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石膏アートにふれて【なにものでもないものとなにものでもない私】
前回の続きです。
石膏アートのイベントに参加して感じたことを書いています。
私がイベント中に石膏で作った作品は、最終的に3つになりました。
1つは前回ご紹介したちょっとおいしそうなこの子たち。
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あと2つはこの子たちです。
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それで、この3つめのカラフルくんなのですが(勝手に名前をつけてみた)こいつは完全に偶然の産物でできた代物です。
と、いうのも、私は上記の2つを卵パックで作ってけっこう気持ちが満足しちゃっていたんです。
けれども、ふと手元を見ると、使いきれなかった石膏がまだプラ容器に残っていました。
『このまま残すのもったいないな。』
と考えた私は、もう固まりかけているその石膏を地面に敷いたビニールの上に
何にも考えずにひたすら垂らす
ということをしました。
それが
非常に楽しかった。
だってこれがどうなるか
どんな形になるかわからないんですよ。
スプーンですくって上から落下した時に
石膏を混ぜた直後だったらクレープみたいに平らになるのですが
もう固まりかけていた石膏は粘性が高いため、平らにはならない。
でも、そのままの形でもなく落下の衝撃で形が崩れながら乗っかる。
この時私はしゃがんで作業しながらすごくにこにこしていました。
なんなら「ふふふ」と1人で笑ってもいました(我ながらキモいな)
そしたら先生が近づいてきて私の様子を見ていたので
「ただ垂らしているだけなんです。
こうしてるだけでまったく何も意味はない。
けれどもそれが楽しい。」
と話しました。
先生は同じような笑顔を返しながらうんうんとうなづかれて、その場を去りました。
私はしばらくして固まった石膏に色をつけました。それでできたのがこのカラフルくんです。
作品が完成してからは、みんなの作品を白い模造紙の上に集めました。
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そして、先生から普段のアートの取り組みの場面を動画と共にご紹介して頂けたり、みんなで輪になって、本日の振り返りをひとりひとり話す機会がありました。
先生はご自身のお話の中で私のことも話題に出されました。
自分が作る作品というのは今までの自分が受けた影響が入り込んでいる。
なので、過去の記憶と結びつくことは意識的にしろ無意識にしろ絶対あるのだと思う。
だから自然とそこに意味合いを持たせたくなってしまう。
前回の記事でも触れた「ままならなさ」というものに身を任せるという体験が、今後の社会で必要になってくる。
そのままならさの中でぐっと底が深くなる。一段広がる経験ができると言うのです。
『「ただ私はこうしているだけなんです」と〇〇さん(私の名前)が言っていて....もう、私はこれだけなんですとある意味主張されていた。それ以上でもそれ以下でもないと。でもそれを楽しんでいらして....こういうことって普段はなかなかできない。意味のないこと意味を求めないことをやることを共有できたら良いと思っている。」と先生は話されました。
私は自分の感想の番になった時に以下のように話しました。
「私が仕事で接している人はみなさん保険サービスを利用されています。体や心に何か病気があったり障害を持っている方たちです。
その人たちは社会の枠から外れてしまったような気持ちを抱いています。自分の思う、他者の思う「こうあるべき」から外れてしまった人たち。
そしてみなさん、普段は病人であったり障害者であったりといった役割を自然と担わされています。自分で自覚しているもの、社会から押し付けられているもの.....。
私は今回、この石膏の塊と対峙している時。
石膏はなにものでもないものとしてそこにいて。
私はそのなにものでもないものと向き合っている時に
私もなにものでもない人だったように思います。
石膏と私が向き合う時。
私は石膏と対話しながら
私は私を感じていて
私と対話もしているのかなと感じました。
普段お仕事で接している方たちと共に生活のことを考える中で
今回の体験が、なにかとてもヒントになっているような気もします。」
先生はうなづいてその場では特に感想を話されませんでした。
会はおひらきとなり、私の友人が近づいてきたので、とても有意義な時間が過ごせたと彼女にお礼を伝えました。
彼女は「あなたもこの後....スタッフではないけれどもこの場に残って話していったら?先生とお話しできたらいいと思う。」とすすめてくれました。
私は彼女の提案をとても嬉しく思いましたが、すぐ彼女にお返事はせずに、お昼の時間を過ぎているので、家族に相談しなければ...と連絡を夫に取ろうとしていました。
そこへタイミングよく先生が近づいてこられて、私に話しかけてくれたのです。
次回は先生とお話ししたことを書いてこのイベントの報告は終わりにしたいと思います。
つづく。
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