ヴァイオレットエヴァーガーデン雑感その18 なかなか言えないであろうこと
前回(続きではありません)
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多くの人たちがバッシングを恐れて言えないであろうこと
これ(かなり書きたかったこと)を書ききってそろそろ筆を置こうか(笑)だいぶ長くなってしまってので。。
映画は総合芸術である。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは総合芸術である。
総合芸術であるということは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを「理解」するためには、教養を必要とする。
必要なのは(実は)教養であり、劇場版を観る前にアニメと外伝を履修することではない。
そして必要なのはヲタ素養でもない。(それは、教養ではなく単なる「知識」にすぎない)
たとえば巷では、花言葉を知っておくのがMUST!みたいな言われ方をしているみたいだけれど、知識として花言葉を知っておく、だから何?という気がしないでもない。
登場するそれぞれの「花」たち(もちろん登場「人物」も含む)での花言葉を知っておくというのは、あらかじめアニメや外伝を履修しておくべし、というのと同じ位相であろう。
※教養ときいて、ヴァイオレットエヴァーガーデンに引きつけて即座にあ~花言葉とかでしょ、とか思われた方がいたとしたら、それはいちおう否定しておきたい。(それは知識に過ぎないので)
教養とはまぁ人生経験とニアリイコールととらえていただいて問題ないかもしれない。
もちろん、人生経験の長さ✕深度の掛け算のことです。長けりゃいいというものではないのです。
深度とはまぁ「どれだけ一生懸命生きてきたか」とニアリイコールではないでしょうか(わかりやすく言えば)
芸術に対しては、人は、個々の持つ教養でもって全力でぶつかっていく必要があると、私は思っています。
そうしないと、わからない。
そしてヴァイオレット・エヴァーガーデンは、ぶつかっていくに値する作品だということです。
ただ楽しむ(≒泣きにいく)のであれば、教養はいらない。
教養がいらないのは、「エンタテインメント」。
エンタメとして楽しむために、上述した「知識」はけっこう必要になるかもしれない。というか、知識はいくら持ってても構わない。
最初に「映画は総合芸術である」と謳っておきながらすぐに否定するが(笑)現在の映画群はほぼすべてがエンタテインメントであり、総合芸術ではない。
つまり、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは久々に出てきた例外ということです。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンに関していえばアニメ時点では総合芸術ではなくエンタメの域だったが(かなりハイレベルではあったけれど)、総合芸術まで昇華した。(すごい)
総合芸術は、多くの場合エンタメになりうるので(まさにこの劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンがそう)エンタメ・レベルまで「落として」鑑賞するのも可。
ところが逆に、教養がない人はすべての映画をエンタメ・レベルでしか鑑賞することができないし、総合芸術レベルまで視座を上げることができない。
こういう人たちは基本的には常に(ネット)批評家である。批評するベースとなっているのは自らが保有する「知識」のみである。
京都アニメーションのスタッフさんたちは誰も口に出さないだろうけど、この作品は世間に対して「挑戦」をしているように思う。
理解できるもんならしてみやがれと。つくっていらっしゃる本人たちすら認識していない感情かもしれない。
※もののけとか千と千尋とかはけっこうロコツにジブリ側が「庶民」に対して口撃していたような記憶があるけども
なので、今若い人たちももっと歳をとって、いろいろ人生経験を積んだ後にもういちど劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観てみるといいと想う。
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