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【メモ】 記録で後悔はひとつもない


もしあなたが特殊やり口の集スト被害にあったときのために覚えておいてほしいこと。被害は書き留めた方がよいです。記録がなければ、時間が経ち被害がやんだ時、過去あれだけ悩んだ被害が、気のせいか夢まぼろしのような気がしてきます。

加害者はおそらく被害者が覚えきれなかったり、忘れることも想定して物量(モビング)を仕掛けています。その思う壺にはまってはいけません。

私の被害は随分減り、まるで何事もなかったような雰囲気になってきました。全体としてはそんな状況です。

しかしいざ被害が減ってくると、嫌な気分、心の傷は確かに残っているのですが、今度は自分の記憶に自信が持てなくなってくる。そういう時に記録の出番が来るのです。

記録は期間限定でもよいですから、できるだけ朝から晩まで、すべての被害を書き留めるようにする方が望ましいです。記号でも記録のための移動地図テンプレでもなんでも活用し、工夫して残してください。のちに慣れてきて、主な被害だけ書き留めるのもありです。

地域いじめや職場いじめなどの場合、被害が多くなると短期記憶でもすべて覚えておくのが難しい。そのため、起きたタイミングでこまめに残すよう、自分を訓練する必要もあるかもしれません。当日の被害すら覚えきれないようでは、翌日書き留めるのは無理です。それに翌日はまた新しい被害が生じそれに対応せねばならなくなります。残すのはその日のうちが原則です。余すところなく記録するのは、誰が使える被害記録かその瞬間ではわからないからです。記録を続けていくうち、目が養われ、背後のつながりなども見えてきて、得るものは増えていきます。

一時的でもすべて残すもう一つの理由は、被害の全体量を示す指標となるからです。

集団物量いじめ(モビング)は、被害者を疲弊させ、記憶力を飽和させ、対応力を奪うのを想定して仕掛けてきます。モビングの効果は、経験上直感的に理解できます。加害者側の、生物としての本能がそうさせるのです。

私の場合は、10年間くりかえし自信喪失の波と闘ってきました。しかしその都度、書き出した被害リストと毎日の記録が私を支えてくれました。

リストづくりなどで記録を眺めると、あの苦しかった日々が一気に蘇ってきます。自分の判断や、記録行為が間違いなかったと、自信を取り戻すことができます。この自信と、記録の存在ゆえに状況をコントロールできるという自己効力感が、心の筋肉となります。簡単には折れない心を作ってくれるのです。

さて、ためしに記録を紐解いてみましょう。窓を開けると、息もできないような砂漠の熱風が吹き込んできます。人間の下衆さや悪意は、匂いに喩えてもよさそうなものです。しかし度を越したいじめや、エスカレートした暴力は、もっと激しいもの、被害者を根こそぎ殲滅するくらい苛烈なものです。

またこれらの暴力や集団心理は、加害者も狂わせます。熱風が人々の脳を麻痺させ、思考を奪うのです。

過酷な記録に、あなたは泣くかもしれません。体調を崩すかもしれません。しかし忘れないでください。あなたは鍵を握っています。記録がなければあなたは抵抗の手段を失っていたかもしれません。記録と追及は相手を恐れさせますが、記録を取らねばあなたは破滅させられていたかもしれないのです。記録は自信を取り戻し、人生のコントロールを取り返す手段となり得ます。人格否定で一旦は力を無くしたとしても、くりかえし世界に語りかけ、自分の言葉と尊厳を回復させていってください。書き留めることはそれくらい意味があるのです。

私は一時期はほとんど記録ばかりの日々を過ごしました。そのために体も壊しましたが、当時の記録があるから今があります。本当に記録に関しては取ってよかったと思うことばかりです。

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