最終報告会

LAYERS HOOP YORIIを通じてわかった地域プロジェクトの大切なこと(前編)

埼玉県寄居町で4ヶ月半に渡り開催されたLAYERS HOOP YORIIが2月15日(土)最終報告会を迎え早一ヶ月。少し時間が経ってしまったけど、プログラムディレクターである自分が、このプログラムを通じて何を感じたのかを前編・後編に渡ってレポートします。まず、前編はプログラム全体に関してのことをお話していきます。

まさかの縁で寄居とつながった

そもそもなんで僕が寄居町に関わることになったかという話を先にしておきます。実は、寄居町商工会の事務局長、杉山さん(寄居のキーマン)はかつてご夫妻で岐阜県は飛騨古川にあるFabCafe HIDA(僕が在籍してるLoftworkの子会社、飛騨の森でクマは踊る[通称:ヒダクマ]が運営するものづくりカフェ)に滞在されたことがあったのです。そこからLoftworkの存在を知ってくださり、いつか一緒に何かやりたいと思ってくれていたそう。で、僕は僕で寄居町のタウンマネージャー上田さんとは、上田さんが寄居町に帰る前から仕事を通じてつながっていました。そんな折、寄居町は100年に一度の大変革、中心市街地活性化計画を進める中で、上田さんから僕に、「寄居にきませんか?」とお誘いをいただいたのが一昨年でした。こんな偶然、あるんだなあと、今でも不思議な出会いにしみじみします。

LAYER HOOP YORIIとは何か?

さて、本題に戻りますね。LAYERS HOOP YORIIは、町内外の様々なスキルをもつ人たちが有志で集まり、メンター、まちづくり会社、商工会、町役場などが関わりながら、寄居町の事業者課題の解決、価値創出を目指す全5回(10月の視察ツアーvol.0から含めると全6回)のプログラム。大変革の寄居だからこそ、様々な人を巻き込んで新しい取り組みをつくっていきたいという杉山さんと上田さんの想いに共感した僕。プログラムディレクターという何だかわからないけど大役?を任され、プログラム全体の構成を検討する段階から関わることになりました。

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課題提供事業者は、オーロラ染め(一浴多色染め)の技術をもつ「きぬのいえ」、金之介さんをはじめとした「豚食文化研究会(仮)」、寄居に古くからある歴史ある料亭の「喜楽」と「京亭」(喜楽・京亭は1チーム)合計3つの事業者さんと参加者、メンターが事業者課題に向き合い、何を残し、何をつくるのか、ともに考えながら進んでいくプログラムが始まることになったのです。

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メンターは実力者ばかり

プログラムの大枠も固まった段階で、共有と顔合わせのため、初めてメンター陣との打ち合わせが開始されました。かつて宮城県の女川町でプロボノ活動を一緒にしていたブランディングデザイナーの青栁さん(栃木の雄)以外はほぼ初めまして。元リクルートで長くウエディング事業の広告制作やマーケティングに関わってきた河田夏樹さんと赤井恒平さん。大手内装デザイン会社出身で、空間や地域の価値を編集するプロ、佐藤博喜さん。フードデザイナーとしてパーティーのケータリング、メディアのフードスタイリングなど食のプロフェッショナル植村遊希さん。カメラマンという肩書なんだけど、地域のさまざまな企画・編集まで立ち回れてしまうスーパーマン渡部勇介さん。上田さんよ、、なんでこんなツワモノばかり呼べるんだ。。ワクワクする気持ちもありつつ、なんとなく若干ピリッとした緊張感ある空気の初回打ち合わせ。自己紹介のそこそこに、LAYERS HOOP YORIIのプログラムについての議論に入る。すると、話は思わぬ方向に進むことになるのです。

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↑メンター陣の顔ぶれ(よくぞこれだけの人たち集められたもんだ...上田さんの求心力の賜物)左上の方は、寄居のマフィア...ではなく、寄居町商工会の事業化アドバイザー笠原さんです。


