島原駅伝を終えて 2区 川﨑麗央
はじめに
Noteの投稿お久しぶりです。
今年度、当日変更で2区を走らせていただきました4年の川﨑麗央です。
島原駅伝を現地・ライブ配信等で応援してくださった短距離、OB、駅伝をサポートしてくれた長距離の人たち本当にありがとうございました!
競技結果
熊本大学 総合8位入賞
個人 2区区間17位 27“58
チーム目標であった、7位にはあと一つ届きませんでしたが、7区を走った翔基の渾身のラストスパートで8位入賞できて、今年のエントリーメンバー全員が残る来年以降につながる大会になったのではないかなと思っています。
個人としては、襷をつなぐことしかできず後続のランナーには負担をかけてしまったので、補欠の1番目として万全のコンディションに整えることが出来なかったことを猛省しています。
今年を振り返って
今年一年を漢字一文字で表すと、“忙”でした。昨年の島原学生駅伝を終えてから、学校・その他諸々が忙しく、満足に部活に参加できない日々が続いていました。
正直なところ、昨年の島原駅伝が終わった段階では、今年、島原駅伝を走っていることはあまり想像できていませんでした。練習が満足に積めず、第一線から引退することを考えた時期が今年だけでも何回もありました。(多分、来年も考えると思うけど、絶対に戻ってきます!!!)
それでも、部活に顔を出したときにはみんな暖かく迎え入れてくれるいいチームです。だから、やっぱり部活動が楽しくて、忙しくても、なんとか駅伝には間に合わせようと思って秋以降は練習に励んでいました。
7月までは前回のnoteで振り返ったので、今回は8月から島原駅伝までの振り返りをさせていただきます。島原駅伝のことしか興味ないよーって方は飛ばしちゃってください。
8月
限界理系大学生に夏休みはありません😭毎日、学校に行っては、疲れて帰ってきて、暑いから走りたくないなーと思って全然走れていませんでした。6,7月が体調不良も重なって、練習できていなかったこともあり、6km走ればいいやという感じで走り込みはほとんど0でした。
9月
とりあえず秋インの1500mにエントリーして、やる気を出そうと思い、少しずつ練習量を増やすことが出来ました!推しがついにデビューしたことで、推しの音楽を聴きながら走れるようになったのでモチベーションが上がりました⤴
秋イン 1500m 4‘22“89(1組9着)
結果的に秋シーズンに走った公式戦はこの1レースだけになりました。
10月
推しのサイン会とコンサートがあるということで、人生で一番楽しかった日になったかなと思います。今振り返っても鳥肌が立つぐらいの盛り上がりでほんとに楽しかったです!
その一方で、疲れをためすぎてしまったのがたたり、レース前日に熱発し、予定していたレースは走ることが出来ませんでした。大学生になって初めて出る地元・南さつまでのレースだったので走りたかったです😭
11月
チームのメンバーは、積極的にレースに出走していましたが、自分は夏場に走り込みが出来ていないことから、少しでも距離を踏みたいと考えてレースには出ず、練習量を増やそうと思ってこの1ヶ月を過ごせました。
今年の中では1番走れた月になって、練習の消化率もほぼ100%でいい感じで島原駅伝に向かっていけたのではないかと思っています。
島原駅伝を迎えるにあたり
毎年、熊本大学のメンバー選考は11月の中旬にロードでの7.5km走で行っています。
今年は、夏場に走り込みが出来ていなかったこと、10月に体調を崩し、まだ万全の状態でなかったことから、チームのbottomになる8番手、あわよくば7番手に入れればと思っていました。直前の練習状況から考えて、Max出力が上がりきっていなかったので、なんとかきついところで耐えるしかないと思い、選考会に臨みました。
走っているときは、予想通りに自分のペースが上がらずしんどい走りにはなりましたが、前から落ちてくる選手を一人ずつ拾っていく想定通りの走りで、結果的には5位(2人選考会免除がいたので、チーム7番手)でゴール出来ました。6位(チーム8番手)のゆづきと差が2秒だったことと、前週の6区試走を踏まえて、6区を走るのは直前の調子を見てということになりました。
島原駅伝直前の1週間
島原を走る1週間前に区間配置が確定して、補欠になり、誰かに何かトラブルがあったときに走るということになりました。(まさか本当に走ることになるとは...)正直、選考会以降の調子は良く、想定されていた6区を走っても20分台は出せそうという自信はあったので、正直悔しかったです。
土曜日に若干痛みを感じ始めた左足のすねが、日曜、月曜と日がたつ毎に痛みを増していきました。今考えれば、ここでしっかり休んでおけばと後悔しています。
