7/28 岡田斗司夫ゼミの感想他


アサシンクリード問題

岡田さんはあまり興味がない感じですね。

ネットの反対派の意見を見ると、

・弥助を使うのは良い
・日本文化がめちゃくちゃなのも良い
・弥助が武士だったというトンデモ歴史を史実だと言うな
・日本に黒人奴隷がいた、という史実を持ち込むな

というところでしょうか。
あとは、単純に

・日本(アジア)差別だ

というところでしょう。

ヨーロッパとアジアには超えられない壁があるので、僕は無意識の階層に差別意識が存在しているのは仕方がないと思います。僕は西洋におけるバターをふんだんに使った料理を子莫迦にするんですが、それも文化の違いにおける差別意識だと思っていますので、たとえば東洋人が目が細くて、背が小さくて、顔の平べったいというのを莫迦にする人の気持ちもわかります。これは超えられない壁ですね。

なので、僕は「今回のは、イエズス会がテンプル騎士団で、弥助はアサシン教団が送り込んだ刺客っていう設定かな」くらいに思ってたんですが、そう単純ではないみたいですね。

オタクという人種は相当にリベラルで、それこそ『へうげもの』を楽しんじゃうくらいなので、弥助が実は武士で云々という「僕の考えた最強の日本史」というのも楽しめる性質は持ってると思うのですが、そこに「国を侵略するものがいる」という建前で、何か大きなものに反発する自尊心みたいなものがあったり、無かったりすると、こんなことになっちゃうよなあ、と思ったりしています。
つまるところ、ゲームをやったり、漫画を読んだりするオタクが減ったのかもしれません。

トランプ銃撃

世界を変える力を持つ、もしくは期待値が高まった人を倒すという発想。
そういえば少し前まで『信長の野望・新生』をプレイしていたのですが、信長元服などのシナリオ開始時は群雄割拠の時代なので、たくさんの国がある中で、少しずつ城を増やして勢力を大きくしていき、後半になるといくつかの大国ができあがります。北条、織田、豊臣、徳川など。現代は〈帝国〉であるところの群雄割拠の時代から、少しずつ大国になってきた時代と見ることができるのかもしれません。
昔から、圧政を敷く国司や、開国派の大老など、こいつを倒さねばという思いは変わらずにあって、ようやく〈帝国〉の中で誰を倒せばいいかが分かってきたとも言えますが、ただ、その多くはSNSによって「あいつを倒すべきだ」と思い込まされてしまっている感もあります。村上春樹が「TVピープル」という短編を書いていましたが、今の我々は気を付けないとすぐに「SNSピープル」になってしまうので、困りものです。

コラボと作品に対する考え方

岡田さんの場合、対談相手に合わせて思考のギアを変えているので、コラボというのは相当面白い人じゃないと成立しない感じがします。山田玲司さんとか。ホリエモンなんかも岡田さんとの対談は見ていて楽しいと思います。
あとは、相手の意見を聞けるというか、一回受け止めてくれる人じゃないと、なんか険悪なムードになってしまいそうですね。
岡田さんがよく言う、「すぐれた作品があったときに、その作品は尊敬するけど、作者を尊敬はしない」というのがなかなかに難しいのですが、真理であったりもします。
「作品→作者」はまだ成立するというか、面白かったけど誰が作ってるか知らない、という人は結構いる気がしますが、「作者→作品」をフィルターを通さないで見ることができる人はなかなかいないかな、と思います。大体、好きな人が作ったものはみんな良く見えてしまいますね。それこそ西野さんは好きだけどプペルは面白くない、と言い切れるかどうかというところです。
まあ、僕は永野護信者なので、何も言えないですが。

というわけで、無料部分の感想をつらつらと。
セカイ系みたいなことを言いますが、世界の中で自分をどこに置くのか、というのを考えました。
「無職でも病まない方法」というのに対し「自分が自分というだけで、値打ちがあるよ、すごいよ、という風に思い切れればいいんですけどね」と答えていましたが、自分の位置を特定するのにどんな指標を用いるのか、ということが大切だと思います。
まあ、世の中に一つしかなければ位置は特定できないので、一旦何かを指標にするんですが、たとえばX軸Y軸とか、並べて何番目とか、そういう感じですね。
その相手を「同世代の人」とか「友人・知人」とか「有名人」なんかにしてしまうと、まあ良いことはないですよね。相手より優れていればマウントを取るでしょうし、劣っていれば病むでしょうし。いまはすぐに「SNSピープル」になってしまうので、やっぱり比較しやすいのだとは思います。
今の時代、かなりリベラル化が進んだ気がしますが、僕たちって根っこの部分では権威主義なんだと思うんです。良いねとかフォロワーの数がその人の価値になりますし、フォロワーが多い人に繋がっているだけで、やっぱり価値があると思っちゃうんですよね。特別感というか。
でも、それって結局のところ、自分を特定する指標が他人の中にあるので、相対的なんですよね。X軸のメモリが昨日まで100だったのが、今日になったら50に減ってたみたいな。自分は動いてないけど、メモリが移動する感じですね。
それを「自分が面白いかどうか」という指標に変えることができたら、少しだけ幸せになるかもしれませんね。


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