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宣言 仲里拓真
島原駅伝前日に発熱し、出場することができなかった仲里拓真です。今回は自分自身の自己管理能力不足で、皆さんに大変ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないです。応援に来てくださった方も、万全の状態の熊本大学の走りを見せることができず、申し訳ありませんでした。
最初に書いておくと、自分はこの経験を美談にするつもりはありません。来年駅伝で好走できたとしても、それよりもよっぽど2年連続で好走した人の方が偉いに決まっているし、実際にそれができている選手もたくさんいます。しかし、この経験は生かさなくては本当にこの失敗に意味がなくなってしまいます。なので、このノートは当時の自分の状況や心境を振り返りながら、来年の目標を決めようと思います。それと、今回のノートは激重なので皆さんの精神状況が良い時に、斜め読みしてくださると幸いです。
12/2~12/5
正直、島原駅伝の週になってから、風邪らしき症状は少しずつ見られました。しかし、残り1週間を切っており休める状況でもなかったので、風邪薬を飲みながら乗り切ろうとしました。12/5は少し悪寒を感じることもありましたが、緊張もあるし、いつも通りにはいかないと言い聞かせながら、準備を進めました。
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走れないとは何事か
島原駅伝前日
前日は起きてから鼻水が止まりませんでした。しかし、前日あった悪寒はなかったので風邪が治りかけていると思っていました。ところどころ、いつもより頭の回転が遅いと感じることもありましたが、そこは緊張と割り切っていました。前日は10キロジョグをしようと思い、開始したものの体が重く、思うように動かない。この地点で、コンディションが良くないことは確信したので、ある程度スローペースで入って、安全な走りをしようと思いました。しかし、走っていくうちにどんどんと体が重くなり、緊張ではなく、明らかに体調が悪いことを実感しました。7キロでやめてあとは回復に徹しようと考えていましたが、明らかに寒気がする。この時から周りのチームメイトも察し始めて、ベンチコートを持ってきてもらい、最終的には車で休むことにしました。その後、颯太さんからはっきりしたほうがいいから病院に行った方がいいという提案があり、すぎもんさんと紆余曲折ありながらも病院に行きました。(すぎもんさん今度飯奢るんで言ってくださいね?)温度計で体温を測ると38.5度。熱はあると思っていましたが、そこまであるとは思わず、びっくりした記憶があります。そのあと、コロナとインフルの検査があり、正直どちらかにはかかっているだろうと思っていましたが、こちらはどちらも陰性。まだ走れるという希望が生まれ、どうにかして1日でコンディションを回復しようと思い、水分を取れるだけとってホテルで休息をとっていました。その時に電話があり、ミーティングがあるので部屋に来てくれないかという電話があったので部屋に行くと、かなり重い雰囲気。ある程度察していましたが、チームで話し合った結果仲里に帰宅してもらうように決定したとしゅうから話を受けました。みんなの雰囲気から、十分に話し合って悩んだ末に決めたことなのだとその場でもなんとなく察して、帰宅することに決めました。この時はとにかく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ただでさえ走りに集中したい前日に、自分のことで頭を悩ませてしまったこと、ただでさえコンディションの良くない麗央さんを引きずり出してその上ちゃんと走るから大丈夫だと言わせてしまったこと、前日に頑張ろうと盛り上がるべきなのに、逆に不安にさせてしまったこと。そして、自分の出たかったという気持ち。なんで熱なんか出しているのだろうという後悔や無力感にも似た気持ち。それ以外にも、よくわからない感情がごちゃごちゃと熱で回らない頭を渦巻いていました。そして、レースシューズだけを置いて、すぎもんさんにフェリー乗り場まで送ってもらいました。そんな感情のままフェリーでひとり帰宅すると大町さんが迎えに来てくれました。本当に突然だったにも関わらず、来てくださってありがとうございました。大町さんは基本的にたわいもない話をしてくれたおかげで、フェリーの時よりも少し気は楽になりました。(体はきつかったけど)多分気が利く大町さんのことなので、あえて多くは駅伝の話を出さなかったのかと思います。
家に帰り、何かしら、なにもできない人なりの応援はすべきと考え、応援メッセージを送ろうと考えました。本当は、自分なんかいなくても大丈夫!とか、自分を信じて頑張れ!とか送りたかっです。でも、それはできなかった。あまりにもそれは無責任すぎると思ったし、迷惑をかけておいてそんな責任を放り投げるようなことは送れませんでした。なんなら、これを送るのも無責任なことかもしれないとか考え、送るのをやめるのも考えましたが、それはそれで無責任だろうと思い、陳腐な応援メッセージを送りました。今思うと、ただの自己満足のようにも思えますが、その時の自分は、それが最適解だと思ったし、それしかできることがありませんでした。
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島原駅伝当日
当日は家でライブ配信や短距離の応援の人たちの情報をもとに、応援をしていました。
最初にしゅうの1区。しゅうには特に負担をかけてしまったと思います。長ブロ長、スターターというプレッシャーの上、襷をつなぐ予定だった自分の離脱、ただでさえ不安が大きかったはずなのに要らぬ不安までかけてしまって、幹部として支えると言っておきながら、一番大事なところで迷惑をかけてしまいました。しゅうが第3集団についたときは、もっとしゅうならいけると思っていましたが、そもそも自分が2区にいて、不安なく戦えたら、もう少し前に勝負に行けたのではと、どうしようもない葛藤を抱えたまま応援をしていました。
