陰謀論者はかく語りき~深淵を覗く者~
世にいう陰謀論者(以下、真相論者と呼ぶ)が護憲である理由の説明の第3回目は、憲法9条(平和主義)に関してです。
数ある改憲論議で、憲法9条ほど話題に上っている項目はないでしょうが、なかなかはっきりした事を論じる人達がいませんね。
今回は、そうした議論の生まれる根本だけ、つまり理由はともかく戦うか否か?武装するのかどうか?
ここだけに焦点を絞って考えていこうと思います。
憲法9条は平和主義であって(外交の手段の一つである)『戦争の放棄』と『戦力の不所持』ですが、この『戦力の不所持』のことを『お花畑』と揶揄する人達がいます。
でも『戦力の不所持』は《抑止力》でもあります。
戦力を持たない国を、ヒトでもですけど、暴力で屈服させようとすれば、猛烈な非難を浴びます。こうやって抑止するわけですね。
一方で『核兵器』が《抑止力》というのは間違いありません。
どちらの《抑止力》を選択するかですが、現行憲法では『戦力の不所持』を選択して、いままでやってきています。
いじめられっ子の、の日太君が空手をならったり、身体を鍛えてジャイデンに対抗するのが『核所有』をはじめとする、改憲して戦力を持つということですね。。。
武装して相手より強くなり、身をまもる。
これが成り立つのかどうかの前に、現状の日本がどのような状況なのかを、かるく把握しておきます。日本には50数機の原発があって、これが爆破されたり、ミサイルが被弾したりすれば、核兵器の攻撃を受けたのと同じような被害がでます。なので、対日本戦では、どんな国でも核保有国並みの火力を持っているのと同じような戦力となりますから、日本は必死に原発を守らないと、核兵器を使用されたのと同じ状況に陥ります。
日本で原子力発電が大量に導入されることになったのは、2回目でふれたとおり、CIAエージェント(売国奴)のPODAM達が国会議員で推し進めたためです。
原発に囲まれた列島、、、これだけでも、
「ミサイルが来たらJアラートが鳴って、、、」とか
「イージスで撃ち落とす」とか
そうした、勇ましい発言は成り立たず、ハリボテの防衛力だという事がわかるかと思います。
このイージスを始めとしたミサイル打ち落とし能力について、わからない人向けですが、イージス艦は100発のミサイルを補足し、10発を落とすとされていますので90発は当たるということになります。101発打たれれば、補足できないミサイルが出てくるという意味ですね。役に立つのか??
(ちなみにロシアはウクライナに2022年3月時点で2000発のミサイルを撃ち込んだそうです。)
50基の原発を守るのに、各原発が100発のミサイルで狙われるとした場合、500隻のイージス艦が必要となる???
ちょっと無理じゃないですかね?
PAC3も同じようなものです。
レールガンというものが開発されれば、と期待する人もいますが、開発まで相手が待ってくれるわけでもありませんし。
「だから、先制攻撃だ!!」
と勇ましい人達は言います。
でもね、今やたいがいのミサイルは『輸送起立発射機』という車両から発射しますから、そんなの数百、数千も見つけておいて、一度に攻撃なんて出来るわけないでしょ?
先制攻撃をしたらどうなるか?
まわり中から、狂った国だと思われて、ハチの巣にされませんか?
国連の敵国条項で指定もされてるわけですし。
「だから、核武装だ!」
と、勇ましい人達は言いますね。
確かに核武装は《抑止力》として考えられます。これは前述の通りですが、実際に自衛のために核武装するとどうなるのか?
