私の山崎まさよし論【あなたのアイドル企画参加】
「この人、テレビ慣れしてないな」
第一印象はそんなイメージだった。
彼は(彼自身がそんな事は望んでいなかったと思うのだが)初めてのドラマ出演を果たし、たくさんのメディアに番宣のため顔を出していた。
よくあるドラマ出演者たちが集まってクイズやゲームに参加している場面や、バラエティ番組、音楽番組、どれを見ていても、マイクを持つ手が落ち着かず、一般的なタレントさんのように自己主張もせず、前にぐいぐい出ていかず、緊張してるのが嫌でも伝わってくる。
私の1998年(17歳の頃だ)はちょうど私のひきこもりも真っ最中の時期で、やる事もなく、時間を持て余していた。それで何となく、普段は興味のなかったテレビドラマを、10月〜12月のシーズンだけ観ることにした。
「奇跡の人」は午後10時から始まる日テレ系のドラマで、内容的には「ありえないだろ」と言う位のトンデモ展開を見せるストーリーで、同シーズンの「眠れる森」(←これも好きだったけど)なんかに比べると、真面目なシーンでも妙に昭和感を感じたり現実離れしすぎていて「これは半ばコメディなんだな」と思うシーンもある反面(今は亡き植木等さんが出てたり、お笑いのハナワさんが出ていたり出演者もかなりバラエティにとんでいる)、私はこの小説原作をまる無視しているありえない物語に不思議と惹かれていた。
その主役を演じたのは
私の好きな山崎まさよしさんその人であった。
彼がミュージシャンという認識はあった。
高校の時の友人が彼のファンで「水のない水槽」や「One more time, One more chance」の人なんだなというのは知っていた。
このむちゃくちゃなドラマを見続けていられたのは、徐々にこの山崎まさよしさんから目が離せなくなってしまったからだ。
私は彼の出演する番組や掲載されている雑誌を意識して見たり買ったりするようになった。
そこでわかったのは、彼自身が慣れた相手であればある程、一気に緊張の糸がほどけて、くだらない滑りがちの関西弁を交えたギャグやテキトー発言を彼が頻繁に繰り出していることだった。
(スペースシャワーTVはデビュー初期の頃から彼のおもしろい企画やドキュメンタリー番組を作ってくれているので、ファンとしてとても感謝している。)
様々な言動を見ていて結論に至ったのは
この人は
「人見知りの普通のお兄ちゃんなんだな」
ということ。
同じく極度の人見知りとして、妙に親近感が湧いてきた。
そして、それと同時に
そんな普通のお兄ちゃんが繰り広げる
高度なギタープレイや
シンプルで等身大で親密な歌詞
ライブでもCD以上に表現される伸びやかな歌声にプロフェッショナルを感じた。
何より一番惹かれたのは
笑顔
である。
彼はテレビと違って、ライブで歌っている時はとっても嬉しそうで、それが表情や言動に全て表れていた。全身で喜びを表現している姿は、雨上がりの散歩の犬のようで、こんなに歌っていて楽しそうな人見たことない!と私は強く感じたのだ。
そう、彼は私のアイドルであるかもしれないけど、
一方で、私の生き方のロールモデルとなっている。
こういう風に生きていきたい。
私はかなり彼の影響を受けている。
当時のひきこもり期間の、世間から全く存在感のない、生きている価値もない、半透明人間であるかのような薄っぺらい存在を少しずつ肉付けしていくように、山崎まさよしさんの色が私の中に混ざっていった。
だから私のやや豪快な笑い方はたぶんまさよしさんに似ていると思うし、村上春樹好きや洋楽の好みは完全にまさよしさんの影響そのものである。
そんなまさよしさんの好きなところをいくつかあげてこの記事を終わりにしたいと思う。
①楽しめ!
