熊本城日記①はじめまして。私が熊本に移住し、ボランティアガイドになるまでのこと。
新しいノートや手帳を使うときはいつも少し緊張するけど、noteはもっと緊張しますね (^^)ドキドキ…
こんばんは。はじめまして。
私は2021年に熊本に移住し、熊本城初代城主 加藤清正公の生誕・没日に熊本市民となった熊本城が大好きなkumaco❤と申します。
現在、ライターをしながら、熊本城のボランティアガイド「くまもとよかとこ案内人の会」の一員として熊本城などのガイドも実施しています。
熊本城やそれに関連する歴史の勉強は奥深く、日々勉強です。
きっかけは2015年秋。
仕事で担当したイベントをきっかけに熊本に興味をもったことからでした。
そして、熊本に一人旅に来たのが熊本地震の約半年前。
お城に自分の意思で行ったの事態がほぼ初めて、熊本城は小学校の修学旅行以来といった状況でしたが、その時の熊本城の壮大さや楽しさに感動し、そこから度々通うようになりました。
当時熊本城には複数の入口があり、様々な入口から入ってみたり、各櫓の中に入ってみたり、梅や桜など季節の花を楽しんだり、熊本城には今年12周年を迎える「熊本城おもてなし武将隊」さんという400年以上前から蘇った熊本城にご縁ある武士や姫さまがいらっしゃって、その方々の演舞を見たり、行列に並んで写真を撮っていただいたり、「くまもとよかとこ案内人」というボランティアガイドさんにガイドいただいたり、天守閣を登って景色を楽しんだり、城内各所にあった椅子に掛けて景色を楽しんだり…
そして当時の天守閣には「一口城主」になると、1年間入城でき、天守閣内にかまぼこ板のようなものに名前が掲出されるという特典がありました。
私は天守閣に登るにつけそのかまぼこ板(仮名)に名前が載るのに憧れ、1万円以上を寄付し「一口城主」に。やがて、事務局より4月下旬には私も、そのかまぼこ板に、名前が載るとのことのお手紙が届き、とても楽しみにしていました。
そして2016年4月上旬、私はいつものように熊本城へ。
桜咲く熊本城で、天守閣脇にあったいきなり団子屋さんで買ったいきなり団子を購入。天守閣の近くの桜の木の下で、天守閣を眺めながら食べながら、一人で花見をしました。その時のことを鮮明に覚えています。
それが、熊本地震前に熊本城を見た最後でした。
そして、「次に来た時にはあのかまぼこ板に名前が載ってるかな」と楽しみにしつつ、その日に限って、お昼過ぎには早々に熊本城を後にしました。
熊本地震の時、私は熊本にいなかったけど、
崩れ行く熊本城にとてもショックを受け、涙が出ました。
あれがあの天守閣を見る最後になるなんて!
次にいつ入れるか、行けるかわからないなんて…!
くしくもそれは、念願の天守閣のかまぼこ板に私の名前が
載る予定の1~2週間前のことでした。
「一口城主」は「復興城主」という名称となり、
復元を目的とする募金から、復興を支援する募金となりました。
それから私は人通りの多い場所にある職場に、募金箱を提案して設置。イベントの収益をその施設名で「熊本城復興城主」に寄付。
個人的にも「一口城主」になったばかりだったけど、「復興城主」にも寄付しました。
そして、水が足りないと知り、500mlのペットボトルをあるだけ買って、それにメッセージを1本1本書いて贈るなど、その時思い付くことを私なりに積極的に行いました。
それからもずっと、その想い変わらず。
地震後、交通網が復活し、熊本城が開園された時にはまだ熊本城も各所痛々しく、周辺の建物にも危険度を示す赤い札が貼ってあったりして、地震のすさまじさが伝わってきました。
当時、武将隊さんの活動やSNSなどを通じて、復興状況やそれに関するイベントなどを知れることが多かったので感謝です。
私は、熊本城の復興第一弾、第二弾、第三弾、天守閣にしゃちほこが着くとき、ブルーインパルスが飛んだ時、サクラマチ クマモトが建つ前にその地が更地になった記念イベントの時、復興映画祭や二の丸で行われたイベントなどなど、様々な大きな熊本城の節目に来ることができました。
そして、熊本城の復興のために私も何かしたい気持ちは変わらず。その後も復興城主を更新したり、度々来るのはもちろんだけど、それでは足らず。
過去、ライター経験があり、文章を書くことが前から好きだったことから、2021年には県外にいながら、熊本の記事を書くライターになりました。
在職中だったのでボランティアだったけど、某媒体に、天守閣復興にあわせて、熊本城の記事を中心に、地震やコロナ禍をバネに奮闘されている企業やお店や施設を取材し、10記事以上を寄稿しました。
