『小説版 星、そして雪と月と花』第3話 雪月花時最憶君 / 冬季公演2023『散りてなお夢見星』前日譚
「菜月ちゃん……ごほっ」
雪美と花香の所在を問おうとするが、上手く口が動かない。
「…………ごめんね。蛍」
「ごめんねって、どういうこと? ごほっごほっ。雪美ちゃんに、花香ちゃんは? さっきまで、ごほっ、一緒に、いたよね」
どうにか口にするも、菜月は自分の涙を拭うだけで求めていた答えを返してくれなかった。
「やっぱり、ちゃんと会えていたんだね。……大丈夫。すぐにまた会えるよ」
やっぱりってどういうこと? すぐにっていつ?
そう思ったが、もう蛍の頭は働いていなかった。力も体に入らない。瞼を開けておくことすら、とても疲れるものだった。
やがて思考ができなる。
「……なら良かった」
また会えると信じて、蛍は力尽きる。菜月の腕から蛍の腕が垂れ、瞼はもう開かない。その蛍に、菜月は何度も何度も謝った。
「本当にごめん、蛍……」
菜月の鼻水を啜る音が辺りに響く。そこに足音が混ざり、白が姿を表した。
白は蛍の様子を見ても驚かなかった。むしろ知っていたような素振りだったが、それでも悲しいことに違いはなかったのだろう。どこか暗い表情をしていた。
「これで良かったのかい?」
「……ええ。きっと蛍も幸せなまま天国に行けるはず」
「次の避難所への移動に、蛍ちゃんの肺は耐えられない。そこで苦しんで駄目になるくらいなら、幻覚を見せて死なせてあげようなんて」
菜月の計画を話す白。客観的に聞いた菜月は自嘲気味に笑ってみせた。
「狂ってるわよね。毒ガス入りのジュースまで用意して。……でも、雪美と花香がいる避難所がガスに飲まれて、みんな死んだって新聞屋さんから聞いて、本当に辛くて……」
数ヶ月前のことだ。避難区内を散歩していると、新聞配達の人がちょうど体の洗浄を済ませて施設から出てきた所に遭遇した。
「おや菜月ちゃん」
と、彼も菜月に気が付く。菜月も蛍に負けず劣らずの新聞好きだったので、顔を知られていたのだ。
しかしいつもの彼と違う表情だった。どこか気まずそうな表情。これだけ汚染ガスの中を行き来しても、いつも生き生きとした表情で活気あふれる様子なのにも関わらず。どう考えても異質だった。
彼はしばらく考える素振りを見せ、口を開いた。
「遅かれ早かれ記事になる。所長にも知らせられるだろうしな。伝えておこう」
そうして雪美と花香がいた避難所のあるニラム区、アルタク区が毒ガスに飲まれた。避難が間に合わず、どちらも全滅した、と。
「ガスの侵攻が悪化してる。この避難所も次期に捨てることになるだろう」
目の前が真っ暗になった。真っ先に悲しむ蛍の姿が脳裏に浮かんだ。
もちろん自分も大切な友人を亡くしたことは悲しい。しばらくは立ち直れない。しかし蛍は自分以上に再会を楽しみにしていたのだ。
それに蛍の肺も悪化している。医者からは「もう長くない。君が側にいてあげてくれ」と言われていた。本当の病状を蛍は知らないのだ。
雪美と花香のことも、蛍は知らない方がいい。
「あの、そのこと記事に書かないでもらえますか」
「え、でも」
「お願いです。大切な友人のためなんです」
「……わかった。でも所長には伝えるよ。ここの避難民の命に関わるからね」
それからずっと悩んでいた。
どうしてこうなってしまったのだろう、と世界を恨んだ。
しかし、いくら恨んでも美しい世界は帰ってこない。
笑顔の蛍を見ると心が傷んだ。
雪美と花香のことを隠したままでも、いずれ避難所を移動する際に彼女の体は持たないだろう。どう足掻いても蛍は辛い目にあってしまう。
それならば。少しでも楽になってもらうには。
そうして今回の計画を思いついたのだ。
白は菜月の肩に手を置く。
「……苦しかったんだね」
「この地球に、この日本にあった美しい景色はもうなくなって。友達までなくなって。……せめて死に方くらい美しくありたいじゃん」
菜月の腕の中にいる眠り姫。白はその少女の白い肌を優しく撫でた。
「確かに、綺麗に眠っているわね」
「星野蛍、あんたは今とっても美しいよ」
菜月は蛍の頭を丁寧に地面に下ろす。そして腕を持ち上げ、彼女の腹の上で組ませた。
そこに「おーい」とダンボールを抱えた所長の律が姿を現す。
「次の避難所が決まりました。夜明けに出発ですので、各自準備をお願いします!」
と、二人に伝えると、同じ内容を繰り返しながら別の場所へ去って行った。
「私たち、行かなきゃ」
「そうだね」
白に続いて菜月も立ち上がる。白は律が向かった方向へ進もうとしたが、菜月は蛍の側に落ちているものに気がつき立ち止まった。
一枚の紙切れのようで、菜月はそれを拾いあげてみる。裏面をめくると、そこには菜月と蛍、そして雪美と花香が笑顔で写っていた。
「この写真……、私も蛍も今の服装……。それに、雪美も花香も写ってる。まさか、さっきの写真ってこと? それならこれは私が見てる幻覚……」
毒ガス入りのジュースを飲んだのは蛍だけだ。それなのになぜ。考えるとすぐに合点がいった。
毒ガスを採取するために、避難所を囲うフェンスに通った日々。間違いなくそのせいだ。
「そうか。あれだけ汚染地域に近づいたんだもの。微量といえど、しょうがないか」
「菜月ちゃん、行かないのかい?」
白からすれば虚空を見つめているだけの菜月に声をかける。
「うん、行くよ。でも先に行ってて」
「菜月ちゃん?」
「白おばちゃん。私たち、美しく生きて美しく死のうね」
白は菜月の言葉の意図がわからないようだったが、静かに笑って答えた。
「……そうね。こんな世界だもの。そのくらいしたいわよね」
「うん。それじゃあね」
と、菜月は手を振って白を見送る。
広場には菜月と蛍だけになっていた。
菜月は再び蛍の前に座り、彼女の顔にかかっている髪を払う。
「蛍、私は明日旅立つけど、きっともう長くないんだ。でも、もう少しだけ長く、美しくありたい。ちょっと遅れちゃうけど、必ず蛍や雪美、花香と今度こそ四人で会いたいから待っててね」
この世界では叶わなかった約束。
しかし菜月は諦めていなかった。いつか必ず叶えてみせる。たとえ生きたままじゃなくても。
また四人で会うのだ、と強く心に決めて彼女は蛍の元を去った。