【日記】220830(火)官邸ポリス長官退任劇/自民と警察は宗教免責でも身を正せ
退任した中村前長官は警察の変質を体現したような人でした。民主党政権から第二次安倍政権に交代する際に、土下座の勢いで留任を願い出たり、伊東詩織氏の被害を握りつぶしたり、政治家家族への露骨な忖度をしたりして、公権力の私物化の実行役としての中心人物でした。
安部前総理の強権的振る舞い、省庁の過度の忖度や倫理の放棄は、その背後に日本の凋落があるのでしょう。組織外の要因もあるとはいえ、現在の警察の劣化はひどいものがあります。
たとえば中村長官の権力に執着する一連の振る舞いです。中村前長官は政権移行時に官房長官秘書官留任にこだわり、岸田政権誕生直前には(国民の避難の中)警察庁長官に収まりました。庇護者の安倍・菅元総理の影響力がなくなるのに合わせたような行動です。今年7月の安倍元総理銃撃事件の後も、警護失敗の引責辞任の形を拒んでいたといいます。デイリー新潮によると、引責辞任では将来官房副長官として返り咲く道を断たれるからという理由のようです。
岸田政権時の警察庁長官就任は、権力維持を図ったか、安倍元総理の警察行政への影響力保持のどちらかが理由でしょう。第二次安倍政権時の留任への執着心、大物政治家への憚りのない忖度、警察庁長官へのタイミングのよいスライド、官房副長官への欲、一連の行動を俯瞰して見てみると、中村元長官は権力欲と憚りない忖度の人であった、ということができるのではないでしょうか。
確かに、中村氏ご本人の要素もあります。警察庁の立場の弱さはコンプレックスを生んだでしょう。安倍元首相は傍流の人材を重用する手法を取りました。中村氏をはじめとする官邸ポリスの出世は安倍氏の手法にのったものです。また警察組織自身の問題も中村氏の行動の背景にあることは想像できます。警察庁や地方警察にも、バブル崩壊後日本が陥った経済衰退にともなうモラルの後退や、ネット時代の捜査力低下の焦りがあったかもしれません。これらの点を考慮に入れても、やはり中村氏の行動は批判されるべき点が多く、氏の人格が出ていたと考えられるのです。
安倍氏銃撃事件を受けての警察庁長官の交代は、8月30日に行われました。実はこの日、世間は俳優の香川照之のセクハラ乱行事件がデイリー新潮でスクープされ、ネットもその話題で持ちきりでした。その騒ぎの陰で、評判の悪かった警察庁長官の交代が行われたのです。そのため、昨年の官邸ポリスの警察2トップスライド人事時に起きたような、ネット民の反応はありませんでした。昨年は警察庁フォームに抗議の書き込みがあるほどの反発があったのです。
安倍・菅政権時の官邸ポリスの様々な忖度や政権の私兵ぶりは、警察行政への国民の信頼を裏切り、警察への好感度も落としました。個人の権勢や省庁利益といった目先の利益を優先したため、見えない多くのものを失ったと思います。誇りの持てない職務は、雑な業務や組織の腐敗や志願者の減少につながったでしょう。国民の反感は協力の拒否という形で、現場に悪影響をもたらしたと思います。
それがここにきて、さらに旧統一教会問題から、警察行政の国民への背信行為が明らかになりました。2009年まで統一教会の摘発に動いていた警察が、政治圧力に屈し、同団体を摘発対象から外した事実が明らかとなったのです。
このように警察が特権的優遇をする前例は、古くは創価学会という先例もあります。1981年に創価学会の弁護士山崎氏が法務省と警視庁の創価免責に応じた話を暴露したのです。現在もネットでは創価案件は事件化しないとの噂が絶えず、私の事件でも警察が事件化に応じないという状況が続いています。もしかしたら創価案件は事件化しないとの不文律が現在も存在するかもしれません。
また、この騒動では統一教会優遇で口利きをした元警察官僚と見られる議員は雲隠れしたままです。旧統一教会もんだいは、確かに政治と反社会的組織との関係の問題ですが、その中の重要な要素は、政治家のモラルだけではなく、民主国家のシステムを歪めた点にあるのです。この点がいつの間にか語られなくなっています。また政治と結びつきの強い宗教との関係を問題にするなら、創価への免責やネットの噂、わたしのような事件化されない集スト被害者についての疑問に答える必要があると思われます。
旧統一教会や過去の創価の刑事免責は、たしかに宗教や政党、政治家の問題です。しかしそれでも警察は当事者なのです。国の根幹のシステムを歪め、国民を欺き、不利益をこうむらせ、その事実を国民にに隠していたのですから。
集ストの被害者である私には、旧統一教会の免罪状態は他人事ではありません。私のケースはこれだけ周知活動をしても事件化もされないし、社会的にも認知されない。その理由としては、集スト案件や、既得者案件だからではないかと考えられるからなのです。
私はたまたま集スト被害者でこの10年の警察の事件化対応に不信を抱いています。同じように国民も、最近の警察行政には失望しているのではないでしょうか。
警察行政は国民の関心が高い。アンチや反感ばかりが目立ちますが、掲示板の投稿など見ていますと、反感だけではなく公正に業務をしてくれという言葉も書かれています。関心の高さは、警察への恐れや反感だけではなく、憧れもあるでしょう。そして公平であってほしいという願いの表れでもあるのです。そうでなければ、これほど多くの警察ドラマは生まれませんし、その内容も好意的ではないでしょう。
警察組織も、公権力の私物化に節操のない自公政権も、一度徹底的に自分たちの身を正してください。日本国民は従順に見えて政治腐敗に厳しいとの国際調査があります。今回の統一教会問題への国民の反発はその表れです。
かつてあれほどバッシングされた伊東詩織氏へ世間の反応も見てください。今では伊東氏を支持する声が圧倒的に多いのです。そして中村元長官をはじめとする官邸ポリスへの反感が消えていないのを見てください。
自民党も省庁も、目先の利益や強権的振る舞いで、実は多くのものを失っていることに気づいてください。安倍国葬への反対多数は、安倍氏の強権的振る舞いや自民の度重なる逸脱ぶりが背景にあると考えています。
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