私は何と踊っていたのか
はじめに断りたいことがある。
この記事は「ぼたんさん」という
かつてこのnoteにいた
1人のnoterさんについて書かれた記事である。
私は彼女とこのnoteで知り合い
そしてお別れをした。
お別れをした日から、時間が経過する中で、今ここに留めておきたい気持ちが、私の心に少しずつたちあがってきたので、朧げながら書くことを試みてみようと思う。
なので、ここから先は関心のある方
または彼女と交流があった方
のみ、読んで頂ければと願っている。
なお、記事のコメント欄は閉じることにする。
全ての理由はここでは述べないが、私が皆さんから頂いたことばや気持ちに対して、まだ何かを打ち返す自信がないというところが一番大きい。
本題に入る。
「Dance」という物語を先日書き上げた。
その中では「失われていくものと人はどのように共に生きていくのか」という一つの私の問いに対して、登場人物をそこに向き合わせてきた。ある者はそこから逃げたり、ある者は自分を変容させたり、ある者は他者の力をかりて、自分の心を自由に飛び立たせることに挑んだ。
ぼたんさんはここで出会った頃から大きな病を抱えていた。彼女はすでにそのことを公表していて、病状については、noteなりスタエフなりで発信し続けていたから、彼女のフォロワーさんは、きっとその後の経過についてもご存知の方も多いであろう。
けれども、6月に彼女がこの世から旅立つ前。
冬くらいから春、そして6月にかけて。
その間は発信も限定されているものも多かったので、彼女がどのような経過を辿ったのか、一部の人しか知らなかったのではないかと思われる。
全てを語る必要はないと思っている。
それは当時も思っていたし、今も同じ思いではある。
もし、知りたいと思うのであれば、それはぼたんさんとぼたんさんのことを知りたい人の関係性から成り立つものであって、そこは私が関与することではないからだ。
しかしながら、春ごろに、私と関わる人たちには部分的に内容を伝えていた。
それは、さまざまなイベント(大きなものではブックカフェや文フリなど)の中で、私のできることを役割として担わせてくださった人たちへ、私が今できること、そして精神状態について報告しておくことが、双方にとって望ましいと思ったからである。
けれども、その中においても、極力最低限の話にとどめようと思った。
私が願うのは、イベントがうまく達成すること。私がやらせてもらった役割が無事に楽しくこなせること。
その2点であるからして、私の思いをそこにはさむことは、余分なことであると私自身が思っていた。今でもその考えをあらためる気持ちはない。伝えたことで気遣ってくださった方には感謝をしている。
2月に再発の告知があった。
ぼたんさんはすぐさま、スマイルスイッチのメンバー(れおさん、舵星さん、私)に連絡をしてくれた。
私はそのくらいの時期から、彼女のそばにどのようにして自分がいられるのか。そもそもいていいものなのか。いたいと願っても、それが彼女にとって大きな負担にならないか。
失っていくものに対して、共にいること。
私自身がDanceを書きながら
私がぼたんさんとどのように
在りたいのか。
そんなことに対して、随分と悩んだ。
所詮、SNSで知り合った仲だと言われたらそれまでのこと。
死にむかっていく道のりは、おそらく私の想像をはるかに超えるものであり、気持ちを分かち合えるという時限の話ではないこと。
しかし、私は彼女のことは好きであったし、大事な友人の1人であった。
ぼたんさんが3月に急変して入院した頃に、私は同じスマイルスイッチのメンバーである舵星さんと連絡を取った。
彼女はぼたんさんと毎日連絡をしあっていることを教えてくれた。
そして「もしよければくまこちゃんも入ってもらって3人のグループLINEを作らない?」と私を誘ってくれた。
そこから、亡くなるまでの毎日。
私たち3人は毎朝連絡をしあった。
正確には5月くらいから、ぼたんさんはメッセージを送ることや携帯を確認することが、ままならなくなっていた。
それでも3日に1回くらいは既読にはなっていたので、気にしてくれていたことは感じられた。
私は毎日写真を送った。
花の写真が多かった。
あまり外に出られないであろう彼女に、少しでも季節の変わっていく様を見てもらいたかった。
亡くなった日に、めずらしく彼女からメッセージがあった。それはことばがことばとして形を成していないものであったが、私はそのメッセージを見た時に、彼女が最期に何かを私たちに伝えようとしていると直感で感じ
「ぼたんさん大好きですよ」
とひとことメッセージを打った。
そこから約3時間後に、彼女の旦那さんからメッセージがあった。それは、彼女が天国に旅立ったという内容だった。
舵星さんが、彼女の告別式に参加した。
告別式は家族だけで執り行われるということであったが、旦那さんは「かじさんもぜひ来てもらった方が妻も喜ぶから」と言ってくださり、参列してくれたのだ。
