夏季公演2023『とある助祭は赦されない?』スピンオフ小説「プロローグ」
とある助祭は勤務をサボって教会の外にある椅子に腰かけ、エルメスの公式サイトを見ていた。
「はぁ~…この期間限定のバッグ…いいっすねぇ!」
助祭の名はアリス。明るく元気で、周りからはお調子者と認識されている。
「アリス、君はまたこんなところで休んでいたのか!」
声を荒げながらやってきたのはアリスの先輩で司祭のジャック。アリスが仕事をサボっているとジャックが注意をしに来て、アリスが軽口をたたいて適当に流す、というのはよくある光景である。
「ふぅ、先輩、何か用っすか?」
「何か用っすか?じゃないでしょ。暇があるなら告解室入るなりその辺掃除するなり…」
「あー、うるさいっす! 先輩はウチのオカンか何かですか?」
「誰がオカンだ!」
「あぁ、オカンだから彼女できないんすね」
「僕をオカンキャラにするなよ!それに、彼女がいないのは僕が司祭だから…」
「わぁ!」
ジャックのいつもの彼女できないんじゃなくて作らないんです話を遮って、アリスは勢いよく立ち上がった。
「……急に何⁉」
「ルイヴィトンの財布もいいなぁ!」
ジャックはため息をつくしかなかった。
「とにかく、ちゃんと考えて。仕事サボってもいいことないでしょ」
「先輩……」
アリスはようやく顔を上げ、ジャックの方を見た。
「わかったら戻……」
「日に日にオカン感増してますね」
「うるさい、仕事しろ、仕事!」
あの後少しだけ掃除をしたアリスは、さっさと教会関係者用アパートに戻っていた。
「あーあ、期間限定のエルメスのバッグ、欲しいなぁ……。でも、お金に余裕ないしなぁ……」
アリスは、しっかり給料をもらっているものの、物欲がありすぎていつも生活がカツカツである。
「どっかに物欲なくて独り身で、お金持ってそうな男の人、いないかなぁ…」
つぶやきながらベッドに倒れこみ目を閉じたアリスは、三秒後、パッと目を開いて起き上がった。
「先輩‼」
アリスの中では、ジャックは物欲があまりなさそうで、言わずもがな独り身、自分より立場が上なのでお金には余裕がありそう、という結論に至っていた。
「……行動するしかないっすね」
アリスの中では、自分も聖職者である以上結婚はあまり考えたくない、というよりジャックとの結婚は考えられない、つまり養ってもらうという選択肢はない、それなら盗むしかない、という結論に至っていた。
思い立ったらすぐ行動、というのがアリスの性格である。盗みを決めた夜、さっそくアリスは針金を持ってジャックの部屋の前に来て、何やら怪しい動きをしていた。
「いや…これは無理っすね…。」
ピッキングをしようとしていたがアリスも盗みのプロではない。さすがに鍵を開けることはできず、その日は何の収穫もなく帰る羽目になった。
翌朝、アリスはジャックの近くをうろついていた。
「アリス、今日は一体何をしているんだ?」
「なんか、検査的なやつっすよ。先輩、聖職者はいかがわしい物を持ち歩いてはいけないと思うんす」
「いかがわしい物⁉ 僕はそんなの持ち歩いてない!」
「じゃあ持ち物全部見せて下さい」
「なんで今そんなこと…」
「ふぅん、やましいことがあるんすね」
「はぁ……なんで僕が……」
ジャックはため息をつきながら、ポケットと、持っていたポーチの中身を出した。
「これで全部だよ。ほら、満足したら仕事に戻って」
「いや、疑惑は残るっすよ。先輩、合い鍵持ってないんすか? もしかして、司祭なのに妻が…」
「いないよ! いつもそれで煽ってるくせに今日は何なんだ! 合い鍵は使わないからいつも部屋に置いているんだよ。もういいでしょ、僕は仕事に戻るから」
ジャックは大きく足音を立てながら行ってしまった。
「なるほど……合い鍵は部屋の中……と」
アリスは探偵のようにつぶやいたが、すぐに脱力して、ため息をついた。
「持ち歩いてたらとれる自信はあるんすけどね。そもそも部屋に入れないんじゃ、合い鍵作戦はちょっと無理があるっす……」
アリスは大きく伸びをして、自分の部屋へと歩き始めた。
「あぁー、急がないと、バッグが売り切れるっすー……‼」
部屋に戻り、ムワッとした空気を感じたアリスは、すぐに窓を開けた。
「……あ、窓……!」
そう叫んだアリスは、とても悪い顔をしていた。
その夜、アリスは外に出て、ジャックの部屋の窓が見える場所に向かった。
「よし、やっぱり先輩、開けっ放しで寝てるんすね」
寝るときにクーラーをつけるタイプではないジャックは、夜は窓を開けたままにしていた。
「脚立があれば届きそうっす……!」
にやりと笑みを浮かべたアリスは、意気揚々と歩き出した。向かうのは、アパートの近くにある倉庫である。誰の所有物か知らないが、工具などが置いてあり、アリスがいたずらをするために時々利用している。もちろん脚立が置いてあるのも把握済みである。
「おい、もう少しだからしっかりしろー」
誰かが前方から歩いてきたのを見てアリスは身構え、知り合いではなさそうなので安心はしたが一応物陰に隠れた。
「ん、んんー」
「ったく、飲みすぎだっての」
どうやら、男性二人で、片方が酔っ払って片方が介抱しているようであった。
「ほら、来たみたいだぞ。」
介抱の男がそう言った時、こちらに向かってくる足音が聞こえた。
