9/8 岡田斗司夫ゼミの感想

 どうも、クマゴロウです。
 今回は読書特集ということで、無料部分の『デジタル生存戦略ー誰が生き残るのかー』についての感想をいくつか。
 とりあえず徒然書きです。


21世紀型の支配者について

 帝国、〈帝国〉に続いて新たな形の支配者が出てきた、という流れは、社会性という言葉の変化かもしれません。
 「社会性」は辞書で引くと以下。

1 集団を作って生活しようとする、人間の根本的性質。
2 他人との関係など、社会生活を重視する性格。また、社会生活を営む素質・能力。「—のない人」
3 広く社会に通じる性質。社会生活に関連する度合い。「—の強い文学」

デジタル大辞泉(小学館)

 1.と3.に関してはこのままなので今回は置いておいて、変化しつつあるのは2.の社会生活を重視する性格という部分。
 ちなみに「社会生活」は以下。

社会の一員としての生活。

デジタル大辞泉(小学館)

 社会の一員が、どの範囲になっているのかという話。
 私の周りの社会はどこまでか。人間はおそらく、小さな集団、集落から始まり、人口増加とともにムラや国といった形で社会の範囲を拡大してきて、それが技術の発展により国境を越え、世界中が社会の範囲になっていると思います。とはいえ、実感として世界に繋がっている人と、そうではない人がいて、大部分の人は「世界と繋がっている実感のないまま繋がっている」という感じになっていると思います。
 具体的には、スーパーマーケットで国外産の食品を購入する、国外の工場で生産した商品を使う、YouTubeやInstagram、Amazonといったサイトを利用できている、など現代においては当たり前のようになっています。そしてそれについて特別意識することは無いでしょう。たまに中国産の野菜は買わない、みたいなことを言う人がいるくらいかなと思います。
 そんな感じで、私たちの周りの商品やサービスは驚くほどに多国籍化しており、むしろ今から鎖国をしては生活がままならない状況ではあります。近代の日本までは「舶来品」や「フランス製の煙草」みたいな、その国の何かといった意識はありましたが、今では、特定の生産国がステータスになるような商品(スイスの高級時計)みたいなもの以外は、どこの国で作られているかなど、まったく意識することは無いでしょう。

 また、それらの商品やサービスについても、どこの国の誰がどのようにして私たちの目の前に提供しているのかなど、考えることはないでしょう。僕もそうですが、スーパーで売っている豚肉を、豚の状態から屠畜できるとは思えません。誰かがやってくれた薄切りの豚肉を食べています。
 最近『ゼロからトースターを作ってみた結果』という本を読んだのですが、あらゆる工業製品が原材料の採掘から加工の工程を経ているという事実に私たちは気付かない、ということに衝撃を受けました。これを書いているPCはどのような物質で構成されているか、プラスチックという個人的には絶対に作ることができないもので世界が出来ている驚きです。

 これらのことは、私たちが生きている社会というのが、いかに知らない人の影響によって成り立っているか、そして私たちはそれを「意識しなくても生きていけるか」ということに繋がります。

 誰もが他人を意識なくても回り続ける世界では、21世紀型の支配者のように「あらゆる大衆から富を吸い取ることができる」者たちが現れるのですが、それには大衆には無限の資産があることが前提となっていて、そしてしばらくの間はそうなのですが、何かの「事件」が起きて大衆が各々資産を持った個人になった際に、資産には限界があり、吸い尽くすことができなくなってしまう日が来て、それは世界の終焉である。

 昔のRPGのラスボスは大体こういうことしてましたね。
 子供心に、その後どうするんだお前は、と思っていましたが、世界って支配した後どうするのが正しいのでしょうか。
 そんなことを考えていました。

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