
「日本人の話す英語を聞くのが恥ずかしい」の正体
「この人は、単語だけで会話している」
「発音が日本人っぽい」
「こんなにかんたんな文法をまちがえている」
同じ日本人が英語をはなすのを聞いたとき、こんなふうに感じたことはあるでしょうか。
正直、過去の私は、感じていました。
学校の授業では、発音が上手な人を揶揄したり。会社では、同僚がはなす英語にけちをつけたくなったり。
同じ日本人が英語をはなしているのを、批判的にみてしまうこの気持ちはなんなのか。
なぜ日本人の英語にけちをつけたくなるのか
発音や文法がまちがっていても、英語を話そうとしている人は、努力している人ですよね。少なくともその場で真剣に英語をはなそうとしているし、きっとプライベートでも英語学習に時間を投資している人だと思います。
そういうふうに努力している人に対して、発音や文法がどうのと言って批判する。批判はラクです。誰でも、すぐに、かんたんにできる。
「日本人の英語は恥ずかしい」と批判的にみることで、「自分が努力することを回避している」んだろうと私は思います。
過去の私がそうでした。
努力している人を肯定的にみてしまうと、自分も努力しないといけなくなる。努力していない自分が情けなくみえてくる。
あたりまえですが、努力するのは大変です。時間もエネルギーもつかうし、すぐに成果が出るともかぎらない。できれば努力しないで成果だけほしい。
そこで、自分が努力しないことはわきにおいて、努力している人を批判する。努力したくないのは自分のなかの問題なのに、自分のそとに問題があるように(無意識に)仕向ける。
はい、過去の私です……。
ところで、批判や嫉妬したくなる気持ちというのは、自分の心のどこかにあこがれや、自分もほしいという気持ちがあるから生まれるのだと私は思います。「英語ができることには価値がある」と思うし、「自分も英語ができるようになれたらいいな」、「自分だって本気になればできるはず」とは思っているわけです。
この思考から抜け出すには
心の底では、「英語はたいせつだし、自分も(もっと)できるようになりたい」と思っている。でも、努力は面倒なので、努力している人を批判して自分の気持ちをごまかす。
努力はしないので、もちろん英語ができるようにはならない。
これは、「英語ができるようになりたいのに、できるようにならない」という状態から抜け出せない「出口がない考え方」です。
出口戦略として考えられるのは、もちろん、「英語力を伸ばすために努力する(行動する)」または「英語を完全に諦める(自分は英語ができなくてもいいと腹落ちしている)」のどちらかです。
現在の私自身は前者でありたいと思っていますが、後者の考え方も尊重すべき意思決定だと思います。現代はChatGPTもあります。本当に英語が必要になったら、通訳者、翻訳家にお願いすることもできる。有限な人生のなかで、英語学習以外にたいせつなことはたくさんあります。自分にとってたいせつなことの優先順位づけの問題なんだろうと思います。
日本人の英語は誇らしい
私が知っている英語が流暢な日本人は全員、過去のどこかのタイミングで、英語に集中的に取り組んでいます。あたりまえですが、一晩で英語がはなせるようになる魔法はありません(あったら教えてください)。英語ができる人は、努力している。
また、私がカナダの現地企業で働いていたときは、ノンネイティブの同僚も少なからずいました。ネイティブの発音とは違うし、つかう単語や文法がまちがっていることもあるだろうと思います。でも、それこそがリアルな英語。ネイティブかノンネイティブかはまったく重要ではなくて、英語という共通の言語をつかってコミュニケーションがとれれば良いわけです。
このような経験を経て、日本人が日本人の英語についてあれこれ批判するというのは、なんて非生産的で無益なことだろうかと今では思います。
日本人の英語を恥ずかしいと思うのは、日本人だけです。自分自身が思うにせよ、まわりから思われるにせよ。
(ちなみに、あるドイツ人が別のドイツ人のはなす英語を聞いてはずかしく感じた、というエピソードを本で読んだことがあります。自分とバックグラウンドが同じ人の英語力は気になってしまうのかもしれません)
まず、自分で自分の英語を恥ずかしいと思う必要はまったくありません。または、自分の英語に対する努力をまわりから批判的にみられたら、それはその批判的な考え方をする人自身の問題であって、あなたの問題ではないです。
日本人は英語が第一言語ではないのだから、どこまでいっても文法はまちがうし、発音をネイティブ並みにするのはむずかしい。きっと英語がどんなにうまくなってもそうです。でも、そういう些末なことはコミュニケーションの本質ではない。私がカナダで学んだことの一つです。
発音は、ネイティブ英語をベンチマークとして学びつつ、そのうえで残る日本人的な特徴は、立派な個性だと私は思います。
日本語でも、完ぺきな標準語をはなす人より、少し方言が混じっている人の方が親近感を感じたりしますよね。
私は、ノンネイティブの英語、かっこいいと思います。苦労して英語を身につけた、努力の跡がみえるじゃないですか。
それに、英語がノンネイティブであるということは、複数の言語がはなせることの証左でもあります。そういう意味では、英語しかはなせないネイティブよりすごいのかもしれません。
日本人の英語は誇らしい。
あとがき
本記事では、「日本人が日本人の英語をどうみるか」という視点を取り上げました。
では、ネイティブや世界のノンネイティブは日本人の英語をどうみているのか。このような人たちとはなすとき、日本人はどのようなメンタルを持つべきか。
以下記事もあわせてお読みください。
また、この記事を読んで「2025年は英語やってみようかな!」と思われた方。モチベーション維持のためには以下記事もどうぞ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
それでは。