見出し画像

真っ向教育論(14)オラ東京さいくだ

子供とはどっちかっていうとライフ・スタイルについて話すことが多いのかも

どういう暮らししたいの?って

どこで暮らしたいか、どういう家に暮らしたいか

そして、何をしたいか

そこで。その街で。

仕事はあくまでライフスタイルに包含されているにすぎない(と思う)


うちの子らはみなマンション育ちだから一軒家がいいという💦

でもそれは当然だと思う。

そして都心で一軒家がいいという😱

まあがんばってくれ。キミらならできるさ

だって実際、都心に一軒家はごろごろしてるわけだし

そこに住んでいる人が実在してるわけだし

実際、子供らの友人(の親)でそういう人がいるわけだから、屈託なくそういうことを言えるわけで

子供らは生まれたときからど東京なので、自分らのような田舎者の「東京に出る」!っていうギラギラした気持ちみたいのは最初からわからないから

当然自分が若い頃考えていたことを押し付けることはない。

子供らは(うちの子に限らず)まずその点で自分らより自由である

子供らのうち誰かは、反動で田舎暮らしを選択するかもしれないけれど

それはそれでいい。本人が決めることなので

でもたぶん、東京はふるさとだから、やがて何らかのかたちで戻ってくるのだと思うし

長男はスキーをやることもあって、昔はかなり田舎志向だったんだけど、高校上がってからそういうことあんまり言わなくなったな

都心で遊ぶことに目覚めたのだろう(笑)


ていうか、子供らは未来に生きるんだから、多拠点で暮らせばいいと思うしね

そもそも未来人は土地に縛られる必要なぞないんだよね

彼らの未来ではそれほどコストかけずに多拠点居住が実現できるようになっていくのだと思う。

なぜなら、それは現代人が根源的欲求として望んでいることだから

まぁ昔はね。。。たとえば金持ちは避暑や静養の意味で別荘を持ってたりしてたんだろうけども

40年前ぐらいは確かに、都市というのは今より汚くて、「雑踏」で、ゴミゴミしてたと思うし

それに加えて地価が高いとなりゃ、そりゃ庶民はそこに住むことをなかなか選択しようとはしませんわな。

地価が高くとも都心部に住宅を購入できた金持ち層は、平日は都市の利便性を享受し、週末や休暇は空気のいいところに脱出していたのでしょう。

そして庶民は都市と避暑地との中間に住宅を購入せざるをえないという図式

通勤ラッシュは不可避 休日観光地へ行くのは行きも帰りも渋滞

。。。っていうのは、かつての典型的な庶民の暮らし向きの話ね。昔と今と違うのは、東京都心部は各段に空気がきれいになり、生活環境が整備され、週末に田舎成分を吸収せずともストレスを感じず生きることができるようになっているってこと

ただ、インフラがあまりによくなったので、通勤ラッシュの混雑度合いも緩和されているにもかかわらず相対的にますますラッシュの酷さがピックアップされてしまっている

昔よりはだいぶよくなったんだけど。。でも、ますます通勤ラッシュを回避しようとする動きは加速しているので、良いことなんじゃないかな

今はもう夢物語になりつつあるけど、10年ぐらい前までは郊外(といっても23区ぐらい)の地価が上がっているのと比べ都心の地価が横ばいだったりして、相対的に都心の地価は下がった感があった。

だから、通勤ラッシュを避けるいちばんわかりやすい手段として都心に人が流入する。長時間すし詰めの電車に乗らなくてもよい、そして高度に環境が整備されていて住みやすい、となればその流れを止められるわけがない。

通勤ラッシュを避ける手段として田舎に移住する方向性ももちろん否定しないけれど、なんとなくそっち方面で最近良い話を聞かない。

その理由はいくつかあるんだろうけど、省略

いきなり田舎、じゃなくって間をとって地方都市がいいよね。


自分は、幼稚園ぐらいから中2までのうち、2回は家庭の事情でいけなかったけど、だいたい毎年東京へ観光旅行へいってる感じだったから

それはでかかったな、今考えると。

でかすぎた。

なりたい職業はなかったけど、オラ東京さいくだ、っていうのはもう自分の中で既定路線だったのだと思う

という意味では両親に感謝なのか。。。うちの両親が東京への憧れを捨てきれなかった人たちだったということに

その流れ?なのか知らんけど

自分が子供にやってあげられることはもうこれしかないんだと

いい聞かせてね

つまり、「ここで暮らす」ことそのものが子供らにしてあげられること

っていうか自分はそれしかできないしね。

都心で生まれ、育ち、多感な時期をここで過ごすっていうのは、僕自身ができなかったことでもあるし

子供らの感性にとっては決定的だったと思う。

という意味では、責任はある(笑)


子供ら、それと子供らの友達はたまに、シブヤハラジュクはコワくていけねーといいます。

とか言いながら、行ってるんですけど。。。😅

コワいっていうのはコワい人がいるっていう意味じゃなくてたぶん

まず、ダサいと思われるのがコワいっていう意味合い

もうひとつは、シブヤハラジュクに遠くから(他県からも)集まってくる若者たちのパワー、気合いがコワいんだと思うのね

かつての僕ら世代のような!

まぁ確かに、うちの子らが友達とそっち方面に出かけるときの普段着感たるや(笑)

それが「余裕」なんだってことを、本人たちがあんまりわかってないんだと思う

そういうのが、すごくいいなあって思うのね。なんかうらやましいよね。


おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?