【ショートショート】痛いときは痛い
著:戸森くま
私の歯は虫歯になりやすいので、高校生の時、かかりつけの歯科医院の先生から親知らずを早めに抜くことを提案されました。
最初の二本は特に問題なく抜けたのですが、三本目(確か、右下の歯だったと思います)を抜く際に「前よりも麻酔が効いてないな」と感じました。私の表情に気付いた先生は「あ、まだ痛いかな」とすぐに麻酔を追加してくださり、私はそれに安心して再び大人しく口を開いたのですが――
あれ、やっぱりまだ痛い。
痛かったら遠慮なく言ってね、と事前に言われていたので、今思えば普通に「痛いです! もっと麻酔を増やしてください!」と言えばよかったと思います。
しかし、いきなり話題が飛びすぎて申し訳ないのですが、当時私の通う高校では『魔人探偵脳噛ネウロ』が大流行しておりました。結果、世の人間は余さずSかMかで分類出来るという視野狭窄な人間観に染まりきっており、幸か不幸か私は級友達から、満場一致でドMの称号を頂戴していたのです。
麻酔はついさっき追加してもらったばかりですし、にわかではありますが、私は曲りなりにもドMの称号を得た身です。ここは痛みすら喜びに変えてみせようではないかと、完全にトチ狂った思考に陥りそのまま治療を続行してもらいました。
結論から言いますと、痛みは喜びには変わりませんでした。
痛みに号泣する私に、「痛かったら言ってね」と何度も言ってくれた先生は「ごめんね、ごめんね」と謝ってくださり、私は罪悪感に胸がしめつけられました。私はドMの風上にも置けない、ただの平凡な人間でありました。
その後、『魔人探偵脳噛ネウロ』を読み直し、松井優征先生はSとMの価値観で人を描くことにより、逆説的にSとMだけで人を分類は出来ないのだということを仰りたかったのではと気付きました。
多様性を尊ぶ時代に、世の人間をSかMかで二分しようとした私が愚かだったのです。痛みにより新たな知見を得た、十七の春でありました。