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ヴァイオレットエヴァーガーデン雑感その29 結局何故、のところ

前回書いた後に気付いたことがあり、編集して加筆しようと思ったのですが新しいトピックとして書きます。

劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンを私が観続けた理由は京アニさんへの課金である、みたいなことを書いたと思うのですが、ではなぜ課金をする気持ちになったのか?

ひとつめは、もちろんあの「事件」はあったと思うのですがそれ以前に素晴らしい作品だったからですよね。

素晴らしい。。というよりも、マッチング?

なんて真面目な作品なんだろう?と思ったわけです。もっとはっきりいうと「クソ真面目」。

私も、非常に根がクソ真面目な人間なのでフィーリングがあったんですよね(笑)

なので、その真面目さに応えなければいけないなぁと、勝手に思った次第で。


真面目。。ちょっと表現を変えると京アニさんの「本気」を感じたのです。(本気と書いてマジと読むw)

その、はっきりいってしまえば「狂気」にすら近い「本気」をひとつの作品に注入できた理由として「事件」があったのだとは思いますが。

その「本気」を感じて、私はそれを意気に感じたんですよね。

この本気に対して自分も、真正面から受け止めなきゃならないと。

この本気というのが。。見方を変えると、スタッフの方々の「ヴァイオレットさんに対する本気」ととらえることもできますね。

作品に対する本気だけでなく。

だって、ねぇ?ヴァイオレットさんの美しさ(特に劇場版の後半にかけて)、というか「美しく描かれ方」ってもう尋常じゃないですからね(笑)

何がそうさせるのか。。

女性スタッフの方も多いのだろうと推測するのですが、女性スタッフが女性のキャラクターをより美しく、より崇高に描こうとする執念や気迫は、いったいどこからやってくるのでしょう。

ちょっと私にはわかりかねるところです。。

ただ、出来上がった作品そのものは、作画の美しさやストーリー、あるいは音楽の素晴らしさ含めて「受け止めた」つもりでいます。


ああ、こういう感じのことは過去にNoteで書いたかもしれないですね。もう30本近く書いているので、前に書いたことはすっかり忘れてしまいました(笑)

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