第一幸楽荘
※写真はイメージ
神戸市長田区堀切
第一幸楽荘
コレが私の産まれてすぐの住まいの名だ
文化住宅
同じ建物が向かい合って対になっていて二階建て
裏口が向かい合わせの結構個数の多い文化住宅
真ん中に側溝があり
それを挟んで奥さんたちが内職をしていた
長田区は靴の町
ソールを貼り付けるボンドの臭いがツーンとして子供心にクサかったのを覚えている
そんな記憶にはいつも雨の湿気を感じる
文化住宅には雨が似合う
もう一棟第二幸楽荘が隣にあった
全部で三棟
現存している規模でここまでのは少ない
四歳までの住まいだったが
この頃の記憶は鮮明に覚えている
今には絶対にない濃厚な近所付き合い
同じ年頃の子供を持つ(幼馴染み)
隣のおばちゃんの母乳を飲んで育った
コレはあとから聞かされた話で私の記憶にはない
そんな第一幸楽荘も
阪神淡路大震災で半壊
私が母乳をもらったおばちゃんも
震災当時まだ住んでいて大変だったと聞く
今は少し離れた所に住まいを移している
今はもう取り壊された第一幸楽荘跡地
震災後何年か経って実際に見に行くと
戸建ての家が並んでいたが
そこまでの通路は以前のままで
懐かしさは十分にあった
今ならGoogleマップでポチポチするだけで
見られるけど当時はまだガラケー時代
神戸市長田区堀切
この周辺は一部のマニアに大人気で
YouTubeなんかで結構上がっていて
懐かしさもあり私も見つけるとつい観てしまう
地形が独特
山を無理やり削って山と谷
今や廃墟だらけ
廃墟マニアにばかうけ
崖の上に住宅がある様な坂と
超絶急な階段だらけの
ゾンビゲームの中の世界感、、
そのうちの幾つかの階段はウチの叔父(他界)さんが中心になって作ったと聞く
私が住んでいた頃はこの堀切と言う土地に
親戚がたくさん住んでいた
週末になれば本家(階段の叔父さん)へ行き
とにかく人が集まるのが好きな家系だった
それももうこの土地に親戚どころか
知り合いすら居ない
でも記憶が鮮明で建物こそ変わってはいるけど
雰囲気はあまり変わっていない
堀切はまだまだ文化住宅の宝庫
久しぶりに足を踏み入れたい
私が文化住宅に引き寄せられるのは
あの頃の幼い私の思い出を追っているのかもしれない。