「上滑りするでしょ、こういうプログラムって」

今でもハッキリ覚えてますが、プログラム開始前のメンター陣の打ち合わせで最初にこの言葉を発したのは、メンターの河田さんでした。脳天を突き刺されたような衝撃を受けた記憶があります。

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だって、この流れでやっていけば、事業者も参加してくれた人も、支援団体もみんなハッピーじゃない?どこが滑る?何か間違ってる?そんな風にすら思っていました。でも、次に出てきた河田さんの言葉を聞いて、僕は考えを180度変えることになります。

「だって、これって僕らが本気になれるプログラムじゃないでしょ」

すっかり忘れていた。自分たちが楽しんで、ワクワクして、夢中で取り組めるかどうかを。どうやら正しそうな、それらしいプログラムの流れをつくっていたけど、ある意味で先が見えていて、全然ワクワクできていなかった。こんなに凄い人たちが集まってるのに、この人たちが夢中になれなきゃ面白くなるはずがない。この言葉を聞いて、プログラムを詳細に作り込むことをやめました。

フレームワークからの解放

そうです、何を隠そう、プログラムやフレームワークというものを捨て、メンターに全部任せるという作戦?に切り替えたのです。メンターを2名ずつ3事業者ごとに分けて、メンターが場のファシリテーションをしながら、事業者の課題を深掘りしたり、参加者の「好き」や「得意」を見ながら、チームを分け、5日目の最終発表に至るまで、三者三様で進めるというやり方に舵を切りました。これはメンターを信頼できなければとてもじゃないけど普通はできません。前までだったら反対意見していたと思う。でも、それでもこのやり方がいいと思った理由として、僕自身が上田さんを信頼していたことが大きな要素なんじゃないかと今になると思います。上田さんが信頼して任せているメンター陣であれば、もう僕が心配する必要はないし、もし何か起きてもカバーし合って乗り切ろうと考えていました。

かくして、やることのなくなったプログラムディレクターの僕(笑)自分もどこかのチームに参加したいと思い、フラフラしていたところ、何となく流れで「きぬのいえ」チームに所属し、メンバーの一員として動くことになりました。

それぞれのプロジェクトのあり方

5日間、3チームそれぞれが事業者と向き合い、方法論ではなく、まずは小さくても実践する、スタートを切るというところまで、各チームなりに到達しました。最終報告会で発表されたそれぞれのチームのプレゼン内容をここに記しておきます。

豚食文化研究会(仮)
昭和30年代には養豚業が盛んで寄居独自の豚食文化があった。でもせっかくの寄居の文化の一つも今では豚食文化の認知も薄れてしまい、コレではまずい!と豚肉扱う事業者さんが立ち上がったけど、「じゃあ何から始めたらいい?」という状況。今回のLHYでは、まず「寄居の豚食文化がアップデートされる一歩目をつくる」ことをゴールに、幾つか実験的なもの、中長期的な目線も含めたブランディングプロジェクトが始動しました。

①豚メニュー開発
まずは何はともあれ自分たちが豚料理を美味しく楽しく体験しなければ、ということでまずは新たな豚メニューの開発に取り組んだこのチーム。豚のカシラ肉のやきとりに寄居の風布みかんをはさむ「みかんま」や、寄居で起業されている大野さんと協働で「寄居バーガー」の試作をしました。

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②スナック悦子
寄居出身の参加者、えっちゃんこと悦子さんが、メンターであるフードデザイナー植村遊希さんの力を借りて、閉店した「西陣」で一日限りのママになる「スナック悦子」。実際に、本格的な豚メニューを提供しながら、どんな場をつくることができるか、実験的な取り組みを行いました。

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③えっちゃんの今後の活動をプランニング
同じくこのチームのメンターであるブランディングデザイナー青栁さんによる「ブランディング道場」を経て、えっちゃんはこの町で、「寄居メシ(豚肉をつかった料理の総称)」を広めていくアンバサダー的役割として、例えば②のスナックであったり、場のあるところに悦子の寄居メシあり、というところまで圧倒的な活動量でやっていこうという方針が生まれました。

