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医師×育児|自由時間は働き方と同じくらい、子供がいるかどうかに依存する
医師生活からみた「子供の効能、弊害」をロジスティック(?)に書いていきたいと思います。若手には驚きを、ベテランには共感を得られるよう考えてみました。(結局は言いたいこと言って、そうならない未来も見えていますが 笑)
弊害
1.基本的に「自分の時間」はほとんど溶ける
弊害という言葉はあまり適切ではないと感じる方も知るかもしれませんが、あえて書かせていただきます。というのも、今の若い人を見ていると、わたしの頃と比べより論理的、効率的に動くことを重視されているように見えるからです。
働き方改革、わたしの周りの医療業界ではほぼ当たり前になりつつあります。もちろん、他の業種のようにはいかないのでしょうが、やむを得ない残業にはしっかりタイムカードを押し、自分の勉強はしっかり行うというようなメリハリがついてきています。
結果的に、今は若手医師だけでなく、管理業務含む中堅医師の疲労度も下がったように思えます。昔は間に合わなければ自分でなんとかしなきゃいけなかった中間管理職の苦労が「仕事の絶対量を減らす」ことで落ち着いたからだと思います。
それでは「自分の時間」を増やせることが最大のワークライフバランスである昨今、この一連の流れで全ての人の「自由時間」が増えるのかというと、実はそうでもないというのが現実だったりします。その例外は「小さい子供がいる人」です。
子育てをした人、している人ならわかると思うのですが、子供は一瞬たりとも気は抜けません。もちろん、条件付きで目を離すことは可能なタイミングもあるのですが、基本的にはなんらかの危険が常に彼らの周りには付き纏っているのです。24時間on callだと思って接しなければいけません。
昔は仕事のために子供の相手が全くできなかった、というお父さん医師も多かったでしょう。これは全く責められるものではないと思います。自らの研鑽、地域貢献、医学の進歩のために骨身を削ってきた先人があってこその今があります。
それでも今は違います。子育ては義務でやるものではないのですが、今は空いてる時間があるならやらなきゃいけない時代です。9時18時とかで家に帰った後、ビール飲んでテレビ見て、その間、専業主婦の奥さんがずっと子供の世話をし続けている。そんなことは許されないのです。
ここには二つの観点があって、子供ができたのだから自分も父親として成長しなければならないという側面と、子供が構ってくれるうちに接しないと損という側面があります。
結果、仕事から帰った後、子供が寝る時間までは自分一人の時間は中々とれません。子供が決まった時間にすっと寝てくれるならよいですが、そうでない時期には22時まで自由な時間などないこともあります。(しつけができていないとかっていうよりは、そうでない時期がある、と感じました)次の日の出勤の準備など色々していたら、あれ、もう寝る時間ですね?
気がついたらブラック病院くらい自由な時間は消えています。
2.基本的には返ってこない投資
子育てには時間だけでなく、多大な金額がかかります。もちろん、各種制度をうまく利用したり、うまく節制する方法で金額的負担は軽減できますが、子育てにある種のこだわりを持ちたい場合にはやはり、それなりの金銭がかかってきます。
例えば、習い事。乳児〜幼児期でも英語、水泳、リトミックなど。学童になれば塾、習字、ピアノ、空手などできることが増えていきますね。医師になるようなタイプの人は自身が幼い頃から多種の習い事をすることも多かったのではないでしょうか。芸は身を助けるを体現されている方も知ると思います。
わたしはピアノを習っていたのですが、その経験である程度の聴音(黒鍵、白鍵のレベルでなら絶対的な音階がわかる)ができるようになり、吹奏楽や軽音楽などの趣味も持つことができるようになりました。忘年会の芸だしの歌もすぐ覚えられますし、踊りもリズムはバッチリです。笑
都会なら私立学校に行かせる学費、お受験をするならそれにかかる費用、そして大学生活も費用がかかります。どういう根拠かはわかりませんが、子供一人育てるのに2000万かかると言われています(言われて「いた」、が正解かもしれません。インフレ時代、さらに負担は膨れ上がるでしょう)よね。
医者の場合、老後子供から仕送りを期待する身入りでもないと思います。子供が芸能界で売れるとか、立ち上げたベンチャーが上場入りして大企業になるとかそういう宝くじのようなことがあれば別ですが、基本は子供への投資の金銭的効果は期待しない、というのが持つべき心構えと思います。
3.風邪をひきやすくなる
これ、ありますね。
医者やってると、いろんな病気になってる人と接するし、自然に免疫がついたのかな?とか思うことってあるじゃないですか。(私だけかな?)
