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女だけど弱者男性の気持ちがたまに分かる
(※これは女性批判をする投稿でもなく、フェミニスト批判をする投稿でもなく、根暗な女ただ一個人の愚痴を吐いてるだけ)
X等でたまに見かける「女に〇〇すると訴えらえる」系のポスト。
炎上した有名なのだと「女にAED使ったら訴えられる」、あとは「職場で女にアプローチしたらセクハラだと訴えられる」とかもたまに見る。
特に前者は命にもかかわるような言説を広めているので悪質極まりないが、
私は女だけど、なんとなくこういう発言をする男性(弱者男性?)の気持ち、というか、
”どういう場面を思い浮かべながら発言しているのか”は想像できてしまう。
例えば、以下のような場面は残念ながら女性でよく見る。
ヒソヒソ陰口をあたりまえのようにしている
嫌悪感を露骨に表に出す
被害者づら
間接的な人間関係コントロール
間接的な支配
これらの場面が、私の脳裏にも浮かんでくるのである。
相手を差別しているのに被害者づら
私の会社の先輩女性社員に、好きな相手や地位の高い相手と、そうでない相手とで露骨に態度を変える人がいる。
その人は、大人めな地味な社員に対応する時だけ、あからさまに、
「いやだ~」
「なによ~?」
という態度で、自分の好き嫌いで嫌悪感をあからさまに出す。
(あからさまな差別、「あいつキモいよね~」って空気を作ろうとする。)
しかも、差別している側(加害側)なのになぜか、被害者のような雰囲気まで出してくるから始末が悪い。
地味な社員側は、酷い態度で対応された挙句、被害者づらでその責任を転嫁されてしまうのだ。
「女に〇〇すると訴えらえる」系のポストを見ると、
多分ポストした弱者男性は、自身のそういう理不尽な経験を思い出して書いているんだろうなって想像できてしまう。
上記のような女性は、割とそこそこの確率でいる。
残念ながら毎回コミュニティに1人はいる。
もちろんそうじゃない女性の方が多いが、まあ男性側の心に与えるインパクトはこういう理不尽な女性の方が大きいだろう。
プチトラウマになってしまうのは想像できる。
また、このような好き嫌いによる差別の難しいところは、差別の基準があまり明確ではないことだ。
「男性」「女性」のように分かりやすくカテゴライズできる属性での差別ではない。
好き嫌い差別を、被害者側が立証するのは困難だし、
そもそも被害を言語化するのにも高度な言語化力を要する。
(相手とのそれまでの関係、日ごろの行動、文脈や話の流れなどを言語化する必要)。
もし被害を言語化できたとしても、男性は”弱音を吐きづらい”という社会的な障壁もある。
99.99%が泣き寝入りになることは想像に難くない。
「女に〇〇すると訴えらえる」系のポストに同意はしないが
(そうではない女性が圧倒的大多数なので)、
どういう場面を思い浮かべているのか想像はできてしまう。
傍観という名の許容
また、上記のような理不尽な場面において、
理不尽なことをしているワガママ女子はたいてい気が強い。
よって、周りの女性陣もそれを止めずに「傍観」をする。
ようするに「許容」する。
このような経過が当たり前なのに、
何らかの出来事で女性全体が差別対象になったときには、
「女性差別反対!」と徒党を組んだりする。
これ、弱者男性側からすれば「???」って感じじゃないだろうか。
「え、そんなに人を尊重する人たちでしったっけ??」って。
え、俺は?
え、ダブスタ?
って内心モヤモヤしてそうなのは容易に想像がつく。
だって、普段から”人を尊重する”って姿勢をもってたならわかるけど、
普段は人をいいように使ったり、大人しい人が踏みつけられていても見て見ぬふりだったのに??
わかりやすく「女性」「差別差別反対」という標語ができたからそれを盾にしてマウントとってね?
俺には適用されないの?俺への差別反対はしてくれないの?