『防衛のための核武装』は先例があります。
1962年、中米の島国であるキューバでの事です。
主な登場人物は、キューバのカストロ議長とソ連のフルシチョフ書記長、アメリカのケネディ大統領です。
13日間にわたる『キューバ危機』と言われるやつですね。
1962年10月14日
アメリカの偵察機がキューバ上空で数枚の写真を撮影し、解析することで、在ソ連のスパイであるペンコフスキー大佐の情報などから、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)と3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)と断定します。(のちに99発の核弾頭が持ち込まれていると判明)
10月16日
ホワイトハウスのケネディ大統領に報告が届き、国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)と呼ばれる会議が開かれます。
キューバはフロリダ半島のすぐ先に位置していて、ここに核ミサイルを設置されると、アメリカの主要都市は核の射程圏内に入ります。
ミサイル基地は、まだ発射できる状態まで建設が出来ていません。
が、本格的な武力行使でねじ伏せれば、ソ連は集団的自衛権を主張して報復してくるでしょう。第三次世界大戦が核戦争となり核兵器の応酬合戦が予想されます。
偵察などは続けるとして、『偵察機が地対空ミサイルなどで撃墜されたときには報復する』ということ、つまり専守防衛みたいに『やられたらやり返す』という方針は決定です。
10月17日
この日、ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ケネディはシークレットサービスに対し、ホワイトハウス地下にある核シェルターに入らなければならない時、『私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。』と伝えます。
シークレットサービスは『そうならないように神に祈りましょう。』と答えたそうです。
10月18日
国連総会に出席するソ連外相がホワイトハウスを表敬訪問。ソ連外相は「キューバに配備しているのは防衛用の通常兵器だ」としてとぼけ、この会談の様子を本国ソ連に「バレてない」と報告します。
10月19日(金)
ケネディは中間選挙の応援演説のために、シカゴなどに移動して、政府内の動きを察知されることを防止しつつ、エクスコムと言われる会議では、まず海上封鎖をし、事態が進展しなければキューバ空爆という方針が決まります。
空爆で漏らさず破壊しないと核ミサイルで報復されますので、先制攻撃をしなければならないのですが、発射台の建築が終わる前に攻撃しなければならないのと、打ちもらすと核ミサイルでアメリカ本土が報復される危険性がありますから、急いで事をすすめないとなりません。
ただ、先制攻撃を加えると、世界から非難を浴びる事になります。
10月20日(土)
ケネディ大統領は「軽い風邪のため」として選挙遊説を早めに切り上げてヘリコプターでワシントンに戻り、キューバの海上封鎖を決断、22日19時に演説により世界に通告することを決めます。
海上封鎖は戦争行為ですので、実質はここで開戦となりますが、封鎖という言葉を使わず隔離とすることで、誤魔化そうとします。
この日、国連への安保理開催の申し入れや、ソ連の代表フルシチョフへの通告文書の作成に取り掛かります。
10月21日(日)
ケネディは空軍司令官と会談します。空軍司令官は「一度の攻撃でキューバの全てのミサイルを破壊できる保証はない」ことを伝え、核ミサイルによる報復が起こることを示唆します。
発射台の建築が終わる前に、すべてを終わらせないとなりませんし、ソ連本国から爆撃機による核ミサイル投下にも備えないとなりません。
10月22日(月)
ソ連では、ケネディが19時にテレビ演説を行うという情報や、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の報告、また国家保安委員会(KGB)からの報告によりフルシチョフは共産党中央委員会幹部会を緊急招集します。
ここでフルシチョフはキューバのミサイル基地が発見されたことをケネディが公表するのだとして会議をすすめ、幹部会のメンバーは遅くとも数日以内にカリブ海で戦争が起こる可能性が高い分析されました。
フルシチョフは「最終的には大戦争(全面核戦争)になるかも知れない」と思い、ミサイル基地の建築は急ぎ、すすめさせます。
アメリカ、ワシントンの19時、予定通りケネディはテレビ演説を行い、キューバに核兵器が配備されていること。海上封鎖(隔離)を始める事や全軍に警戒態勢をとらせることを発表します。ケネディは4日前(18日)のソ連外相とのやりとりを明らかにしてソ連は「嘘つき!」と非難し、ソ連のフルシチョフに交渉の場に出てくるように促します。
