「感受性豊かに育てる」原理主義者
(突然の思い出し怒りモード笑)
子供が小さい頃って「感受性豊かに育てる」原理主義者が多くて。。
辟易しましたね。
で、ところで、実際感受性豊かに育ったらこの国で、人は幸せになるんでしょうか?
ほとんどの人は、やたらと傷つきやすくなって、逆に生きづらくなってませんか?
そういう人が、やたらと増殖してしまってませんか?この国は。
もっと言わせてもらえば、このnoteに巣食ってませんかそういう方々が(笑)居心地がいいのでしょうね…
楽器を習っていたおかげで音感が豊かになり(意味不明💦)後々役に立っている云々。。
ホントですか?それ。
楽器ができない人が社会に出たら生きずらいんですかね?それよりも逆に、いろいろ習い事をしてきた方々が社会に出ると、あまりに「たしなみ」がない人間が多くて(そのようにみえて)不愉快なことが多いのではないですか?
「たしなみのあらせられる方々」って、世の中の多様性に対して総論賛成だけど実際ガン無視してますよね?
感受性豊かに云々って実はただのプロパガンダで、習い事業界の巧妙な策略ではないのですか?
ちなみに私のオピニオンは。
「感受性豊かに育てる」原理主義者のいってる言葉の定義が間違っていて、
本当にそう育てたいのであれば、習い事を増やすよりまず家庭環境の質を上げることなんだろうと思います。
家庭環境の質を上げるためにはどうするか?それは親が人格を陶冶するしかないんですよ。たゆまぬ努力で。
この事実から目をそむけてる親があまりに多いから、気になってるんです。
週に6回も子供を習い事にほおりだすのってそれ、お金を払って自分がラクしたいだけかもしれないですよね?
言い方を変えると、たとえばスキルとして楽器やスポーツを身につけたとしても家庭環境が「なってない」と、そういう人たちがオトナになると生きずらいんですよ。ヘンにプライドだけが高かったりして。
そして、家庭環境が「なってない」っていうのはほとんどが「隠れ」なんです。
家庭不和とか片親の家庭とかはわかりやすすぎる。一見ふつうに暮らしているようにみえて、実は両親が人格の陶冶を一切放棄しているという家庭のいかに多いことか。
我々親世代は、習い事によってスキルを身につけたかもしれない(実社会では役にたってないけどね💦)。ところで我々世代は、真の意味で感受性豊かになりましたか?
下の世代に誤った感受性を押し付けてませんか?習い事というのは塾と同じで、もっとドライに、スキルを身につけさせるところでしょう。
何かあるとすぐさま「へこたれる」(死語?)ぽきっと折れるような人材を量産しようとしてませんかね?我々世代。
本当に感受性豊かだったらもっと柔軟に生きていけます。