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そして2区れおさん。ただでさえコンディションが良くない中、自分が離脱して走らせてしまって申し訳ないです。れおさんには毎年負担をかけてしまっていたので、今年こそはと思っていましたが、今年が一番負担をかけてしまいました。2区は自分が走る想定の区間だったので、特に周りの選手やデータを予想していた区間でした。走れてないのに、こんなことを書くのはおかしいことだとは分かっていますが、自分が走れればと妄想をしながら応援していました。大体トラックでのタイムの同じぐらいの九州大学の千々松さんが好走をしており、なんとなく自分と重ねて、自分が同じような走りができればと勝手に考えていました。(千々松さん勝手に名前出してすみません🙏)
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そして3区の颯太さん。颯太さんの懸命な判断のおかげで、今年の熊大はできる限りのベストを尽くせたのだと思います。自分は恩を借りてばっかりですね。颯太さんへの襷は自分が渡したかった。自分が渡して、もっと楽に、楽しく走らせたかった。そんな思いのまま応援していました。それでも、颯太さんが順位を押し上げてくれて、やっと最低限の位置に押し戻すことができました。
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襷、つなげなくですみません。
目標はおろか1桁順位も危うい状況を変えてくれたのは聖司さんでした。実は3区の途中で聖司さんから電話があり、前日に置いて行ったメタスピードパリエッジを貸してくれないかと言われて、断る理由もなく大丈夫だと言いました。途中の経過がほとんど入ってこなかったので不安でしたが、気づくと中継点で福岡大学さんと九州大学さんとかなり差を詰めて順位も相当あげて帰ってきました。さすがのエースの走りだと思っていると、第四中継所で付き添いをしていたすぎもんさんから、シューズありがとうとの連絡がありました。チームに迷惑をかけた身に、気を遣ってくださったことが、とても嬉しかったです。
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そして5区の秋音さん。秋音さんは不安要素の大きい男なので、心配をしていましたが、どうやら心配をすべきは自分だったようです。勢いそのままで、山区間を攻略してさすがの一言でした。秋音さんは下りから登りに入る5キロ地点が写っていたのですが、その時にかなり勢いで前の九州大学さんをとらえており、かなり興奮したのを覚えています。
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6区のゆづき。ゆづきにはとにかく島原前の準備に負担をかけてしましました。さらに、初島原の不安もあったのに、迷惑をかけて手続きを増やしてしまって申し訳ないです。ライブでは、6区の情報は全くと言っていいほど入ってこなかったので区間の間はずっとドキドキしていましたが、ちゃんと区間順位をキープして帰ってきてホッとしました。ナイスランでした。来年はちゃんと同じチームで襷を繋ごう。
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7区のしょうき。結果から言うと本当にナイスラン!よくやった!途中追いつかれている場面がLINEで送られてきて、かなりヒヤヒヤしましたが、ちゃんと最後まで我慢して順位をキープして帰ってきて、7区の役割を果たしてくれました。ありがとう。次期長ブロ長として最高の走りでした。
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ゴールシーンも、もちろんライブで見届けたのですが正直とても複雑でした。もちろん、嬉しい気持ちもあります。みんながベストを尽くして帰ってきたし、スパート合戦にも勝った。みんながしょうきを呼んで喜んでいる。でも、その場に自分はいない。本当は自分もその場にいたかった。その場でしょうきコールをして、しょうきによくやった、ナイスランって言ってあげたかった。でも、実際は家でスマホの画面を見ているだけ。どうしようもない、悲壮感というか、無力感のようなものを感じました。実は、ライブ配信を見ている時も頭では分かっていたのですが、なんとなく現実感がありませんでした。それは直接見ていないからか、現実逃避したいからかはよくわかりません。それでも、なんだか少しだけ過去のレース動画を見ているような気分がしていました。
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しかし、その後現実を受け入れる瞬間がありました。それはゴール後すぐにくれた颯太さんからの電話です。申し訳ないんですが、話した内容はよく覚えていません。結果の報告だったような、たわいもない話だったような。聖司さんが代わってくれたことは覚えてます。とにかくそれで、今年の島原が終わったのだと実感できたような気がしました。いろいろごちゃごちゃしていた感情が、少しだけ明確になって悔しいと言う気持ちが、表面化してきたようにも思えました。それで、少しだけ泣きました。終わってしまったのだと、あんなに目標にしてきた島原が出ることができないままに。
今もまだ、正直心の整理ができていません。それぐらい目標にしたつもりでした。準備もしたつもりでした。結果、それはしたつもりに過ぎませんでした。スタートラインに立つなんて当たり前のことが、こんなにもできないことかと感じています。
宣言
来年の島原までに1つ宣言します。
チームで1番努力をする
陸上に真摯に向き合って、行動を伝播することが今の自分にできる最大のチームへの貢献だと思っています。結果はきっとあとからついてくると思うので、とにかく過程を大事にして、目標を達成します。
来年自分は「去年走れなかった分まで精一杯走ります。」と言うと思います。ただ、どれだけいい記録を出そうが、今年の島原は帰ってこないし、やり直せない。それでも、島原でしか島原の借りは返せません。また、来年はM2のラストイヤーです。ずっと世話になって、前を走ってくれた先輩たちに不完全燃焼では終わらせたくない。笑って熊大でよかったと言わせたい。後悔なんて微塵もさせたくない。頑張らなければならない理由が十二分にあります。だから、努力をして、結果でちゃんと示したい。島原駅伝を来年こそは、自分もちゃんとゴールテープに立って笑顔で迎え入れたい。今年の島原の経験が糧になったと言えるように、1年間、貪欲に生きていきます。
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