「ノア!」
「ん、んんー」
「あぁ、こいつ、さっきから『ん』しか言ってません。ほぼ寝てますよ」
「こんなところまで付き添ってもらってしまって…!」
「いえいえ。ノアにはいつも助けられてますから」
「そうなの?」
男性二人で飲んでいて、片方が酔っ払って、片方が彼女の元まで連れてきたようだ、とアリスは理解した。
「いい奴ですよね。だから明日が心配です」
「え…?」「こいつ多分、明日意識がはっきりしたら、今日酔った勢いで色々失言した…って思うと思うんですよ」
「え、そんなにまずいこと言ってたの?」
「いや、気にしなくていいことばっかです。だけど、ノアは気にするでしょうね」「なるほど、何となく想像つくわ。」
「まぁ、大丈夫ですよね。イエス様はきっとノアの良さを分かってくださる。ノアがなんか色々悔いても、赦してくださるはずですから」
「えぇ、そうね。ありがとう」
そして、介抱の男は去っていった。酔っ払いの男とその彼女の気配も消えたのがわかり、アリスは物陰から出た。ハチャメチャな行動をしていてもイエス様への信仰心は厚いアリスは、先ほどの会話を聞いて少し微笑んでいた。
「よし、午前二時…か」
アリスは脚立を持ってジャックの部屋の窓の前まで戻ってきていた。時計を確認し、決行の意思を固めた。
侵入は意外とスムーズだった。網戸はあったが音をたてずにすんなりと開き、アリスは忍び足でジャックの部屋に入った。物は少なく、本棚と机と最低限の家電ぐらいしかない簡素な部屋だった。アリスは迷わず机の引き出しを開け、封筒を発見した。
「……単純っすね。まさかこんなに早く見つかるとは……」
さすがに封筒ごと盗みだすのはやめておこうと思ったアリスは、いくら盗もうかと考え始めた。
「さっきノアって人もいたし、運命的に八…っすかね?」
ノアの方舟に乗って洪水を免れた人間の数は八人であると言われているのは有名な話である。しかし、アリスは渋った。
「ちょっと八万じゃ足りないから…ま、あと十万くらい足してもいいっすよね」
というわけで十八万円ぐらいを盗んだアリスは封筒を戻し、引き返そうとした。……その時だった。
「……え」
何かが足に当たり、嫌な音がした。何かを蹴ったのだとすぐに気づいたアリスは、月明かりを頼りに手探りで蹴った何かを探した。
「……こ、これは……」
手に触れたものは、壊れたイエス様の像だった。
イエス様の像を放置してジャックの部屋を後にし、脚立の片づけを終えて部屋に戻ったアリスはあまり眠ることができないまま朝を迎えた。
ぼんやりした頭で外に出たアリスは司教であるミアとばったり出くわした。
「し、司教様……!おはようございます!」
「おはよう、アリスさん。早いわね。告解室に入るんでしょう」
「あ、あのぅ……その、きょ、今日、風邪をひいてしまって……」
「……確かに顔色は悪いわね。体調管理も仕事の内よ。イエス様を信仰するなら、ちゃんと気をつけておきなさい」
「は、はいっす……」
力なく答えたアリスは、またイエス様の像のことが頭に浮かんでいた。
「仕方ない。今日は別の人に入ってもらうから、早く休みなさい」
「は、はい…!」
アリスは部屋に戻り、ミアは教会へと向かって行った。ちなみに、風邪をひいたというのは完全な噓である。寝不足で顔色が悪かったため、ミアを騙せたようだ。今日は朝からバッグを買いに行くと心に決めていたアリスは部屋に戻ってから少し待ち、駅へと向かった。
最寄りの駅に着いたアリスはやってきた電車に乗り、空いている席を探した。電車内が混むのは一つ先の駅である。まだいくつか席は空いていたため、その一つにアリスは座った。
次の駅で、やはり多くの人が電車に乗ってきた。席は埋まり、吊革につかまって立つ人も増えていた。発車し、ボケーッと前方を眺めていたアリスは向かいの席の会社員らしき女性がすっと立ち上がったのに気付いた。どうしたのだろうと思って周りを見ると、近くに杖をついたおばあさんがいた。
なるほど、席を譲ったのかとアリスが少し感心していると、そこにずかずかと若い男がやってきて、周りを気にすることなく女性が立って空いた席に座ってしまった。なんて人だ、とアリスが思っていると、隣の女性二人組のひそひそ声が聞こえてきた。
「あの若者、おばあさんに気づいてないのかしらね」
「全くよ。しかたないわ、私たちが立ちましょう」
「そうね。まぁ、イエス様は見てらっしゃるわよ。あの若者のことも、さっき席を譲った女性のことも」
イエス様、その言葉に、アリスの胸は少し痛んだ。
その後は何の奇跡かとても買い物がスムーズであった。人気がすごくすぐに売り切れてしまう期間限定のエルメスのバッグが、三店舗回ってそれぞれのお店で、三つも買えてしまったのだ。しかもどのお店もラスト一個であった。
帰路についたアリスはエルメスの紙袋を下げ、うきうきしていた。
「いやぁ、最高だ! これもイエス様の……」
そこで、足取り軽やかだったアリスは立ち止まった。
「今日は……いい日……なんすけどね」
アリスも、気分が晴れない理由はわかっていた。イエス様の像を壊したことがずっと気にかかっているのだ。
「あぁ、もう! これが赦されない限りは素直に喜べないっす!」
こうなれば、仕方ない。
思い立ったらすぐ行動。アリスは告解するために教会へと向かった。