ヴァイオレットエヴァーガーデン雑感その4
初見のよいところ
私は真っ白な知識でまず劇場版を観ました。それは自分にとっては僥倖だったと信じています。いろいろなネット情報をみると、この作品は絶対アニメを観て予習してから観るべし!という論調が多いのですが…
私はそうは思えません。その大きな理由は
「え、義手なん?なんで??」
「何この義手???すごすぎない????」
の衝撃をモロに食らうことができた(映画館の大スクリーンで)からです。
私の記憶が正しければ(おそらく正しくないです💦)最初のほうでヴァイオレットが「私も仕事に戻ります」(安定の、ホッジンズに対する超ツンデレ)からすぐ夜の自室のシーンになりかたかたとタイプしているところから突然の義手のアップ(!)
※ふだんは手袋をしている
この時点で、ヴァイオレットが戦場で両腕を失った描写はなかったと思う。あったのだとしても最初に見たときは気づかなかった。
その後、一本の指が調子悪くなったか何かで、ヴァイオレットが自分で義手を調整する。
ときのメカメカ感!(笑)と音。
初見の人間たちを驚愕させるのには十分でした(笑)
その調子悪くなった左手を見上げてからの回想シーン(戦闘シーンで腕が落ちるのはここの回想シーンだったか)
からの放送事故のような無音状態(画面も動かず)
初見では、あのシーンの意味なぞわからず(今でもはっきりとはわかりませんが)、とにかく、これはただならぬアニメーション(映画)であるということだけはわからせてくれます。
観客(特に我々世代)の思いは「もう十分だよ…涙」
本当に簡潔にひとことで言い表してしまうのであれば、ヴァイオレットが「愛してる」の意味を探す物語、なのですが、
観てる我々の感想:んなこといったかてアンタのやってること…その行動が「愛してる」そのものやで?
っていうことなんですよ。もう十分、十二分に、「ヴァイオレットは少佐を愛している」ことはわかるのです。いってしまえば、アニメのもう早い段階から。
観てる側も、息が苦しくなってしまうぐらい、わかるのです(だから、応援してしまう)
アニメの後半から、ヴァイオレットが「愛してるも、少しはわかるのです」という状態に確変していくが、それではヴァイオレットが、自身が「少佐を愛している」のだということを知ったのはいつなのか?
ていうかアナタ、自分で知らんかったの?(笑)ってゆー…
最後の戦いのときに、少佐(つまり上官)から「心から愛している」と告白され、それに対し「聞いたことのない初めての命令なのでわかりません」と拒絶してしまった女性兵士(本人は、拒絶したつもりは皆無)
まぁギルベルトは死ぬつもりだったのでしょうから、死ぬまえに本心を打ち明けておきたかったという軽い(?いや、軽くはないが💦)気持ちだったのでしょう。
つまり、自分が生き延びてしまって気まずくなるとか軽率な発言を後悔するとか?そんなことはありえないと思っている。だってあの直後にヴァイオレットを突き飛ばして助け、で自分は死ぬはずだったのだから。
でもまあ、実際は生き延びてしまった。でずっと、一人の美しい少女(自分が愛した)を武器として利用し結果的に傷つけてしまった(両腕もがれるぐらいですからねぇ…)ことを後悔する、どころか一生後悔して生きようと決めていたはずで。
まぁそれはいいとして…脱線しそうなので
「『あいしてる』を、知りたいのです!」とホッジンズに嘆願しドールになり、最初はその「命令」の意味を知ろうとする。
やがてそれは、おそらく間違いなく命令ではないなこりゃ…と、代筆をしたり文献を調べたり他人の手紙を読んだりして、わかってくる。
戦争という極限状態で少佐は自分に「愛してる」といってくれた、ということの真実性(?つまり、紛うことなき心からの言葉であるということ)を認識し、つまり「愛してる」といってくれた→「愛してくれていた」と、アニメのほうの終盤でやっとつながるようになる。
それが、彼女の支えになる。(彼女の言葉でいえば「みちしるべ」)
あれ?ということは、
まずは徐々に徐々に「愛してる」の意味がわかってくる
次に、ある日突然?ぐらいな感じで、少佐が自分にあの状態で「愛してる」といってくれたということは少佐は自分を愛していたの?ということを知る。
で、それと自分が少佐を愛していたことを知ったのは、同時なのかな?
いや、どうかな~
なんとなくだけど、我々の知らない、アニメ13話以降、劇場版以前に、確信に至りつつあったんじゃないかなーと思ったりもする。
それが爆発した(させて完結にもっていった)のが劇場版である、と。
ま、これは現時点での結論なので、あっちゅーまに訂正するかもしれません。
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