お母さん、いいんだよ
ニャークスのヤマダさんに、お久しぶりの気持ちをこめてこちらに参加します。
ちなみにヤマダさんと言えば花丸恵さんと企画されていた#100文字の世界でご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
※こちらへの投稿期間は終了しております。
私が以前投稿させてもらったのはこれ。
懐かしいですねー。
そして、今回の企画概要はこちらです。
「集めたスケッチはWeb展覧会を模してマガジンに集約していきます。」との事。
文字だけで場面を切り取ってなるべく写実的に繊細に表すというのは、どちらかというと不得意分野なのですが、ちょっとこの前出会えた良い場面がありますので、そちらで書いてみます。
宿泊した大浴場で私は湯船につかっている。時刻は21時過ぎ。湯はさらりとして肌触りが良く、温度も適温である。利用客は私を含めて今は3人。露天風呂に1人。サウナに1人。私は浴槽を独占している。
浴槽の広さは10畳程度、長方形の形をしている。右斜め前の吹き出し口から循環湯が絶え間なく流れ出ている。時々勢いのよいお湯のしぶきが私の肩にはねる。私の前方3m先はガラス張りの窓になっていて、そこから露天風呂の景色が見える。とはいっても、ここは温泉施設ではないので、猫の額程度の狭さの露天風呂と周囲を目隠し的に竹の柵で囲われたスペースで、壁の外はおそらく大都会の街中の景色であるし、月と星空も当然目にすることはできない。
もう、15分程度浴槽につかっている。体はすでに芯まで温められていて、本当は脱衣場に出ていきたい気持ちでいっぱいだ。じわりと額から汗をかきそうである。
しかし、先程までこの大浴場を賑わせていた先客たちが、今は脱衣場にいるので、おそらく混み合っているのだ。
私はしばし待つことにした。
少し経って脱衣場の影も少なくなってきたので、浴槽から出て、タオルで体を簡単に拭き、石のタイルの上をひたひたと音をたてながら脱衣場まで歩く。
曇りガラスの引き戸をガラガラと開ける。少し冷えた冷房の空気が入り込んでくる。脱衣場には5人の先客が洋服を身につけたり、大きな鏡の前で椅子に腰掛け、各々過ごしていた。
私は自分のロッカーの前まで歩き、鍵をさして扉を開けた。バスタオルを取り出し体をふきあげる。タオルをロッカーに置いて、先程脱いだ洋服を身につける。それが終わると、私の長い髪の毛が肩周囲の衣服を濡らしてしまうのでタオルを肩にかける。
ふと、横を見ると女の子がいる。
女の子は髪の毛が濡れていて、ツヤツヤ光っている。入浴後で頬がほんのりと赤い。そして、もう1人の女の子が横にいて床に座り込んでいた。1人は3〜4歳くらい、座り込んでいる子は2歳くらい。そばには1人のメガネをかけた30代位の女性がせわしなく荷物をまとめている。集中していて表情には余裕がなさそうだ。子供たちの荷物を次々と袋に入れ込んでいる。おそらく娘2人のお母さんなのだと推測した。
女の子のお姉ちゃんの方は、手持ち無沙汰なのか、キョロキョロしたりその場を歩いたりしている。私と目線が合う。じっと見て、また視線を外して落ち着きがない。
お母さんらしき女性が「ほらここに座って」と妹と思われる女の子の肩をつかんで、鏡の前の丸い籐の椅子に座らせる。女の子は大人しく座りながら鏡の自分を見つめている。お母さんはドライヤーのスイッチを入れて女の子の髪の毛に角度をつけて当てる。
お姉ちゃんの方が「ねーママ、お水飲みたい。」とお母さんに訴えた。
お母さんは妹の髪の毛を揺らしながら、一瞬お姉ちゃんの方へ顔を向けて「うん。ちょっと待っててね。」と言いながら、再び髪の毛に視線を戻す。
私は右側にペダル式の水飲み場があることに気づいた。横には紙のコップが置かれている。張り紙があり、お客さん向けに無料で利用できると書かれていた。
とはいえ、女の子の身長と、ペダル式の水飲み場の高さを比べると、水飲み場の方が圧倒的に高いので、女の子の背は届かず、利用できないことはあきらかであった。
私は水飲み場のペダルを踏み込んだ。水が出口から上方に小さな放物線を描き、真ん中の穴に吸い込まれていく。
コップを傾けて水を入れる。女の子は私の動きをじっと見ている。
彼女は「お水があそこから出るんだ」という発見と「お水をこの人は飲めるんだ」という憧れのまなざしと「もしかして私にくれるのかも...」という期待の入り混じった顔をしている。アイスティーに注ぎ入れたミルクのように感情がくるくると回る。
水はコップの7分目くらいになり、私はコップを放物線の線上から外すと同時にペダルから足を下ろす。女の子の視線をこめかみのあたりに感じながら、お母さんらしき女性に話しかける。
「お水をお子さんに渡してもよろしいですか?」
お母さんはお子さんの髪の毛に今まで集中して取り掛かっていたせいか、状況を飲み込むまでに2秒程度かかったが、全てを理解したのか「ありがとうございます。お願いします。」と笑顔になった。
お姉ちゃんは私から水を渡され
こくっこくっ
と勢いよくコップを傾けて飲み始めた。
よほど喉が渇いていたのか、一気に飲み干して、そして私に向かってにこっと微笑んだ。
それを鏡越しに見ていた女の子も「私も!」とアピールした。
お母さんは困ったような顔をされていたが、私は先程と同様に水を注ぎ入れ、お母さんに会釈をしながら彼女に渡した。
彼女はちびちびとお水を飲み始めた。傾けたり、戻したり。
お母さんは「ありがとうございます」と再度私に向かって礼を言った。
私はこういう場面で思い出すことがある。
一つは私の母のこと。
我が子である三姉妹をかかえて、様々な場所へ連れて行ってくれた。母の手は二つしかないので、長女の私は必然的に母の手をつなぐことはなく、母の両脇にはいつも妹たちがいた。私は少しさみしさも覚えつつ、姉としてしっかりとした態度を取ることで、母に迷惑をかけないように心がけていた。特に今回のような大浴場では、母はやはり妹たちのお世話をすることに一生懸命だったので、自分の事は二の次にしている姿を、私はいまだに忘れることができない。姿が重なる。
もう一つは私と子供の事。
同じように私も自分の子供が小さい頃は、こんな様子だったのだ。1人を抱え、1人に声をかけて、自分の事も同時進行で進める。なかなか気持ちに余裕もないし、まわりを見渡す余裕もなかった。そういうもんだと思ってた。
私はお母さんに笑顔を返した。
それと同時に
「お母さん、いいんだよ。」
「私も通ってきた道だから。がんばってね。」
と心の中でつぶやいた。
私は人に少しばかりでも役立てたことにほっとしたと同時に、過去の自分を助けているような、認めてあげているような、そんなあたたかい気持ちとあたたかい体で、大浴場をあとにした。
以上です。
旅先の一場面でした。
ヤマダさん、楽しく書かせてもらいました。ありがとうございました。
興味がある方は、皆さんもいかがでしょうか。まだまだ募集していると思いますので、気になる方は参加してみて下さいね。
それではまた。