『小説版 星、そして雪と月と花』第1話 夢幻泡影 / 冬季公演2023『散りてなお夢見星』前日譚
日本の某所。ミンタカ避難所。森に囲まれた静かな避難所だ。
その中央の広場に簡易的な配給所が建てられている。テントの下にはたくさんの段ボール箱。そこにはミンタカ区のシンボルマークが刻まれている。
赤く光る星。「輝く美しい世界を取り戻す」という人類の悲願が込められているらしい。星の名を冠するこの避難所に相応しいと所長がデザインしたのだ。
その所長と配給所職員がテントの下にいた。どちらも星のシンボルマークが付いた腕章をしている。メガネを掛けた若い男性。彼が所長・大伴律だ。
「あんたも、そろそろ腰を据えないかい。この避難所内の人たちは皆良い人たちだよ」
そう彼に話しかけるのは避難所の職員・天楽白。六十歳と、避難所内でもかなり高齢な方だ。
「いえ、今はここの仕事に集中したくて。それに……婚約者のことが忘れられません」
「そうかい。まあ気持ちはわかるよ。私もこの〈大災害〉で最愛の人を亡くしたさ。思ってる以上に忘れられないものだね」
「ええ」
律は色々な感情を込めて、その相槌を打った。少しだけ重くなった空気を変えようと、
「そう言えば、避難所移動のことなんですけど」
と、切り出したが、森の影から来客の姿が見えた。
「白おばちゃん!」
そう老婆の名前を呼びながらかけてくる十七歳の少女。チェックのロングコートに下ろした栗色の髪の毛。ベージュのポシェットを肩にかけた彼女は名を星野蛍という。
蛍は律に気づくと軽く会釈する。律もそれに応え、配給所を去った。避難所の件は今伝える必要もないかと思ったのだ。
蛍は白の前に立つと、ポシェットから数枚の紙切れを出す。
「はい! 配給切符!」
白はその紙切れを受け取ると、
「はい、じゃあ一ヶ月分の栄養バーと再生飲料水ね」
と、大きな段ボールを二つ彼女に渡した。
〈大災害〉以降、各避難所で自治が始まったが、食糧など必要最低限のものは政府から支給されていた。同時に各避難所は住人の人数分配給切符を配布し、それと交換する形で支給品の配給を行なっていたのだ。
「ありがとう!」
蛍は白から段ボールを受け取る。栄養バーはともかく、一ヶ月分の再生飲料水はやはり重たい。思わず手を滑らせ、落としてしまいそうになったが何とか持ち堪える。一度休憩しようと、近くにあったベンチに段ボールを載せると、白が「そういえば」と手を叩いた。
「蛍ちゃん。新聞、届いてるわよ」
蛍はその言葉にすぐに目を輝かせ、スキップで白の前まで戻る。
「本当に? すごく待ってたのよ! 一部ちょうだい!」
「はいよ。娯楽切符はある?」
「もちろん。新聞のために貯めてるのよ」
「そうかい、偉いねえ」
各避難所が発行しているのはただの食糧の配給切符だけではない。トランプや画材、書籍など。いずれも旧時代の遺物であるが、人々の精神崩壊を遠ざけてくれる代物たちだ。それらと交換できる娯楽切符というものも存在する。稀にアナログの機械製品なども発見され、娯楽切符の対象となるが、やはり貴重なものほど使用枚数は増えてしまう。
「最近、新しいのが全く発行されてなかったから、新聞屋さん死んじゃったかと思ったわ」
「縁起でもないこと言わないの。この酷い大気の中、新聞屋さん避難所と避難所を行き来して頑張ってるんだから」
蛍は鞄から二枚の娯楽切符を取り出すと、それを白に手渡す。
ここミンタカ区と近所のニラム区とアルタク区の三区が共同で発行するローカルペーパーマスメディア。比較的安価で手に入れることができ、定期的に発行されるこの新聞を蛍はいつも楽しみにしていた。
蛍は「ありがとう」と白から新聞を受け取ると、段ボールを置いたベンチへと移動する。
「酷い空気と言えば、最近また大気汚染が進んでるらしいわね。この避難所にもガスが迫ってるって噂で聞いたの」
