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人を腐らせる✖️ス ト文化/241128木


✖️ ス ト犯罪文化の最悪なところは、ひとつにはエスカレートしていつまでも暴走し続けることです。



第二には、あまりに簡単に巨大案件になるため、自分の非を認められない人間を作ります。嘘共謀が平気な人間を作ります。嫌がらせが日常となり、なんとも感じない若者や小中学性を作ります。隠蔽のためならなんでもする人間を作ります。



自分たちが嫌がらせをするのは当たり前。尊厳ある人間をバカにすることに夢中となり、それをやめたくはない。しかし自分の罪は見たくない。告発されるのは許せない。市民のこういう身勝手な振る舞いを生みます。




しかし自分たちの振る舞いが外部に知られたら、酷い批判を受け責任追及される事は必至です。だからそれを恐れている。そのため接点があれば迷わず高圧的な態度を取り、侮辱し、萎縮させて声をあげさせないようにする。機会を見つけては難癖をつけ、優位を保とうとする。このようなことを働く大人が次々にするようになります。




サイバー攻撃をしてでも発信を妨害したい。犯罪で得た情報も普通の市民が平気で共有する。不都合な被害者が犯罪被害に遭っていても、我が身がかわいい。だからちょっと心が痛んでも、そのまま被害に遭って泣き寝入りしていて欲しいと思う。本来自分が負い目を持つ相手なのに、その相手が不幸であってほしいとばかり願うようになる。



地域の不祥事も規模が大きくなると取り上げてもらいにくくなります。公的窓口でも叱りつける。またはたらい回し。不作為。そのように被害者が粗末に扱われるのは、経緯を考えるならば酷い話です。いじめの上に迫害をしているようなもの。



しかし多少心が痛んでも、我が身がかわいいし告発はムカつくから、いつまでも取り上げられないように不遇でいてほしい。大規模ヘイトの町では、主婦層や学生までがそう願うようになります。


本当は裁かれるのは自分たちの方だけど、不都合な被害者が悪者になったり粗末に扱われることのほうが望ましい。。それに正直いえば相手を腹の底からバカにしているし、イジメはとても楽しい。気持ちがいいからやめたくない。いい気味。



こうして、自分の行いに向き合わず、批判も罰も受けないまま、嗜虐性を暴走させ、不公正にイエスをいう人間ができます。


私の住む町ではこのような人たちが少なくない数いるのです。



私が✖️ ス トを、市民が生んだ最悪の犯罪文化と呼ぶのは、人の悪心をそそのかすからです。嘘、犯罪、いじめ、隠蔽や不正が平気な人間を作るからです。人間を腐らせるからです。未成年をモラルの荒廃した人間にするからです。差別をよろこぶひとにするからです。



外部の人で、私の告発に物をいいたい人はいるでしょう。しかしその人はここまで嫌がらせが当たり前の状況については、何も言わないのでしょうか。問題ないと思うのでしょうか。


小中学生が、はらわたまで差別にまみれ、人間を踏みにじり、バカにする日常を経て大人になっていくことに、イエスというのでしょうか。

小中学生や、大学生が、水面下でターゲットの情報を教え合い、示し合わせて集まったり、イヤホン通話で計画的に付き纏うような犯罪行為をしているのに、そのような状況にイエスというのでしょうか。


やっていることは盗撮コミュニティや特殊詐欺、闇バイトと一緒です。


人間は大きな罪を犯した時、それに向き合いたくない思いから、いくらでも悪いことができるようになります。向き合うことができないから無限に罪をおかす。まるでどこかの国に残虐行為を行い世界中から非難されている国のことを思い出しますね。


✖️ ス ト犯罪はそういう市民を生んでしまう。人を腐らせてしまう。子供達を嘘やいじめの平気な人格にしてしまう。


仕事には職業倫理があります。ところが巨大ヘイトを認めたくない町では、働く大人が、自分の仕事を介して得られる接点を、迷惑行為や差別、圧力に利用するようになる。


個人情報漏洩や、人格否定の書き込み、外出などの情報の漏洩をするようになる。それらの個人情報は付きまといなどの迷惑行為や犯罪に利用される。働く社会人が、ありとあらゆるインモラルな行為に平気になる。


加害市民はいつまでもそれをやり続けようとしている。それなのに、あなたは、私の告発を問題視し、この事件の加害者にイエスと言いますか?


まともな人なら穏健にと、最初に思います。私もそうでした。しかし告発逆恨みの報復行為や、差別への執着は凄まじいものがありました。そもそもこの規模の事件の告発で、そう簡単に行くと思いますか?


元々グレー手法を尽くした✖️ ス トはかなりの難物です。逮捕や裁判を避けるよう避けるよう発達した脱法体系だからです。それなのに外野のあなたは、公職のあなたは、言葉だけキレイなことをいって、被害者に負担をかけ、現実には不可能なことをさせようとしていませんか。


いつも思うのは、加害者に言及する言葉がないことです。被害者にばかり焦点を当てたがるのは、あなたが加害者に媚びているか、加害者の数の暴力を恐れているかです。


私もできるだけ穏健なやり方で社会認知を図ろうと思います。しかしこの事件の加害者を許すことはないと思います。おぞましい、穢らわしい、醜いと思っています。


だって向き合うのが嫌で、いつまでもこの関係性を続けようとしているんですよ。蛇蝎のように嫌うのは当たり前のことです。


我慢ならないのは、長く対峙している間に、一部の加害市民が私に親しみを感じ、知り合いのように振る舞うようになったことです。


嫌がらせや侮辱をしたり、集団で付きまとう関係性は固定されたままです。私とコミュニケーションを取ることは、侮辱や嫌がらせを介してするものだと思っている。そのような関係のままなのに、まるで知り合いか友達のようにどこかで思っていて馴れ馴れしい。

図々しいにも程があります。穢らわしい。軽蔑し、嫌うのは当たり前のことです。巨悪をなしながら、被害者を犠牲にすることで栄えるなど、恥ずかしいにも程があります。


実際加害市民は、おそらく長期のひどいいじめを経て、認知が歪みきっています。脳に報酬系ができて依存症のようになっている。


だから自分で自分の行動を修正できません。自分でやめることはできません。自分の罪の大きさに向き合いこともできません。息をするように罪を犯し続けるだけです。


残念ながら、依存状態の加害者に、事件を解決解決する力はないと思います。


私はこの事件で、仕事や家庭崩壊は望まないとの立場を表明してきました。


しかし小中学生や大学生、主婦層、働く大人が依存症のようになり、息をするように迷惑行為をしているのを見て、この人たちにこの事件を収束させることはできないと思うようになりました。


それで私はこの春から、機会があれば逮捕者を出してほしいとの意思を伝えています。各所への情報提供で希望するのはそれだけではありません。事件にふさわしいペナルティは、公正な解決に必要です。


夏ころから多少心が痛んだのかやめたりする人ももでてきましたが、ちょっと悪かったかなとテヘペロで済む事件ではないと思います。あまりに加害の事実を軽く考えすぎだと思います。


事件にふさわしい厳しい批判と、なんらかのペナルティは必要です。加害者責任とはそういうことです。




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