
【HP記事】 当事者がたどり着く2記事/もはや対応しないという選択肢はない/250223日
当事者がたどり着く2記事
公的情報として、集団嫌がらせ被害者が、たどり着く2つの記事があります。
一つは、2012年に公開された、
J-CAST ニュース「『ガスライティング』ーブラック企業が社員を辞めさせる手口」
ブラック企業アナシスト新田龍氏に取材した記事です。ちなみに新田氏は、汚れ仕事としてのS ストの公的記録を残した、S スト史のキーパーソンです。

もう一つの記事は、2017年に公開の、
ウーマンエキサイト(woman excite)
「規制は困難? “集団ストーカー”の実態と被害にあった時の対策」

認めてくれた記事は解決を否定
この2記事は、大手メディアではないものの、S スト社会現象を否定していない点で、非常に貴重な公共ベースの情報です。事情通や証言による実例を紹介し、内容に具体性もあります。
しかしどちらの記事も、市民による新しい集団嫌がらせ文化について、対応困難とのニュアンスを示しています。おそらく、この記事の書かれた時期、公的窓口や社会で耳を傾けてくれる人たちもこのような認識だったと考えられます。
むしろ今の方が、理解がないかもしれません。S スト界隈の情報汚染はひどくなっていますし、社会に対する陰謀論の悪影響の増大もあります。S スト被害はいつの間にか、「あるけど対応困難なもの」から、「聴く価値はない完全否定するもの」へと、評価が変わってしまっているのです。
解決困難のイメージは被害者を絶望させた
この2記事は、界隈をさまよう被害者を絶望させてきました。ようやくたどり着いた、被害の実在を示す記事が、解決を否定しているのです。
しかし本当にS スト被害は対応ができないのでしょうか。それがそうでもないのですが、今回の記事では説明を省くことにします。ともかく、この「解決困難」とのイメージが、S ストにまつわる関係者の行動と深く結びついていきます。今はこのことだけは覚えておいてください。
S スト被害者の暗数は存在する
一方この2記事は、S ストの実在を肯定する視点で書かれ、具体例もあるため、“自分はおかしくなっていない”と被害者に自己肯定感と安堵感ももたらしました。
記事の具体例は非日常的で、やり口は執拗かつ陰湿、強い悪意を印象付けます。このS ストの具体例なのですが、実は収集が難しく、信頼できる筋の情報は多くありません。信頼できるケースの少なさ、そして判定の難しさが、記事本文にあるように「実態がわからない」状態につながっているのです。
しかしこの記事からわかる重要なことが一つあります。この社会現象の全体の状況はわからなくても、暗数は存在しており、少なくとも一部は陰謀論や妄想と決めつけられないという点です。
2025年2月現在、当事者ではない方がこのnote記事を読まれると、意外に思われるかもしれません。被害を認める記事が存在すること、ソースとして信頼できる人物がいること、S ストへの評価にも変遷があったこと、案数が社会に存在すること。現在の社会の認識では、これらは無いことになってしまっているのです。
状況が変わり「逃げる」が通用しなくなった
この記事の存在は貴重なのですが、内容は古くなっている点に注意が必要です。この記事の書かれた時期、まだS スト被害は、職場や地域などまわりの組織集団や、地域の限られたコミュニティ内部限定で発生していました。一部の例外は、県境を超えて行われる一部宗教のS ストと例外的な炎上事件です。
しかし時の経過につれ、この2記事にあるような、S ストは対策不可能という雰囲気を背景に、Sスト的な嫌がらせは、「参加する人が増え(一般化)」、「手法は一層過激化・巧妙化」しました。
加えて当案件のような※一部の案件は、市民による過激主義という時代の空気を吸収し、手のつけられない成長を遂げています。
一般化していると見て ヘイト暴動化に注意
現代のS スト対策とは、
・一般化し日常的に行われる案件の対策
・過激主義や集団嗜虐性と融合し個人を滅ぼしかねない案件の対策
の両方を意味しているのです。
この2記事の想定する被害規模や、「逃げたら良い」という消極的次善策は、もはや通用しません。
対応しないという選択肢は取れなくなった
こうなっては、被害当事者も、相談を受ける公的窓口も、地域社会を支える行政も、対応しないという選択肢は取れなくなります。S スト社会現象の現在位置と対策には、この状況の変化も念頭においておかねばなりません。
認知と対応のケースも出てきた2025年
しかし希望もあります。一般化・大規模化・過激化が進んでいるということは、認知しやすい状況が生まれていることも意味します。案件やケースの増大も、客観的証拠となります。
時代の変遷と同時に別物に進化しているけれども、もはや陰謀論では隠せない時代がきているといってよいでしょう。また当案件のように、行政や地域社会が解決に乗り出したケースも存在します。この意味は非常に大きいので、そろそろ「解決困難」とされる時代は終わりを迎えそうです。
※中国地方炎上事件