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④寄居町豚食文化会議の発足
文化というものは一朝一夕にできるものではない、というメンバーの強い想いのもと、豚肉を食べるだけではなく、「命の尊厳」に向き合うことも大事だという結論にたどり着きました。この会議は、町内外の豚食文化に携わる、あるいは関心のある人達が集まる定期的な議論の場。豚食文化の歴史を掘り下げたり、あるいは新たなメニューやお店の開発を通じて、文化づくりのための様々なチャレンジが生まれる仕組みをつくりました。

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喜楽・京亭
このチームは寄居に古くからある歴史ある二大料亭、喜楽と京亭の支援をしてきました。それぞれ別々の料亭なわけだから、普通に考えたら2チーム分担当してることになるわけで。かなり大変だったと思います。それぞれの最初の一歩がどう歩み出したのかを紹介します。

①栗原史郎の継げま1000(喜楽)
喜楽の四代目、史郎さんが様々なお題に対して挑戦。5年以内にLINE@の新規登録者が1,000人到達しないと、喜楽を継げない、という企画。 史郎さん自身ももともと「自分のファンをつくる」ことを本気で考えてるくらいなので、結構本気の取り組みとして仕上がってきてるハズです。

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②鮎基金(京亭)
鮎の店として確固たるファンが存在してる京亭。しかし、鮎が資源が減少、稚魚を放流して何とか経営をも回してる状況。鮎の時期でなくても鮎を求める顧客がいる中で、このチームが出した結論は、鮎とともに生きるための、「鮎基金」と、京亭を守る「友の会」の創設でした。鮎の資源保護と稚魚の放流を漁協との連携し、そして荒川の自然環境を守りながら、京亭友の会(会員制度)により、鮎の商品開発やイベントをするための資金にする。鮎を楽しむ人たち自身によって、鮎とともに生きるための仕組みをつくりました。

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きぬのいえ

大切な服を染め直し次の季節まで預かってくれる「SOMA Re:(ソマリ)」「捨てるなら、染めよう。」そんなタグラインがつけられたこのサービス。元々きぬのいえが行ってきたオーロラ染めの技術を活かしながら、大切な洋服を長く着られるように染め直し、さらに次の季節がくるまで預かってくれる。何なら、着られなくなったサイズの洋服なんかは誰かに売ることができたら、、そんな構想が立ち上がり、物凄い勢いでサービスモデル、Webサイト、SNSの立ち上げまで2ヶ月くらい?で出来てしまった。社長の吉田さん、染め職人井澤さん、、メンター河田さん、赤井さんを中心に、プログラム参加者も役者揃いのチームで、もうすぐサービスのローンチを迎えます。

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小さな営みが日常になり、そして文化になっていく

最終報告会の懇親会で皆の前でも言いましたが、プログラムが始まって、第1回目以外はほぼ毎回のように酔いつぶれて寄居を後にしました。酷すぎて自分でも笑ってしまうくらいです。商工会の杉山さんと笠原さんに酔って説教したり、同じく商工会の横田(愛ある呼び捨て)には飲まされて、なぜか介抱される。そんなダメダメな僕でしたが、受け入れてくれるあったかい仲間ができました。本当に懐の広い町です、寄居は。

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↑最終報告会のプレゼンの様子。こんなにたくさんの方が集まって熱心に聞いてくれました。

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↑プログラムディレクターの上田さん(左)と僕(右)です。この時何を話したのか、全く記憶にありません(笑)


LAYERS HOOP YORIIはプログラムとしては、一旦終わるわけですが、この後も参加したメンバーとのつながり、そしてプロジェクト自体も継続していく予定です。プログラムから生まれた「関係」や「信頼」があるから、もはやプログラムがなくたって、勝手に色々なところで小さな営みが生まれ、連鎖していく。それが日常になり、積み重なって文化になるのだと思います。LAYERS HOOP YORIIはあくまで一つのきっかけにすぎない。でも、そのきっかけの時間を、集まったみんなと作れたことが、今の自分の何よりの財産だと思っています。

▼後編につづく
LAYERS HOOP YORIIを通じてわかった地域プロジェクトの大切なこと(後編)

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