私はその頃、新潟にいた。
旅行しながら、新潟の山を見ながら、時々ぼたんさんのことを思い出していた。
毎朝、LINEをしなくなった。
私の心に穴が空く。
やるべきことが一つなくなった。
メッセージを送らなくていいことに、戸惑う。
花の写真を撮っても送る相手はもういない。
noteは亡くなった当日にれおさんが記事を書いてくれた。きっとぼたんさんのフォロワーさんなど、届くべき人には届くと思った。
だから、私はもうそれでいいと思った。
ぼたんさんのまわりの親しい友人には、私から伝えられることがまだまだあって、それを伝えながら共に悲嘆にくれた。
それぞれがそれぞれの中にぼたんさんがいて、私はお話を聞かせてもらう中で、私の中のぼたんさんも振り返った。
そして、一番時間を共にしてきた、共にdanceを踊ってきた仲間である舵星さんと、先週お会いすることができた。
私はかじさんに
「プラネタリウムを見に行きませんか?」と提案した。
彼女からは「銀河鉄道の夜のやつにしよう」と言われ、2人でそれを鑑賞した。
会ってそうそう、乾杯をした。
慣れないビールをこの日は飲もうと決めていた。
4月に最後に直接お会いした時にぼたんさんからもらったぬいぐるみを私は持参していた。見ればかじさんも同じくもらったぬいぐるみを連れてきていた。
考えることは同じだった。
ジョバンニとカンパネルラ。
カンパネルラは銀河鉄道に乗車している間、何を思っていたのか。
「みんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」と話したジョバンニは
物語が終わってから、どのように自身の物語を紡いでいったのか。
銀河鉄道の夜のプログラムは、KAGAYAさんがプロデュースしたもので、かじさんがぼたんさんが亡くなった日にメッセージで「ポストカードを買った」ということをたまたま伝えていた。
ぼたんさんの最後のLINEのメッセージは、本当に彼女が打っていたと、ぼたんさんの旦那さんがその姿を見ていたことを、かじさんが教えてくれた。
このプログラムは、鉄道から見える景色を描いていたが、私が本を読んで思い描く景色より、ずっとずっと神々しくて、きれいで、素晴らしいものであった。
アンタレス。Danceにも出てきた赤い星。
銀河鉄道の夜にも蠍座の話が出てきた。
私は意図して書いていなかったが、全てが繋がっているような錯覚を覚えた。
カンパネルラにとって最後の旅路であったとして、私も走馬灯のようにこの景色が見られるなら、どれほど素敵なことなのかなと想像を膨らませた。
「ぼたんちゃんもそのような景色が見えていたのかな」と、プラネタリウムが終えてから、かじさんがぽつりと独り言のように話した。
ぼたんさんが目が見えづらく、手元が震える状況で編み物が編めなくなった時に、旦那さんが塗り絵をしたらどうかと、スケッチブックを手渡したそうだ。
そのスケッチブックに、ぼたんさんは私の似顔絵を描いてくれた。
かじさんが彼女に最後にお会いした時に「これ、くまさん」とにこにこしながら教えてくれたその絵を、かじさんは写真に撮って送ってくれていたが、遺品の一つとして、かじさんがスケッチブックを持ってきてくれた。
私は現物を見て涙を流した。
似顔絵を描いたのは私だけであった。
私への絵は個人的なものでここではお見せしないが、他にも5枚ほど、字や絵を描いている中で、私は1つの絵に目を奪われた。
これほどいのちがあふれていて、力強い絵はないと思う。
こうやって公開していることに「やめてよ、くまさん」と怒られそうな気もする。
新潟の山をふと思い出す。
ぼたんさんが超えた山の向こうに思いを馳せる。
「あの世に逝く時にね、その人の好きな人や大事な存在が迎えに来るんだって」
「私は家族は思い浮かべられないんだ。たぶん昔飼っていた犬が来てくれると思う」
「くまさんが逝く時にはさ、私が迎えに来るから覚えていてね」
「勝手にそんなこと言ってて、迷惑だったらごめんね」
いつかどこかで、私に語ってくれたことを、私は忘れていない。
いつか来たる死について、わからないからこその不安は大きい。けれども、この時の彼女の提案は、私が向かっていく死に対しての心的負担を、なだらかにしてくれたものであることは間違いない。
彼女が残したものは、目に見えないものとして、脈々とどこかに、息づいている。
それは、私だけではなく、昨年ぼたんさんが目標にしていた、寄付した32個のケア帽子の行きつく先でもあり、スマイルスイッチの作品を購入された方たちの中に届いていると信じている。
サムネイルはぼたんさんに最後に送った写真となる。
鳥のように
歌うように
喋る人だった。
私の女神。
今もどこかでお散歩していることを想像する。
星が導くもの。
あのかがやきは星が消えてしまったとしても
いつまでもあかりのように
心を照らしてくれて
その熱を
私もいずれ誰かに託せるように
在りたいと切に願っている。