何事も楽しんでいるところが好きなのだと思う。明らかに事務所にやらされている仕事(主に俳優業だが)も、いつもそれなりに、それはそれで楽しんでいるような気がする。
そして、ずっと「ギターを弾くのが楽しい」「まだまだ上手くなりたい」と言い続けているところがいいなと思う。
昔のインタビューで「もし、自分に子供が生まれて一言だけ言うならなんて言いますか?」という問いに対して
「楽しめ!」
と答えていたのが印象的である。
(ちなみに彼の息子さんが、うちの息子と同い年なので、そういうところもファンとして嬉しいところだったりする)
②緊張してしまうところ
テレビで緊張しているのは、最近は少なくなってきたものの、やはりテレビ慣れしてないなといまだに思ってしまう。ラジオはけっこうはっちゃけていて、下ネタとかギャグに脱線しがちなだけに対比が面白く、ファンは「あーまた緊張してる」と思いながら見ているのだと思う。
まあ、ポールは誰だって緊張しますわな、そりゃ。しょうがないよね。
③義理固い
2001年に発売された「transition」というアルバムの制作はNYに半年くらい渡米して作成されたものだ。
彼は急にふらっと1人でアパートメントをかりて、1人で住んで、1人で外国のミュージシャンを探して、アルバムを完成させた。(その間、東京FMでレギュラーラジオ番組を生放送でやっていたので、NYの生活ぶりを聞くのが毎週楽しかった)
当時「なぜNYに渡ったのか?」と様々な人の取材に対して「日本から離れたかった。1人になりたかったから」と彼は答えていた。
しかし、つい最近である。本当の理由を話し始めたのは。
「アナザースカイ」というテレビ番組で、彼はこう話していた。
この話をずっと今まで話さなかったところが彼らしいなと思った。
④言動が好き
ロッキンオンジャパンかなんかのインタビューで衝撃的だったのが
「楽曲はうんこみたいなもんや」
という発言であった。
自分が取り入れたものを消化して自分から出ているから、うんこなんだ。
と、言っていて「あんなきれいな歌や楽しい歌は全部うんこなのか....」と読んでいて大変驚いたし大変笑ってしまったのだが、私も今、非常にこの感覚がわかるような気がする。
というのは、私も自身の書いたものはそうだと思うから。
記事に関しては、出してみて自分の状態がわかることもあるし、出したものが相手にどう思われようが解釈されようが、あまりそこに執着はないのである。(もちろん反応はどんなものでも嬉しい事に変わりない事は補足しておく)
もう一つはNHKの企画番組でブルースマンのロバートジョンソンを足跡を求めてミシシッピーの旅に行った時の発言。
(この番組はとっても大好きなのだが、長いのでスルーしてもらってよいと思う。私のために貼っているところもある。お気になさらず。)
番組の最後の方で「今回の旅は(旅の風景として)歌にはできると思うが、自分は一旅行者なので...僕は東京に住んでいるから、東京の歌は書ける。その場所にいって物が熟れて実になるのはやはり時間がかかる。そのためにはその土地に木が生えていないとダメだと思う。音楽がその土地に根付いていることがよくわかった。」と話している。
これを聞いて私は「この方は非常に物事に対して真摯な方なんだな」と思った。「この旅でロバートジョンソンの事がよくわかりました!」と言わないところがいいな、と思ったのだ。
⑤1人であること
彼はシンガーソングライターである。そして、アルバムやライブによっては全楽曲と全楽器を全て1人でこなしている。
彼はどこまでも1人であることを大事にしている人なんだなと折にふれて感じている。
そう思った理由の一つは、幼少の頃にいじめられた体験がある事。9歳の時に滋賀県から山口県へ引っ越した際に、関西弁や態度をからかわれ、クラスメイトに無視されていたそうだ。「いつもひとりぼっちだったし、映画をたくさん見たり好きなことを探し出していた」と話している。そして、デビュー前の上京後も1人で過ごす時間が多く、マネキン運びのバイトなどをして不安な毎日を過ごしていた。原体験として1人の時間があった人というのは、弱さも強さも独特なものを兼ね備えていて、それが魅力になっていると個人的には思う。
もう一つの理由はあえて1人になる時間を作っていること。「1人でいるほうが、訳わかんなくておもしろい」「自分が何していいのかわからないし、果たしてそこで何をするんだろうというのが興味深い」とインタビューで述べている。と、同時に「1人じゃ生きていけない」という発言もしている。「自分と他者を繋ぐもの。パイプ(コミュニケーション)がないと...俺の場合はそれが歌ってギターを弾くこと」との発言から、彼が外界と繋がる生きていく手段として、今の仕事を大切にしている事がわかる。
一時期「孤高の」とか「孤独の」とか、やたら崇高なイメージで取り上げられがちな時期もあったが(特にロッキンオンジャパンは他のミュージシャンもそうだけど、そのような意味づけをするのが好きなんだなと思う)
そんな大それたものではなくて
「ただ1人であること」
を楽しんでいて「個に戻るからといって『俺からこれが出た』ということではない。1人になればなるほど周りで関わった人たちを介している」という発言も個人的には面白いなと思っている。
※おまけ
タワーレコードによく通われた方は「NO MUSIC, NO LIFE」のポスターをご存知だと思うが、その一番最初のポスターは山崎まさよしであった事がファンとしては何気に嬉しいのである。
という訳で
今回は長々とまさよしさんについて語らせてもらった。
ミュージシャンなのに曲を紹介しない私はどうにかしていると思うし、こんなマニアックな話、誰が読むんだろう…とは思うのだが、今回は企画参加という事で、承知して頂きたいと願う。書かせてもらった感謝を述べてこの記事を終わりとしたい。