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【知見メモ】特異な手法体系と携帯がもたらした集団いじめ進化/250119日
2010年頃、
①特徴的な手法を使う
②組織的な嫌がらせで
③精神病レッテルによる封じ込めを伴う、
新手の社会現象が話題となった。
禁じ手を迷いなく投入するそのあまりの陰惨さに一時話題となり、その反響は数年続いた。
その頃有名なブラック企業アナリスト新田龍氏ががネタ本ではないかと指摘した本を、機械翻訳して読んだ。私の経験と照らし合わせると、驚くほど職場等で行われた特異な嫌がらせと一致していた。
やり口は例えばこんな風だ
・複数人で標的を共有し、ほのめかしのイヤミを言いつづけて、本人が怒ると「自分がそんなに有名人と思うのか」「妄想」とレッテルを貼り封じ込める。そうして怒りに油を注ぎ内圧を高める。
・その人が何か特別待遇を受けているかのような噂を流して、周囲の反感を煽り孤立させる。実際に何か得たわけではない。
この本が出たのは1990年代の半ばだ。実際に読み自分の経験を振り返ると、現場で行われる非日常的で陰惨なやり口の多くが、本当にここから来ているのではないかと考えるようになった。
しかし社会の人のほとんどは、この本の内容を知らないだろう。職場や地域いじめで、実際に使われる状況があることもだ。もしやったことがある人間がいても、自分の使うS ス ト手法体系のどれがどこから来ているか、具体的に知っているわけでもないだろう。
この本のやり口はあまりに狡猾で、市民間の信頼関係を逆手に取るような反社会性がある。私の見知っているS スト社会現象の精神そのものだ。これは通常の社会生活を送る人間の発想から出るものではない。
たとえるなら、出版の数年前に崩壊した旧東側諸国の反体制派弾圧の精神を移植したかのようだった。実際手法には似たようなものもある。この本が出た1990年代ですら、このやり口が出回る影響は深刻だったろう。
ところが00年代の大リストラ時代の日本では、この本に書かれるような、徹底的で悪意まみれの組織的嫌がらせ手法が出回るようになる。
日本の集団いじめの特異進化について、私が注目しているのは以下の二点だ。
旧東側諸国で使われるような、陰惨で相手を滅び尽くすようなやり口が、民主社会の公的な場、つまり職場などで使われるようになった。公共性の問われる存在が反社会性ある手法を使う倫理の問題でもある。
もう一つは、個人携帯が普及する時代を迎え市民のネットワーク化が容易になり、集団いじめが異次元の進化をした点である。
私が炎上後S ス ト手法を使われた時、これまで体験したことのないやり口にかなり面食らったことを覚えている。私の経験では、前述の「標的としながらシラを切るやり口」と「いい思いをしていると嘘を撒かれるやり口」は、実際の社会生活で行われた。
前者は職場や知人、見知らぬ通りすがりによって行われた。後者は、給料をいくらもらっているのか聞かれるという体験がそれである。実際には、全く、何もいい思いはしていなかった。
私は携帯普及が全世代に進んだ00年代に、この非日常的で特異なS ス ト手法が発展したのを特に重視している。
携帯で水面下ネットワークが容易に形成できるようになった。組織を越える連携できるようになった一方で、共謀の機密性が増した。その結果、不特定多数の付きまといが演出できたり、背景が不明な被害の曖昧な証言をさせたりできるようになり、精神病レッテルも容易に貼れるようになる。
この精神病レッテルはS ス ト手法や、今世紀のいじめ・汚れ仕事のキーワードだ。侮辱として決めつけることもあるが、診断により標的を不幸にしたり、不都合な人間を無効化することもできる。スティグマの強い日本ではその結果は重大で、意図的組織的にこれを行うのは倫理面に問題がある禁じ手だった。しかし今世紀に入り、そのタガが外れ、最終的に市民が手を出すまでになるのである。
加えて携帯により、ネットワークコミュニティの機動性、即時性、連携性、モビングの増幅性が飛躍的に高まった。
またより多くが、より少ない相手、つまり「個人」を標的にする構図を可能にした。
より多くが、より狭い範囲を標的にするということは、低リスクにつながる。個々の責任は問われにくくなるし、被害が点であるため、周囲からも見えにくくなる。中傷や切り離しで孤立もさせやすい。
またこれがSスト社会現象の重要な特徴なのだが、S ス ト手法体系は組織的な中傷により孤立を狙う比重が大きい。加害者が多く被害者が個人と極小になるため、周囲の救済の意思が弱くなるのである。
少し列記しただけでも、携帯の普及は、これだけ集団いじめ・モビングの性質を変えてしまった。
今世紀に入っての集団いじめの異次元進化には、携帯普及が深く関わっている。この社会現象の深刻さにおいて、携帯の存在を軽視してはならない。
またSストのコンセプトである「24時間365日一生続くいやがらせ」も、携帯普及により現実に可能とになったのである。
00年代のリストラ時代に使われた手法や同様の現象が、市民に広がり始めるのはおそらく2010年頃である。
それ以降モビング被害を訴える人間による有名な暴発事件が数件発生している。また私の被害が始まったのもちょうどこの時期である。
担い手の市民がどういう属性であるかは不明だ。ネットの噂のように、加害者や被害者が某団体の関係者という事件もあるし、そうでない事件もある。
発生した事件の内容や、私の体験した市民の様子を考えるに、属性だけが問題なのではない。より広範な市民が不特定多数の集団モビングを楽しみ始めたと見るべきだ。
また携帯の普及がモビングの増幅性を高めたという点だが、汚れ仕事等でやり口が拡散したから使い方が変わっただけではない。人々が新しいツールを手に入れ、新しいいじめのやり口に悪用し始めたという自然発生の側面も指摘しておかなければならない。
ともかく、全てではないが少なくない市民が、虐待性が高く低リスクな新しい集団いじめに熱狂をはじめた。
2010年以降の有名な暴発事件を読み解く際には、この増幅性の高まりと新しく生まれた脱法性の高い精神いじめ文化の文脈を外してはならないのである。
ところが、社会の側はこの市民による新モビング文化の真の性質と深刻さに気が付かず、安直に「妄想性」とレッテルを貼って片付けてしまった。
その結果加害市民と、類似の汚れ仕事をする犯罪グループは成功体験を積み重ねたのである。
人々はS ストを絶対に成功する完璧なネットワーク犯罪と思うようになった。当案件では老若男女が参入。最終的に地域の治安を崩壊させるヘイト暴動にまで発展した。
S スト社会現象の現在位置はここなのである。
このように言葉で説明すれば、なんだそういう構造かと軽く思えるだろう。しかしここで重要なのは、
Sスト的なものを認めていない社会、
または偏見が強い社会に生きる市民が、
S ス トの前知識がなく悪意にも不慣れな状態で、
このような解明しづらい状況に放り込まれる点なのである。
別記事に続きます。
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