でもその頃は、コロナ禍。県外からの熊本の取材は難航しました。
そして、仕事の節目を迎えた春、思い切って、長く務めて慣れ親しんでいた職場を退職し、気になってやまない熊本城のそばに移住することを決意。
そのころ、熊本城が2021年4月に天守閣が復活するもコロナ禍で公開が6月下旬に延期に。ならば、それにあわせようと引っ越しを天守閣復活と合わせた6月下旬に。住民票を6月24日に清正公の没・生誕日とすることにしました。
そして私は、それまで大変お世話になった皆様と大好きな街を離れ、予定通り、引っ越しを6月下旬に終え、6月24日に住民票を移し、同じく大好きな熊本の市民になりました。
移住後も私は熊本城の復興を応援したい気持ちを持ち続け、しばらく仕事とライターを両立。そして、仕事を通じても観光客の方に熊本城への行き方をご案内したり、その後の職場でも、熊本の魅力を伝える動画やポスター、冊子の制作、復興イベントのパネルの制作、熊本のお祭りの子供向け企画やコロナ禍のテイクアウトフードイベントの企画と実施、新店舗や新商品のPRなどに関わらせていただくことができました。うち、担当させていただいた熊本のPR動画は、素晴らしい監督や出演者、制作チームをお迎えでき、とてもいい作品となって、のちに受賞。ご好評いただきうれしかったです。
これまでに出会った皆様や様々なご縁をつないでくださった皆様に感謝です。
そして、2023年夏前ごろ、熊本城内に常駐するボランティアガイド「くまもとよかとこ案内人の会」に合格、約半年間の座学や実地研修を経て2024年1月、ガイドとしてデビューしました。
熊本城の魅力や復興状況をお伝えするとともに熊本城により興味をもっていただいたり、来て楽しかった、また行きたいなと思っていただけるといいなと思いながら活動しています。
ガイドでは、既にたくさんの方にお会いでき、先週は初めて修学旅行を担当させていただきました。大切な思い出に参加させていただけたことはうれしく、とても印象に残る貴重な体験となりました。その時は鹿児島からお越しの生徒さんたちで、皆が西南戦争や西郷隆盛さんと熊本城に興味を持ってくれていることがわかったため、通常のガイドに加え、それにちなんだ説明や体験を交え、楽しんでいただくことができました。
今も次に入る学校や地域にあわせ、通常のガイドに加えて、その方々が興味をもってくださりそうな歴史について、追加の勉強中です。
ガイドの所要時間はお相手の都合にあわせて概ね1時間前後。短くも、その方々にとって、貴重な旅の時間、大切な想い出の一部です。出会いは一期一会。
ガイドも全く同じガイドではなく、その方々にあわせたガイドや交流を心掛けていて、お客様に楽しんでいただくのはもちろんですが、私自身も楽しませていただいています☺️
ガイド歴9か月。まだまだ新人、勉強の日々ですががんばります!
そして再び、ライターとして活動しての活動もはじめ、9月20日は、「くまにち すぱいす」のライターとして、3店舗を、熊本にゆかりある偉人たちにも絡め、ご紹介させていただきました。
私は移住後、SNSも新たに始めました。
まずは、移住した3年半前、kumaco❤という名前でInstagramをスタート。
その1年後移住して2年目頃から、同名でTicktockをはじめました。
そこでは「熊本城日記」として熊本城の復興の様子と想い出を動画で紹介。その日記が100回をむかえたことを機に、snsでも1月から「くまもとよかとこ案内人の会」の会員としてガイドをはじめたことをはじめてうちあけました。
そして、noteも開始。
noteでは、私のガイド奮闘記も兼ねた動画では伝えきれない「熊本城日記」などを書きたいと思います。
熊本城の姿や、熊本城での思い出やその時感じたこと、学んだことを残していきたいです。
いきなりの長文、ごめんなさい(人)
トップの写真は地震に耐えた国指定重要文化財の「宇土櫓」と、大小天守閣。
「宇土櫓」は、熊本城第3の天守とも言われ、現在は解体工事中で、素屋根に覆われ、このように姿を見ることは出来ないため、貴重な写真です。
工事中の模様は、第二日曜日に見ることができます。
私の発信をきっかけに、熊本城にさらに興味を持ってくださったり、復興の少しでもお力になれるとうれしいです。
ボランティアガイドを続けていくためにも、お仕事なども頑張っていきたいた思います。どうぞ応援の程、よろしくお願いいたします!
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