「私もそれは聞いたわ。もうすぐ次の避難所に移動するって話も。こんな老ぼれには長距離を歩くのは大変だけど」
白は自嘲気味に笑うが、蛍は彼女に元気よく微笑みかけた。
「大丈夫よ。白おばさんに何かあったら私が助けてあげる」
蛍が勢いよくベンチに腰をかけると、白もテントから離れクッカの元へとゆっくり足を運ぶ。
「蛍ちゃんは自分の心配もしなさいよ。肺、悪いんでしょ」
「私はいいの。この前、お医者さんに診てもらった時もこのまま頑張ろうねって言われたもん」
「そうは言ってもねえ」
この避難所に駐在する医者がかなり言葉を選ぶ優しい人であることを知っていた白は、その医者の言葉に含みを感じてしまった。しかしここで勝手に自分が不安になっても蛍を悲しませるだけだ、とすぐに思い直した。
「隣いいかい?」
「もちろん」
蛍の承諾を得て、白は彼女の隣に腰をかける。すると蛍は白にも見えるようにもらった新聞を開いた。
「『汚染災害後、五度目のクリスマス』って……そうか、もう五年か」
「あら、もうそんなに経つのかしら。五年も経ったのに未だに地球全体の死傷者はわからないままなのね」
「本当に酷い話よね。結局原因もわからないままだし。研究室からガスが漏れて世界中に広まったって噂もあるし」
「人に幻覚を見せながら窒息させる毒ガス。どうしてそんなもの開発するんだろうねえ……ガラスの向こうで、私の名前を呼びながら死んだ爺さんの顔を今でも思い出すよ」
「……私も、苦しむお母さんの顔を忘れられない。本当にこんなガス開発した人を許せない!」
蛍はベンチから立ち上がると、頭上に広がる満点の星空を仰いだ。地上とは違って美しい夜空だった。その景色を見たせいで、蛍の胸の底に留めていたものが再び湧き上がってくる。
「おかげで私は友達と離れ離れ! インフラは機能しなくなって雪美ちゃんも花香ちゃんも連絡が取れない!」
「蛍ちゃん、そんなに叫んじゃ肺に悪いわよ」
白が止めるが彼女は聞かない。まるで自分が抱えている病気を忘れているようだ。
「あの夜空の星を目指して、いつかその下で再会しようって約束したのに!
こんな状況いつまで続くの!」
蛍が指差した先にはオリオン座が瞬いていた。その中にはこの避難所と同じ名前の星もある。
「早くみんなに会いたい! ごほっごほっ」
息継ぎもせずに、想いを口にし続けたせいで肺に限界がきてしまう。呼吸が出来なくなるほどのその咳は蛍の体勢を崩させた。しかしすぐに白がベンチに腰が行くよう、上手く彼女の体重を移動させた。
「ほら、言わんこっちゃない!」
顔を真っ赤にしながら咳を続ける蛍の背中を撫でる白。
「大丈夫かい?」
と、様子を見ていると、
「蛍ー! やっぱりここにいたって……ちょっと大丈夫?」
蛍の友人である松島菜月が広場にやって来た。彼女は蛍の様子を見るや否や、手に持っていた紙袋を地面に置いてすぐに蛍に駆け寄った。
「菜月ちゃん。蛍ちゃんったらまた無理をして」
「もー、蛍は自分の体が頑丈じゃないことを自覚して?」
菜月も白と一緒になって蛍の背中を摩ると、次第に彼女の咳は治まり、顔色も良くなってくる。菜月もそれを見て胸を撫で下ろした。
「……ごめんね、白おばさん、菜月ちゃん」
「謝る暇あったら安静にしてて!」
「うん、そうだね」
もう心配がないだろう、と白が頷くと菜月の方を向きながら腰を上げた。
「菜月ちゃん、私、配給の仕事でちょっと、ここを離れないといけないんだけど」
「わかった。私が蛍のこと見とくね」
菜月は白が言わんとすることを汲み取ると、快く承諾する。
「ありがとう、よろしくね」
「うん。任せて」
白が広場から離れていくと、蛍の肩の揺れも静かになっていた。本人も安心したのか、目を閉じて深呼吸をした。
「ありがとう菜月ちゃん、もう大丈夫だよ」
「全く、無理しちゃ駄目だよ」
「うん、気をつける」