って思ってしまうだろうな。
そりゃあ「男だってつらい!」みたいな弱者マウント返しが出てくるのが人情だよね。
私も女でありながら、大人しい男性と同じカテゴリに入れられることが多い根暗オタクだから、たまに同じことを思ってる。
「女性差別反対は私も同意だけど、なんでこの人たち、だいたいは差別する側だったのに、差別に耐えてきた側みたいなムーブしてるの?モヤモヤ」
(※もちろん女性差別反対の声を上げることは、非常に大切なことだ)
自身の加害性には無自覚
ネット空間では、主にフェミニズム的な文脈で「男性は自身の加害性に無自覚だ」みたいなことがよく言われる。
私もそれには同意だが、加えて「女性も自身の加害性には無自覚」じゃんとよく思っている。
どちらも、相手の立場への思いやり・内省の欠如という点では同じだ。
しかも、女性側の加害ってすごく分かりづらいし、言語化しづらいんだよね・・。
ヒソヒソ陰口(相手に間接的な嫌がらせや圧力をかける)
嫌悪感を露骨に表に出す(相手を傷つけ冒涜する)
被害者面(相手に責任を転嫁する、相手を罪悪感でコントロール)
人間関係コントロール(スクールカースト1軍のような雰囲気を作り出せばそのコミュニティを思い通りにできると思っている)
間接的な支配(聞き出したり、恩を売ったり、悪口を伝えたり)
まず加害の内容が言語化しづらい。
しかも、なんとかこの陰湿な加害を時系列で文章化して訴え出ても、「考えすぎです」「気のせいです」で回避できてしまうものばかり。
なんなら「私の方が被害者です」という究極のカウンターでこっちが完全に潰される可能性も。
っていうか徒党を組んだ女性の集団に世論操作では勝てないから、これをパワハラ・モラハラで訴え出るのは中々のリスクだ・・。
じゃあ男性/女性に差別的になってしまったらどうすれば?
じゃあ、「女に〇〇すると訴えらえる」系思考だったり、
その逆の「男なんて〇〇」系思考から抜け出すにはどうしたらいいのか?
私自身は女だが、男性差別的になったときもあるし、女性差別的になったときもあった。
だから、「女に〇〇すると訴えらえる」系思考から抜け出せない人の気持ちはすごくわかる。
理系なので研究室にいた時には、男性差別的になっていた。
(女性を品定めしたり、エロにしか興味がない、女性にうんちく説教して承認欲求満たす道具にする男性多い、上下を決めたがるなど)
女性が多いかつドロドロした職場にいた時には、女性差別的になっていた。
(派閥、陰口、褒めてコントロールしようとしてくる、うまく使われる、好き嫌いで嫌いに分類されると被害者づらしながら差別してくる)
↑ これらの状況下にいた時、私の視点は偏っていた。
研究室の男性が全てではないし、会社の女性が全てではない。
でもそこで、
「男なんて/女なんて6000万人もいるし、そういう人ばかりじゃない」
と理論で言われても、私の心は変わらなかっただろう。
周りがそういう人ばかりだから、
「そういう人ばかりじゃない」を心で理解できない。
結局どうやってそういう差別的な偏見から抜け出せたかというと、
人間関係ガチャを回しまくった。
私生活で「女性の悪い面」が強く出ている友人と縁を切った。
そして、転職をし優しい人の比率がめちゃくちゃ高い会社にたどり着いたからだ。
今の会社は男女比が半々ぐらいで、
男性は、穏やかで紳士的、説明も丁寧、マウントなんてしない人ばかり。
女性は、優しくて親切、さらっと気づいて助けてくれる、噂や受動攻撃なんてしない人ばかり。
男女それぞれの良い面ばかりが出ていてすごく居心地がいい。
(やっぱ男女比って半々ぐらいが一番いいよねとも思う)
そういう環境にいれば、自然と周囲を肯定できるようになる。
理屈でなく「いい人もたくさんいる」と心から思えるようになる。
要するに周りの人間関係を入れ替える。
「居心地が良い」と思えるまで入れ替える。
「〇〇差別」をしたくなくなるまで入れ替える。
「〇〇なんて」を言いたくなくなるまで入れ替える。
