カンボジアと私(2019年のレポート)
2019.9
私はこのスタディーツアー(japf主催、8日間)に参加して、何気ない日常生活を送っているだけでは気付かないようなたくさんの発見をすることができた。私たちはどうしても、自分が生きている世界を基準に物事を考えてしまう。カンボジアの農村やゴミ山などを視察し、グループでディスカッションする中でそのことがはっきりと分かった。日本ではあたりまえのことがカンボジアではあたりまえでない。
そう考えるきっかけとなった理由の一つ目は、道路が舗装されていなくてぬかるんでいたり、トイレットペーパーは流してはいけなかったり、インフラが整っておらず、衛生状態が良いとは言えないことだ。そんな中を靴を履かずに歩くと、小さな傷口からも菌が入って大事に至ることもあるという。一番衝撃を受けたのはゴミ山で生活をしている人たちがいたことだ。そこに住んでいる人たちにとってそれはあたりまえかもしれない。ゴミの山は住む場所でないと考えるのは恵まれた日本人の考えることであり、また日本人が恵まれているというのも自分の周りのことしか知らない自分の身勝手な思い込みで、日本にも同様とまでは言わなくても似たような生活をしている人がいるのかもしれないということを考えると、普段考えていることは物事のほんの一部分しか見えていないと思った。
医療の面では、私たち日本人の多くは近くに病院があり保険も適用され、清潔で安全な医療を受けられるのがあたりまえになっている。しかしカンボジアではポルポト政権時代の大量虐殺で医者は知識層として殺されたため、十分な経験を積んだ医者が不足している。Sunrise Japan Hospitalで、医者の数は日本と比べて10分の1、看護師は日本の5分の1しかいないと聞いたとき衝撃を受けた。それには他国からの治療の支援だけでは解決にならず、根本的な解決には自国で医療をまかなうためのこれからの医者の育成が課題であると感じた。
また最後に、自身が埋めた地雷の撤去をしているアキラーさんに話をきく機会があった。アキラーさんは5歳のときからポルポト兵として育てられた。そして言われるがままに地雷を埋めたり戦ったりする。「自分が少年兵だったころどんな気持ちでしたか?」と質問すると、予想はしていたが「何もわからず楽しかったです。夜はショットガンが光ってきれいだし、軍服を着たらかっこよく見えます。」と話してくれた。そして「その当時はそうしないとご飯が食べられません。軍隊にいることが一番良かったです。」とも話してくれた。当時のアキラーさんたちにとっては軍隊で働くことがあたりまえであり、ここで私たちのあたりまえとアキラーさんはじめ当時のポルポト兵たちのあたりまえは全然違うのだとわかった。しかしそもそも、カンボジアに限ったことではないが、何もわからない幼い少年たちを戦争に使うことは決して許されることではないと思う。
今回のツアーで見つけた課題を、何とかしようと思うのは難しいことかもしれない。しかし色々なところに存在する自分とは違ったあたりまえを受け入れていくことを学んだ。
【訪れた場所】
Sui-Joh
トゥールスレン収容所
キリングフィールド
カンボジア王国観光省
プノンペン王立大学
CCH孤児院
Sunrise Japan Hospital
王宮
ゴミ山
農村
アンコール遺跡群
アキラー地雷博物館
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