若手の頃は基本風邪なんて引いたことないですし、休む奴は根性なしとまで思っていました。38度なければ普通に職場来いよ、と。後鼻漏なんてわたしだって常にあるし、咳もちょっとあるし、のども痛いけど? 甘ったれるな、と。
クリニック勤務になり、外来をめちゃくちゃなスピードで回すようになってから、知ったんです。ああ、わたしはただ、風邪を引くほどの患者の数に曝露されていなかっただけだったんだ、と。
風邪には自己管理やもともとの免疫の強さなどの側面もありますが、それを上回る量のウイルスへの曝露があれば、そんなの関係なく風邪はひきます。上記のように患者の増加でそれを実感することもあれば、子供がいろいろなところで雑菌やウイルスをたくさんもらってきて、自分も子供からうつる、というプロセスを経ることもあります。
病床の中、思うのです。ああ、自分は体が強かったのではなく、運良く、もらわなかったか、強く発症しなかっただけなのだと。
効能
メリットなどない
厳密にいうとあるのですが、子供がいることによって確実に得をするようなことは、基本的にはないと思います。ただ、気分的な問題ですが、幸せを感じれる瞬間があるので上記の全てのデメリットは目をつぶれる、というのが正しいところです。
子供がいると、家庭が華やかになります。(実際には家は散らかるので見た目がよくなるという意味ではないです)一人暮らし、あるいは夫婦二人暮らしが悪いわけではありませんが、日常に子供がいると1日に何回も微笑ましい場面が生まれます。
自分ではなにもできない赤ちゃん。最初にできるのは泣くことと、おっぱいを飲むこと。それでも日々を一緒に過ごし、生活していく中で少しずつできることが増えていきます。はいはいをして、立てるようになって、そのうち歩けるようになってきます。その全ての表情を見ながら成長を見守れるというのは、やはり幸せなことなのだと思います。
うちの子も最近喋れるようになってきました。わたしが抱きつくと「いやだ〜」といいますが、それも含めて可愛いのが我が子なのだと思います。
余談ですが、もともと私は子供が大嫌いでした。というか、今でもうっすら苦手です。話を聞かないし、騒ぐし、すぐ泣くし…でも自分の子は不思議と例外なんですよね。親戚の子に関しても然りです。
また、他人の子供に対しても少し寛容になれたように思えます。昔は騒音にしか見えなかったものが、今は微笑ましいものにみえてきます。この子にも、充実した未来と無数の選択肢が待っているのだろうな、と。
子育てには、自分の見える世界を明るくするという効果もありそうです。
ちょっと冷めた目線で見れば
子供を育てていると、いろいろなトラブルがあったりします。子供がいることで邪魔に思ったり、配偶者とぶつかることも増えるかもしれません。でも、それでもいいのです。それが自分の成長の糧になると思えるからです。
老害っぽいこと言いますね。
結婚してない人は自分本位だし、子供を育てたことのない人は子供だという面があると思います。
すみません、石を投げないでください。
いろんな事情があってそれができない人がいるのも知っています。すみません。
でもこれって、ある面においては本質をついていることでもあると思うのです。
わたしに関して言えば、結婚するまでは他人の意見をよく聞く寛容な人間だと思っていました。だけど妻と、その家族と接する時に、自分の考え方と違うところに思うことがあったり、よくない態度をとってしまったりしたことがあります。
結婚するというのは恋人と仲良くイチャイチャしてればいいだけではなく、様々な障壁や制約のある家と家の契約だと思っています。恋人というだけでは気づかなかったお互いの生活や生き方のギャップを目の当たりにすることは多くあると思います。そのときどういう態度を取れるか、どういった解決策を二人で考えればいいかという経験を多くすることで、互いに成長することができるのです。
そして育児はただの人を、親にします。これは子供が生まれたら自然にそうなるのではなく、時間をかけてそうなっていくのです。特に男性はゆっくりとです。
子供が小さいうちはめったに外食になんていけません。色々食べれるようになったら、今度は子供が残した時のために、それを自分が代わりに平らげられるくらいの余力を残しながら、自分の注文するものを選ぶようになります。
(残せば?という人もいるかもしれませんが、わたしの家での教育方針ではこれもNGとしています。これは、わたしが勝手にやっている縛りプレイですけどね)
なにより先に子供のことを考えてから、自分の意思にスポットライトが当たります。
自分の思い通りにならない究極の存在を持つようになると、上司や部下にも少し寛容になれます。まぁ、仕方ないかで許容できるレベルがあがるんですね。
また、自分の選択が家族やその周囲にどういった影響を与えるのかを考えるようになります。はたらく、だけが絶対的に正しかった世界から、子供と一緒に本を読む、成長する、間違ったことはしない、見せないなどの道徳的意識が強くなります。親として恥ずかしいことは、しなくなる。(人が多い)
子供に教えてもらう、というのはよくいったものです。
総括
以上のことがメリットかというと、うーん、そうでもないかな、と。笑
少なくとも、期待して育児をするわけではなく、そういったプラスの面もおまけとしてついてくるよ、のお話。だから、はっきりいって育児、マジでコスパ悪いであってます。笑
これって働き方でも同じことが言えそうですよね。
上司にへこへこしたり、半強制の飲み会に参加したり、残業代の出ない先輩の実験の手伝いをしたり。それって何の得になるかというと、明確には言えない感じ。出世できたり、よく指導してもらえるようになったり、そういったこともあるかもしれないけどそれって上司や職場次第じゃないですか。ブラック体質のおじさんたちはまずあなたたちのことなんてこれっぽっちも考えていませんよ。
今の若い賢い子達がこれらを避けたいのはわがままでもなんでもなく、当たり前です。わたしだって、そんなことしたくなかった。
でも、わたしはやってみて結果的にプラスになることも多かった。これはある意味良心的な上司のおかげ。それは、後になってみないとわからなかった。わからない人には一生わからないかもしれない。わかっているように見えている人も、無駄な時間を過ごしてしまったことにダメージを受けないための防衛規制としてそう思い込んでいるのかもしれない。いずれにせよ、私は今も結局上司に助けられている。物質的にではなく、記憶・経験として。
だから、非貨幣的価値も考慮した上で、やっぱり各個人が自分にとってプラスになるかどうか、考えて選択するしかないんです。わたしは子供を持つという選択肢が得だと思ったから子供を持っているし、そのために(そのためだけではないが)結婚しました。
今のところ、自分の選択に後悔は全くない。というよりは、結婚しなければブラック環境に自暴自棄になり、生活がもっと崩壊していた可能性すらあるので、妻子には感謝しかないですね。
わたしはわたしの得のためにいきている。
得のために、一見損にみえることに飛び込んでみるか、どうかはその人次第。
あなたもあなたらしくすべきだと思います。 くまんもすʕ•ᴥ•ʔ 拝