この日、ソ連から米国へ情報を流していたペンコフスキー大佐が、モスクワ市内で逮捕されます。キューバ危機初日に核ミサイルの配備状況を伝え、アメリカの偵察機による核ミサイルの発見に多大な貢献をしていた人物です。
裁判で、
「こうした行為(売国行為、スパイ)を容認する国は世界中どこにもない」
と言われ、死刑判決が下ります。
(日本ではCIAのスパイが総理大臣をしていたりするので、正確な根拠とはいえないのですけど、、、)
ペンコフスキー大佐は「世界の平和のためにやったことなので、後悔していない」と言ったとも言われています。そして後日、生きたまま担架に縛り付けられ火葬されたそうです。
10月23日(火)
ケネディはキューバ海域の《海上封鎖》を宣言します(封鎖だと風当たりが強いので実際には隔離という言葉を使います)。
海上封鎖は戦争行為なので、この日がほとんど宣戦布告と言っていい日になります。ケンカだと胸倉つかんだとか、メガネ外したとかの状態です。
10月24日(水)
ソ連フルシチョフからケネディへ「海上封鎖は受け入れられない」と書簡を送り、キューバのカストロへは「ソ連は引き下がることはない」と連絡します。
10月25日(木)
緊急国連安全保障理事会が開かれ、アメリカ国連大使がソ連国連大使に詰め寄ります。ここで偵察飛行で撮影された航空写真が、世界に向けて公表され、キューバの核武装が明らかにされます。
米大使「通訳は必要ないでしょう。イエスかノーでお答え下さい( Don't wait for the translation, answer 'yes' or 'no'! )」
ソ連大使「私はアメリカの法廷に立たされているのではない」
米大使「あなたは今、世界世論の法廷に立たされているのです」
ソ連大使「そんな検事のような質問をされてもお答えすることはできない」
米大使「地獄が凍りつくまで回答をお待ちしますよ( I am prepared to wait for my answer until Hell freezes over. )」
というやり取りだったそうです。アメリカは世界世論を味方にすることに成功しますが、しかし、ソ連はミサイル基地の建設をやめようとはしませんでした。
10月26日(金)
アメリカの偵察機により、ミサイル基地の建設は進んでいて週末(明日、明後日)には発射可能になると分析されます。
午後10時には準戦時体制が敷かれ、ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内の核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢にします。
ソ連と隣接するアラスカ州などのアメリカ国内の基地のみならず、日本やトルコ、イギリスなどに駐留するアメリカ軍基地も臨戦態勢となり、核爆弾を搭載したB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出します。
B-52は空中給油を受けながら24時間体制でアラスカや北極近辺のソ連空域近辺を複数機で飛行し続け、戦争勃発と攻撃開始に備えました。
10月27日(後に「暗黒の土曜日」と呼ばれる)
フルシチョフからケネディへ書簡が届き『トルコにあるミサイルの撤去を交換条件』として『キューバのミサイル撤去』の条件が示されます。しかし、トルコからのミサイル撤去を了解するとソ連の圧力に屈したことになりNATO解体につながりかねません。ケネディは受け入れらず、頭を抱えます。
こうした中、キューバのカストロ議長が開戦の口火を切ります。
キューバを偵察飛行していた米軍の偵察機を、地対空ミサイルにより撃墜させパイロットが死亡します。16日の会議で、もし偵察機が撃墜された場合、地対空ミサイル基地に報復攻撃を加えることは決定していました。
軍人たちは即時報復を叫ぶなか、ケネディは?、、、
アラスカを飛行中のアメリカ軍の偵察機が、誤ってソ連領空に深く侵入します。これに対抗してソ連空軍の戦闘機がスクランブル発進します。ソ連はアメリカが核先制攻撃の目標を調べていると捉えたならば、当然撃墜し、全面核戦争の火蓋を切ることになります。
ソ連の戦闘機パイロットは?、、、
昼頃、ソ連海軍の核魚雷を搭載した潜水艦B-59が、海上封鎖線近くでアメリカ海軍に発見されます。
潜水艦の艦長は、攻撃を受けたら核魚雷を発射するよう命令を受けていました。一方、アメリカ海軍はキューバ海域に向かう潜水艦には、キューバ海域を離れるように警告しても従わない場合、被害のない程度の爆雷を投下して警告することになっていました。
このため、アメリカ海軍は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍の潜水艦B-59に対し、爆雷を海中に投下します。
