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全ての場所で2度血を流す被害者/241129
尊厳を踏み躙られた被害者には、少しのリスペクトが必要。国連が言うまでもなく、全ての当事者がそう思っている。だのに被害者は2度3度と血を流さなければならない。
なぜならば被害者になるということは、劣等国民になるということだからだ。
この町の逆ギレ復讐心に駆られた市民が、気味の悪いほど優しくなったのは、自分たちが全く裁かれず、ベタベタに甘やかされた一方で、被害者が悲惨な目に遭い続け、言われのない罰ばかり受け続けたからだろう。
加害者というのは被害者に逆ギレ復讐心を抱く。自己愛とメンツから被害者が散々な目に遭わないと自らの加害を受け入れられない。一度ケチをつけた標的が、なんらかの大きなダメージを負わなければ収まらない。人間の暴力性にはそんなところがある。
ところが被害者に加害をする者は、他にもいる。第三者だ。彼らは惨めでしおらしい被害者を期待する。自分たちの優越感を見たしてくれる存在を求める。へりくだり媚びないと認めてやらない。そのように値を釣り上げマウントを取る。そういう人間もいる。他にも、特別扱いは許さないとか、救済の高騰を招くとか、自分と同じところまで堕ちないと許さんという人間もいる。いつまでも不幸でいてほしいという搾取者もいる。
このマウント第三者も、承認やイニシエーションに際し、有利な立場から被害者に血を流すことを求める。
救済に関わる者が、不作為を糾弾され逆ギレするということもある。日本では忖度で民主国家の社会システムを歪めるなど日常茶飯事だ。パワハラと癒着忖度の強いあたりだと、被害者の塩漬けをしたりドブ板周りをさせたりする。政治的振る舞いを指摘されたのが図星で気に入らないのだ。
この手のタイプもやはり従順でない被害者が酷い目に遭わないと溜飲がさがらない。
こういうものばかり見ていると、人間は相手に傷をつけなければ誰かを受け入れられないようにできているのではないかと思う。
本来損なわれたものとして被害者にはリスペクトが必要なはずなのに、真逆な扱いではないか。で、なぜそういうことが起こるのかだか、おそらく傷物となった同族への異物感やあなどりがあるのだろう。
傷物は一人前の市民ではない。だからマウントや搾取の対象としてよい。傷物で個人だからしわ寄せをしてよい。そんな風だ。自覚なく見下しているから、対等にふるまわれたり、正面から批判されると腹が立つのだろう。それが全てではないかもしれないが、そういう部分は必ずある。そしてそういう表立って言えない本音は、見たくない分言われたら腹が立つ。
標的に選ぶのはリスクも関係している。だから被害者が悪いわけではない。例えば離婚直後で後ろ盾がないとか、経済基盤が弱いとかは、本人のせいではない。ターゲットにするのに都合がよかっただけだ。
しかしそんなことは被害者の知ったことではない。〝わたし〟は人々の捌け口になるために生まれてきた訳ではない。自分を害した憎い人間の業を背負ってやるなど、腹が立つだけだ。
こんな感じで、生贄に決まった人間に繰り返し犠牲を要求する人間の行動パターンは、深刻に考えた方がいい。