月曜日に祖母が亡くなって、火曜日に地元の鹿児島へ一旦帰りました。火曜、水曜と通夜、葬儀でバタバタしていたことと、すねの痛みが引かなかったので、走れていませんでした。
木曜日になっても、痛みが引かず、左足のすねが腫れて、足首の太さも左右で違っていたので流石にまずいかなと思って、病院に行き、診察してもらったところ、疲労骨折ではなくシンスプリントと診断され、走ってはいいよと言われました。しかし、そうは言われても、痛みは残ったままでこの日は2kmしかジョグ出来ませんでした。
島原前日になって少しでも状態が上向いていることを祈ったけれど、あまり改善せず、この日も2kmのジョグで練習を終えました。正直、この段階では自分が走ることになるとは微塵も思っていませんでした。
状況が一変したのは、2区を走る予定だった、仲里が悪寒がすると言い出したところからです。病院に行ったら、熱発していて、チームで話し合った中で自分が走ることになりました。当日変更はその区間しか出来ないので、エース区間の2区に投入されることに対しては不安しかありませんでした。
2区を走ると決まってから、仲里の分まで走らないといけないことは重々分かってはいたんですけど、自分の状態が悪すぎて襷を3区の颯太さんに渡せるかどうかの不安が大きかったです。左足の足首はほとんど動かないような状態だったので、テーピングで固定してもらい、なんとか出走できる状態までこぎ着けました。
島原駅伝当日の振り返り
朝起きた段階で、少しでも良くなっていることを祈りましたが、さほど状態は変わらず、不安を抱えたまま、中継所へのバスに乗り込みました。
中継予定時刻の2時間ほど前に中継所に到着して、準備を始めました。アップ中は、上り坂は痛みもあまり感じず、走れるかなという感じでしたが、下りに入ると痛みを感じ、左右のバランスが悪く、やばいなーと思っていました。アップ中もずっとすねが痛く、ほんとに8.39km走りきれるのかという不安をずっと感じていました。
レースラップ
2区区間17位 27‘58(3’09-11-14-16-19-24-29-31-1‘24)
1区の士侑から襷をもらって、北九州市立さんと併走する形になりました。最初の登り500mで既にすねが疼いて、残り8kmを走ることに対して恐怖を感じていました。それでも、中間点が13‘56、5km通過が16‘10で現状からするとなんとか踏ん張れていました。しかし、日差しが強く、体温がどんどん上がっていって、5km以降は、脱水症状のような感じで足に力が入らなくなっていました。それでも、なんとかして襷をつながないとみんなに合わせる顔がないと思いながら、残り約3.5kmは気合いで走りきることが出来ました。タイムとしては、0点ですが、なんとか襷をつなぐことが出来たことだけはよかったです。
これから
昨年の島原駅伝を終えて、1度は部を引退するかどうかを悩んだ時期もありました。また、想定外の形ではありましたが、今年も島原駅伝を走らせてもらって幸せだなと思っています。やっぱり、部活は楽しいなと思いました。ここまで、2年次4区、3年次3区、4年次2区と走らせてもらってきましたが、未だに区間1桁で走ったことがなく、毎回、チームの足を引っぱってしまっています。(4区、3区、2区と来たら来年は1区かな?)来年は、いよいよ5年生になって(まだなれるかはわかりませんがw)、薬剤師になるための病院実習・薬局実習期間と重なるので、島原を走ることが出来るかは分かりませんが、チャンスがあるなら、今度は最低でも区間1桁で走れるようにしたいです。
また、来年度は、チームを引っぱってきた益永さん、颯太さんのラストイヤーでもあるので、前半シーズンからたくさんレースに出走して、力をつけていきたいと思います。Challenge!
個人の目標としては、5000mでの14分台を目標にします。今のベストが15‘45の自分にとっては高すぎる目標かも知れませんが、今の熊大は14分台が4人いるので、同じような練習が出来れば、自然と14分台を目指せるような環境です。この1年は、ずっとB,Cチームで甘えていることが多かったので、今後はAチームでの練習に積極的に参加しようと思います。
今年のメンバーが全員残る来年が熊大にとっては、勝負の1年になると思うので、これまで足りてなかった競技面でも少しでも貢献出来るように頑張っていきたいです。
最後に
ブロック長として、1年間チームを引っぱってきた士侑、お疲れ様!
主将とブロック長を兼任して大変なことも多かったと思うけど、いいチームでした!!!
来年は士侑から1区を奪えるぐらいに力をつけるよー!