攻撃を受けたB-59潜水艦では、艦長が事前の命令通り、核魚雷の発射を決断します、、、
はたして、世界の運命は、、、
ケネディは弱腰となじる軍人達を制止して、キューバ上空の偵察機撃墜の反撃を一日待つことを決定します。
ソ連領空では戦闘機は発砲せず、米軍の偵察機は進路を変えて無事、領空を出ました。
カリブ海の潜水艦内では、核魚雷の発射を副艦長が強い反対をし、浮上して交戦の意思がないことを確認しあい、その後海上封鎖線から去ることになります。
この日の開戦は回避されましたが一触即発(というか始まってる?!)。
明日には、キューバで偵察機が撃墜された報復を行いますから、アメリカから開戦することは決まっています。そして明日、キューバのミサイル発射基地も完成する見込みですから、空爆もしておかないと核兵器の破壊が出来ませんし、打ち漏らせは、核報復を受けます。
ロシア本国からの報復ももちろんありうるし、まだ見つかっていない潜水艦からの核攻撃もあることになります。
アメリカのマクナマラ国防長官は後に、
「あの日見たポトマック川沿いの夕日は美しく、その時この夕日を生きてもう一度眺めることができるのだろうか、と思った」と語ったそうです。
この夜、、、ケネディは独断(?)で中米ソ連大使と密談をします。
10月28日(日)
ワシントン時間の朝9時。
ソ連フルシチョフ首相がモスクワ放送で、
「アメリカがキューバに侵攻しないことと引き換えにキューバのミサイルを撤去する」
と発表し、同時にアメリカでもラジオで放送されます。
ソ連の譲歩により、事態は一転、核戦争は回避されました。
見方によっては、アメリカがキューバへ侵攻することがないのですから、キューバ向けだけですが、『憲法9条』を設置したとも言えます。
世界を核の炎に包み、破滅するかに見えたキューバ危機は、アメリカが(部分的)9条を設置することで回避することをソ連が引っ張り出したことで終了します。お互いの譲歩か?
【後日談】
当時は米ソ、お互いの譲歩に見えますが、キューバの核ミサイルの撤去から、ほどなくしてトルコに配備されていたアメリカの核ミサイルも撤去されます。決戦前夜、『暗黒の土曜日』の夜、ケネディがソ連大使に伝えたのは『トルコからの核ミサイル撤去』という最大の譲歩(NATOからすると弱腰)だったのです。
一年と一月後、ケネディはダラスで暗殺されます。
真相論者はわからない事、はっきりしていない事は断定しませんが、キューバ危機での弱腰譲歩(平和主義)が事件の要因となった可能性はあります。
ケネディ暗殺の時、隣に座っていたジャクリーン・ケネディは、リムジンの『後ろ』に飛び散った夫の頭蓋骨を拾うシーンが世界に公開され衝撃を与えます。暗殺犯として逮捕されたのは、ケネディ達の乗る車の『右後ろ』にあった《教科書ビル》から撃ったオズワルドでした。
そのオズワルドも逮捕され、すぐに暗殺されますので、弾丸は前から来たように見えるのですが、、、真相は闇の中です。
この後、ジャクリーン・ケネディは幼い子供達を連れホワイトハウスから退去することになります。同時にシークレットサービスの保護も外れるので、ある意味民主的な措置なのでしょう。
すぐに、女好きで知られるギリシャの海運王オナシスとすぐに再婚したため、これを世間からは《高級売春婦》などどバッシングされ、パパラッチに追い回されたり、不遇な日々を送ることになります。しかし子供たちの安全のためであったと考えると、とても芯がしっかりした強い女性とも言えますね。
安倍明恵夫人は、今後、、、どうするのでしょうね?
また、暗黒の土曜日に米軍機を撃墜したカストロは、ソ連のフルシチョフに対し弱腰をなじったとも言われています。これによりフルシチョフには距離を置かれ、つまり核兵器を与えてしまうと本当に使いかねない、抑止力のはずが暴走しかねないと思われたとされています。
この事件ののち、ソ連はアメリカ同様に、キューバとは砂糖の輸入や交流も疎遠になっていき、キューバは長く世界の中の貧国となります。
アメリカの富裕層によって、実質的に支配されていた母国キューバを革命で取り戻し、核武装しようとした指導者がどうなったのかは、だいたい説明できたかと思います。青春群像としてフィデル、ラウル・カストロやチェ・ゲバラを英雄視するのは、わからないでもないのですが、実際には、小国の支配者は大国間の駆け引きに翻弄される人達にしかなり得なかったのです。
中国からのサイレントインベージョンを受けているといって、危機をあおる人達が、核保有まで手を伸ばすと、どういったことになるのかは、だいたい想像できるのではないでしょうか。
だいぶ、、、
説明(前置き)が長くなりましたので、続きは次回へ。
次回は武力を持たない《くにまもり》、お花畑理論を説明しようかと思います。