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今月15日の規約変更少し前からTwitterでは仮ラベル祭りらしく、なぜか私も引っかかった。

連投が長かったのか、スパムをフォローしてしまったのか、自分の投稿よりRTが多すぎたのか(私結構しゃべってるよね?)、積み上げツイが悪かったのか、ミュートが多すぎたのか、理由ははっきりしない。今日政治向きの投稿をしたからかもしれない。

そういえば最近朝の積み上げツイの常連が減っていると思ってたんだけど、もしかしたら仮ラベルや凍結祭りで活動できなくなっているのではないか。相互さんがもらっているいいねも減っており、影響はあるところにはあるような感じがしてきた。

私のアカに関しては、テストに合格したあと、ウワサを頼りに1日分のRTといいねを解除したり、ミュートを減らしたり、最近フォローしたスパムっぽい垢をリムーブなどしていたら、2時間ちょいでフォロー数が戻った。

夕方のうさぎチャレンジは試しに投稿してみたが、いつもと表示回数は変わっていない。そもそも普段宣伝やいいね周回はしていないので、表示回数はそんなに高くない。


それに考えてみたら人間証明テストに合格した直後からいいねもリプもRTもできていて、他の垢からも見えていたから、テスト合格後は通常使用できていたのではないだろうか。


今日ここで書く日記は、健在であることを示すためと、同じ目にあった人に役立ててもらうためと、今日Twitterで喋りたいことがあったためである。


毎日こなすタスクは決まっていて、その予定通り毎日手を動かしている。
記録を残したり何かを研究するということは、せわしないSNS時代に、時代の流れから背を向けて立ち止まることを意味している。
今SNSユーザーの中では、時代や情報の先端を掴み続けることに価値が置かれている。常にインプレッションを稼ぎ、見栄え良く踊り続けなくてはならない。
そんな中で、記録や研究をするということは、一見時代に取り残されているように思えるかもしれない。しかしこれは存外大事な作業なのだ。たとえ立ち止まった見た目がダサくても。
何かを作ろうと思ったり、残そう、変えようと思ったら、時間がかかるのは当然のこと。勉強もそうだ。そういう制作・習得の時間は、浮ついて踊りたくなる心を捨てて、一人にならなくてはならない。一人の時間を十分にとらなくてはならない。そういうやり方でなければ、残せないものがこの世にはある。
SNS以前は皆そういう風にしていた。しかし今黙って座り集中するのは難しい人には難しいだろう。
残すべきものが残らなくなり、中身が薄くなり、その一方で一般受けする発信や研究などがチヤホヤされたら、ここ20年とこれからの時代の残すべき情報は、以前と異質のものになるに違いない。



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