真っ向教育論(16)ばっちい
だいぶ後になってから気づいたこと
子育てしてるとおむつ替えを筆頭に「ばっちい」の連続ですよね
たとえば小さい子はたまに吐きますし、よく食べ物吐き出しますし
よだれでろでろだし😥
基本的に服は汚す気満々だし😅
もともと潔癖症のケがある人って育児においてどう折り合いつけるんだろ?って思いますけど。。
自分、ばっちいのはけっこう平気でした。
てゆーかむしろ得意。。。?
なんで平気かっていうとバイトでトイレ掃除してたからじゃないかなって
それが、後からわかったこと
トイレ掃除って、平常時のトイレ掃除だけじゃないんだよ
有事こそ真価が問われるわけで😥
夜だから、酔っぱらった客が●●したり△△したりするから、それの始末は当然バイトの仕事。。。
トイレひとつしかないし待ってるお客さんいるからスピーディに始末しなければならない。
そんな状況で躊躇なんかしていられない。いろんな意味で躊躇が許されないバイト先であった。。
鍛えられた、とかそういうレベルを超越して、僕はそこで、●●掃除のときは一瞬で「心にふたをする」ことを学んだ(笑)
心にふたをするとは「感情」を発動する回路をストップするということ。
そして作業に集中
そういうケースで感情を発動させるトリガになるのはやっぱ臭いなんだけど。。(笑)
いやビジュアルももちろんそうなのですが(笑)
臭いに対して、「ニオイがしている」と思うだけっていうか。。とにかく臭いと思わないこと。臭いと思った瞬間にやりたくない気持ちが発動してしまうからね。
だから、うちの子らが赤ん坊のときも、いろいろやらなきゃいけないことあったけど、
感情を発動させずスピーディに対応することをこころがけていました。
実際、ビジネスでも有効な手法ではあるね。
たとえば、やらねばならぬ仕事、やりたい仕事、という大きな枠の中には無数の汚れ仕事がある。
単調ワークもそうだしね。泥臭い調整とか?クレーム処理とか。
苦手なステイクホルダのご機嫌とりとかもそうだし
汚れ仕事含めてやらねばならないのが決定しているのだから、そこでいちいち感情を発動させる必要はなくって、タンタンとやればいいだけの話で
いちばん最近では親の介護(?)とかその周辺のもろもろでもいかんなく自分の性癖が発揮され(笑)
ホントこういう自分でよかったと思ったよ
40代も後半になってから。。いや、具体的には去年一昨年の話なんだけどね、初めて深く理解したことは
同世代が社会人として華々しく活躍し始めたころに僕はいろんな人が集まる場末で未明にトイレ掃除をしていたわけなんだけど
それが結果的にはよかったに違いないということ
モラトリアムを経てふつーに(世間でいうところの)社会人になったのは本当に遅くて(しかも結婚のほうが早いっていうのが笑える)そしてそれ以前の人生経験とそれ以降のビジネスに連続性はないと思っていたのだけれど
実は要所要所で、モラトリアム時代の経験が随所に活かされていたってことが後からわかったと
それが、自分の個性を形成する一要素だったんだなーと
トイレ掃除もそのひとつ(笑)
さて
そういう諸々があって自分の中で「持論」として整理されたのは
感情の発動っていうのは消耗品だということね
たとえばいちいちさあ。。。毎日毎日朝のワイドショーみて憤ってたりしてたら、もったいないでしょ。
憤るのであればテレビに対してじゃなくてリアル社会に向かって憤るべきだし
それと憤るばっかりやってると喜ぶとか、ポジティブなほうの感情の発動が抑制されちゃうのね。
毎日毎日マスコミの大本営発表に憤ってれば、そりゃ感情は枯渇しますわ。。。
僕は、感情の発動はじいさんになっても枯渇しないよう、セーブしてるつもりです。
セーブってのは、日常生活でってことじゃなくてさっき書いたとおり、テレビだのネットだの、リアルな体験以外での感情の発動をセーブするってことね。それで充分です
ハレの日にぱーっと使うために普段節約する感覚と同じね。日常では意図的に感情を発動させていいのだと思う。アラフィフにもなると(笑)
孔子も、七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず、っていってるでしょう。孔子は七十っていってるけど。。(苦笑)数千年前とは時代背景が違うから五十でもまあいいかなと
でもまあ、心の欲する所に従ってると怒りしかこみ上げてこない、というのであれば、まだもう少し。。還暦まで待ったほうがいいかもね(笑)
いつものとおり脱線しまくりだからばっちいの話に戻るけど(笑)
自分、「ばっちい」に対してホント鈍感なのね
ただし、家庭内に限るけど。。
つまり(たぶん)潔癖じゃないんですよね
自分が潔癖じゃなくてホントよかったと思う
とにかく、潔癖な人って自分の身体が汚れることを異常に気にして
でも自分の「周辺」が汚れてることをまんまとスルーできる(のは何故?)っていう印象があってね
全員がそうだとはいわないがそういう傾向にあるのは間違いないと思う
だから自分はどっちかっていうと真逆であろうとしてきたのかもしれん
自分の身体が汚れていることにはあまり気をつかわず
。。語弊ありまくりだな。。。
たとえば体臭とかね、対外的に迷惑をかけるレベルまでいっちゃったらダメだと思うよ!
そのぐらいの常識はわきまえてる(はず。。。)
でもそれよりも、まず自分の「周り」をきれいにしようと
いちおう、我が家の掃除担当大臣であるからして。。。
だいたいさ潔癖だったら家の排水まわりの掃除なんてできないっしょ
排水まわりっていうのは家の汚れが最終的に全部あつまってくるところ
いちばん汚い
自分の身体なんかよりまずきれいにすべきはここだろって気がする
これからの時代の父親は家で、育児でも家事でも「ばっちい」ところ全部引き受けたらいいと思うよ。
たとえれば、まあるい掃除よりも角ばった掃除ね。
それ以外はぐーたらしていいと思うよ(笑) ちゃんと外で働くのであれば。。
おしまい