それしかないな~というのが正直な実感。
(まあ、なかなかできないし、大変だよね。)
人間の思考は、その人単体のものではない。
周りの環境や人々によってどうしても大きく左右される。
それまでの体験とか。
でもそういったものから一切切り離された形で、
「女に〇〇すると訴えらえる」「男なんて〇〇」系のポストだけがX上に投げられる。
で、それが炎上して批判される。
この流れが、人間社会から人々の情緒や物語を奪っているようにも思える。
(悲しかった時)人は強い者が好きだと思い知った
よく「女性は強い男が好き」「弱者男性は眼中にすら入っていない」
というのを見かけるが、これは私もそうだなって正直思うことが多いかも。
基本的に女性はコミュニティの情勢に敏感だし、
強い側に入りたいみたいな(ある意味スクールカースト的)な動きは大人になっても残ってるよなって思うことが多々ある。
これに関しては私ももうあきらめてる。
職場の女性で、フェミニストを公言していて、
女性の権利とか、パワハラセクハラ防止について朝会でよく発言していた女性がいて、私はその人を応援していたのだけれど・・。
中途入社でかっこよくて優秀な男性社員が入ってきて、
その男性はとても仕事ができるのだけれど、会社の展示会とかでは展示会に来ているイベントコンパニオン女性の写真を撮りまくるような人だったんだよね。
なのであまり倫理観や他者の尊重って観点では微妙な人だった。
でも、前記のフェミニスト女性は、理由を作ってはこの男性社員に毎度毎度話しかけていた。(双方既婚なので別に恋愛アプローチではない)
今までその女性を応援してきていた、地味な私や、地味な男性社員との話は余裕でさっさと切り上げる、ようするに雑に扱うのに、カッコイイ強者男性(倫理観は微妙)には理由作ってでもガンガン絡んでいくのか・・・。
それによくみたら、このフェミニスト女性、会社でのやり取りの時間の80%ぐらいが強者男性とじゃん。(女性の方が多い会社なのに)
「女性の権利!」とか言いながら、女性社員とは対話少ないし、強者男性社員と話してばかりだし・・・。
このことに気が付いた時、すごくショックだった。
私は踏み台というか、応援してくれる便利屋だったのかなって。
でも還元する相手は強者男性なのかなって。
私がその女性に優しくしていたのは応援していたからで、もちろん性欲ベースではない。見返りを求めていたわけでもない。
でも雑に扱われるとやっぱり悲しい、とても傷つく。
この時、なんとなくアンチフェミニストの弱者男性の観点が分かった。
弱者男性の目線から見ると、多くの女性は己をあまり尊重してくれない。
なのに「女性の尊重」を謳っている。その矛盾。
男性が「弱者男性は眼中にすら入っていない」という言葉を吐くときの、
その奥にある心の痛みが分かった。
嫌でも理解できてしまった。自分のことのように。
(※当然これは、フェミニストであるせいではなくて、
このフェミニスト女性が従来はマウント気質で、
「女性の権利!」を「私正しいマウント」に使っていた人だったというだけの話。
私がそれを見抜けなかっただけの話。
普段から他者への尊重のない人の行動を見ず、言葉を見ていた私の間違い。)
でも、モヤモヤというかショックは残ってる。
少なくとも、「女性の権利!」を声高らかにマウントの道具として使っている人に権力が渡ったところで、根暗女性の私の権利も、弱者男性の権利も何も向上しない。
それどころか、より踏み台にされるだけ。
キラキラアピールの、「私たちは正しい」アピールの踏み台に。
アンチフェミに同意はしないが、どういう場面を思い浮かべているのかは想像できてしまった瞬間だった。
(※フェミニズムを否定するために言っているわけではない)
(※私自身もフェミニストである)
(応援するなら、普段から他者を尊重する姿勢のある人を応援すればいい。これからはそうする。)
(でも、「強い者が好き」の人が大半だし、私はやっぱ踏み台になるだけな感覚も消えないや。愚痴。)