる。当時の父曰く、同世代の子どもでパソコンでコピー&ペーストを駆使しながら、文章を書き上げる子は少なくて、その分文章がすっきりしているのだろうと、言っていた。私としてはそれもそうだけど、地元紙を毎日1時間書けて読んでいることが大きかったように思う。高校卒業するまでに、副賞総額7万程度はもらった。地元紙に投書すれば掲載されるし、テレビ局に投書したら、東京から取材に来たこともあった(これは驚いた)。
一番嬉しかったのは、授賞式のために親子東京にご招待いただいたこと。タダで東京に行けて、飛行機に乗れる。中学生時代の夢の一つが叶った瞬間でもあった。未来の南極というテーマで、当時私が書いた文章はMOに収められ、昭和基地に10年間保管されたらしい。らしい、というのも、これはつい最近知ったことで、丁度今期のアニメで、「宇宙よりも遠い場所」という、女子高校生が南極を目指すアニメがあり、そういえば自分が応募したコンクールって何だったのだろうと、検索して分かったことである。
エッセイとは、「自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文」らしい。ともあれ、私が感じた身の回りのささいな出来事を、これから少しずつ綴っていければと思う。
(一応、補足までに。昔からあるblogは、都合により数年前から閉鎖中である。今年こそは、そちらも通常運転に戻せれば、と思っている。)