苦笑いを浮かべたかと思うと、彼女は思い出したかのように両手を叩いた。
「あ、そう言えばさっき私を探してたよね」
「あ、そうそう! 蛍にプレゼント用意したんだ。もうすぐクリスマスでしょ?」
蛍のその言葉に、菜月もここに来た意味を思い出したようだった。一度ベンチから立ち上がり、置きっぱなしにしていた紙袋を取りに行く。しかし蛍はそのような彼女に疑問を抱いた。
「え、嬉しい! ……けど、どうしてもうすぐクリスマスって知ってるの?菜月ちゃんが小まめに日付を記録してるなんてあり得ないし」
真面目で何事も卒なくこなす菜月だが、わりとズボラなところがある。曜日を間違えたり、時間を間違えたり、ということは常だった。親しい友人だからこそ知っていることである。
「私へのイメージ酷くない? ほら、あれだよ。ちょっと早く新聞を手に入れるツテがありまして。そこで知ったんだ」
「なるほど。そういうことね」
確かに、他に日付を知る方法は新聞しかない。蛍は彼女の説明で合点がいったと言うように頷いて見せた。
「そういうこと! で、プレゼントがこれ!」
菜月は茶色い紙袋の底についた砂を払うと、それを蛍に差し出す。蛍も目を輝かせながら、丁寧に袋を受け取った。
「開けていい?」
「もちろん」
菜月の了承を得て、蛍は紙袋を開いて中身を取り出す。透明なボトルに入った薄桃色の液体。夜空に透かして見ると、星の光を屈折させてキラキラと光った。
「綺麗ね。これ何?」
「私が調合したジュース。ちょっとスモーキーかもしれないけど、絶対美味しいから飲んでみて!」
ジュースなど、今ではそれなりの娯楽切符を使用しなければ手に入らない高級品だ。それを友人が作ってくれたと言うのだ。ジュースを作れる友人への尊敬や、水以外のものを飲めると言う喜びで蛍の胸は一杯になった。
「うん!」
ボトルの蓋を開け、中の匂いを嗅いでみる。彼女はスモーキーと言ったが、香りはとてもフルーティーに感じた。早速、口にしてみると今までに経験したことのない味が口の中に広がった。キツくない甘味の正体は何のフルーツかわからない。マイナーなフルーツと言うよりも、フルーツに似た何かといった感じ。そしてフルーツっぽさの裏付けのような酸っぱさと、生野菜特有の苦味と臭み。しかし美味しいという感想が出てくる味だった。
「何だか不思議な味」
「そう?」
「でも美味しいよ」
「なら良かった」
微笑む菜月を横目に、蛍はもう一度ジュースを口にする。再び喉の奥にミステリアスな味わいが通る。すると悪寒のような身震いが蛍の身に起きた。ちょうど飲み込むタイミングだったので変な動きになってしまい、菜月と目を見合わせながら笑った。
笑いが収まると、「実はね」と菜月の表情が真面目そうな顔に戻った。
「クリスマスプレゼントはもう一つあるんだ」
「え? そうなの?」
「五年前、私たちがした約束覚えてる?」
「もちろん。忘れるはずがない」
蛍と菜月ともう二人の仲良し四人組。世界が終わる前にした約束。住んでいる地域が少し離れていたせいで、別々の避難所で生活することになってしまったのだった。
菜月は先ほど蛍が指差したものと同じ星を見つめる。
「いつかこの世界が元通りになったら、あの星の下で会おう」
「雪美も花香も元気かなあ……。別々の避難所に分かれたっきりだもん」
「会いたいよね」
「うん、会いたい」
「今すぐ会いたい?」
蛍の顔を覗き込む菜月。蛍は彼女の意図が全く理解できなかった。
「当たり前じゃん。小さい頃からの仲良し四人組だよ?」
「早く四人勢揃いしたい?」
「え、菜月ちゃんどうしたの?」
「蛍へのクリスマスプレゼント。二人ともおいで!」
そう言うと菜月は広場の奥の暗闇に手を振り始める。
やがてすぐに懐かしい声が蛍の名前を呼び始めた。
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