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最近のロードレース事情について思うこと

11月になりました。
10月の出雲駅伝を皮切りに、日本各地で各種駅伝やロードレースが開催され、各都道府県では12月の全国高校駅伝や全国中学駅伝に繋がる大会が開かれているかと思います。
 
栃木県では、11月3日(日)に県高校駅伝が行われ、また11月9日(土)には県中学駅伝が行われようとしています。
 
全国を見渡せば出雲駅伝と全日本大学駅伝で私の母校である國學院大學が優勝し、非常に嬉しい思いをしていますが、その一方で大阪府の高校駅伝が大雨で4区からの再レースとなったり、大分県高校駅伝では、通行車両と選手が接触する交通事故が起こるなど、様々なことがあったようです。
 
さて、そんなロードレース期に入ってきているわけですが、審判員という立場で大会を見ていると、競技者とは違う目線で大会を見つめることがあります。
今回は、私が今、審判員として携わっている中で感じたことを記事にしていきました。

今、全国のロードレース大会が直面している課題

今、マラソンや駅伝などのような公道を使って行う大会は、軒並み苦境に立たされていると言っていいかと思います。

例えば、東日本女子駅伝は今年の大会をもって廃止されることが決定しました。
また、日本でも有数の歴史ある駅伝と言われている鳥取県縦断駅伝も廃止するとの話を聞いています。

栃木県内では、郡市町対抗駅伝が交通事情による安全確保のためにコース変更が行われ、そこに対する準備に非常に時間をかけて準備をするなどといった対応がありました。

その他挙げればキリがないですが、廃止されるマラソン大会があったり、駅伝は1つの中継所を周回する形で行われたりするなど、大々的にロードレースを行うということがなくなってきていると感じます。その理由としては、以下のようなものが挙げられます。

①主催者の財務状況の悪化・財政難

ロードレースの中には、日本陸連や各都道府県陸協が主催するものがありますが、公認でない大会は一般企業やスポーツ協会のような競技団体、地方自治体が主催するものがたくさんあります。
中でも地方自治体が地域振興や生涯スポーツの振興といった目的で実施する大会は多く、私が住む那須塩原市でも行政が主導して開催する大会が3つあります。
 
ここでひとつ、重要な課題が出てくるのですが、それが主催者の財務状況の悪化や地方自治体の財政難です。
 
実はマラソンや駅伝の大会というのは、よほど上手くやらない限りその大会だけで儲けが出るようなイベントではないのです。

理由としては運営経費がべらぼうに高いからです。

今、マラソン大会のほとんどは計測チップを使い、号砲と同時に計時が始まり、ネット上で速報が確認できるような大会がほとんどですが、このシステムを業務委託するのに非常に高い金額がかかります。

そこに加えて参加賞やコース上の給水、必要物品の購入などを考えると多額の資金が必要となりますが、これをすべて参加料に転嫁させてしまうと、参加料が非常に高くなり、参加者が集まらないという状況が生まれてしまいます。
 
また地方自治体が運営する大会では、市民の税金が投入されています。
行政の仕事というのは予算に拘束されています。当たり前ですが当初予算の額の範囲内で仕事を行うことがルールで決められており、資金が無限に湧いてくるわけではありませんが、この財源確保に苦労している地方自治体がほとんどです。

もともと景気が悪い状態がウン十年と続いているところに新型コロナウイルス感染症の大流行があり、その対策(ワクチン接種など)に多額の公金を投じ、市民を守るための活動をしてきました。

その結果、今ほとんどの自治体が体力を使い果たし、余裕のない状態となっています。
そうすると、どうしても必須な事業(生活保護や水道、健康保険など人の生命にかかわるもの)に優先的にお金を回し、優先度の低い事業(やらなくても人が死なないもの)は削減されるというのは、仕方ないことであり、この結果がロードレース大会の規模縮小や廃止という形で表れているのです。

②道路事情や周辺環境の変化

お金の問題のほか、課題となるのは「街の発展に伴いコースの環境が変化してきている」ことです。
 
私が聞いたとある街の話ですが、そこではかねてから大規模なマラソン大会を開催していました。
開催当初、交通規制に対する苦情は少なかったそうですが、回数を重ねるうちにコース沿道への新しいお店の出店が増えたことや大会会場近くの交通量の増加で、次第に苦情の数が多くなるとともに、その内容もエスカレートし、激しいものとなっていったそうです。
結果として「周辺の理解を得られない」として、大会が無くなってしまったとのことです。
 
このような時代背景を受け、道路使用許可を出す警察でも競技目的の道路使用に難色を示す傾向が多く、新たに大会を行おうとしても許可されないケースが多いようです。
 
沿道の事業者が悪いわけでも警察が悪いわけでもなく、これは街の発展に伴って起こる致し方ない現象なのかなと思いますが、競技の普及に関わる者からすると残念なことに変わりはありません。
 
一方で、そのような時代にありながらも公道での開催が続く大会、特に箱根駅伝や東京マラソンなど、都会を走るような大会が公道開催であり続けるというのは、それだけ人々を魅了したり歴史があったりするわけで、何から何までレベルが違うなと思い感心してしまうのです。

今思うこと

さて、そんな厳しい時代ですが、個人的ににはこれでいいのかとも思います。

①言ったもの勝ちの世の中

ちょっと辛辣なことを言わせてもらいます。

とにかくこの世の中は言ったもの勝ちの世の中です。

権利や主張を声高に叫んだ人間が得をするような時代です。
ちょっと何かあったからと言って、世の中の9割の人がそう思っていなくても、1割が大きく騒ぎ立てればその1割のために9割が我慢しないといけないような世の中になりました。
 
SDGsやら多様性という言葉で片付けられがちですが、よく言えば確かにそうです。
ただ、実際にはちょっと常識外れかなということもその言葉で片付けられ、波風が立たないように処理されることも多くあるでしょう。
 
そういった時代の影が、陸上競技の世界にも迫ってきているように感じてなりません。いや、今までは明るみに出なかったものがネット社会の発展に伴って見えるようになったという方が正しいかもしれませんね。
いずれにせよ、寛容さのない社会になったものだなと感じます。

②大切なものは何か?

もちろん、文句を言いたい気持ちの人の気分もよくわかります。
 
店の目の前の道路を規制され、客が来ないのを「営業妨害だ」と言うことも、たまたま引っかかってしまった交通規制に対して「聞いてねえよ!ふざけんな駅伝なんかやりやがって!」と警察官や審判員に突っかかりたい気持ちもよく分かります。
その人たちにとっては駅伝よりも大切なものがあるだろうし、事業者にとっては売り上げも関わるでしょうから、言いたいことはよく分かります。
 
でも、大会に参加する人にとってはその大会が大切であり、特に中高大学生が出るような駅伝は、そこに人生をかけて競技に向き合い、出場している人もいるのが事実です。
 
どちらかを天秤にかけてどちらが重要かという話ではありません。どっちも重要なのですから。
 
ただ、交通規制は1日のうち数時間で、年中行っているわけではありませんし、その道が今後一切通れなくなるということもありません。そこを考慮してもらえないだろうかと、私は思います。
 
そして何より、その大会に色々なものをかけている人がいます。
先日行われた栃木県高校駅伝で私は最後尾車に乗って監察をしていたのですが、そこで気づいたことがあります。
 
自分の夢を叶えるため、チームの目標を実現するため、必死に襷を繋ぐ選手たち。
沿道の仲間たち、誰かの選手の家族や親戚や友達、警察官、そして競技運営に携わる競技役員。
全ての人が誰かの想いを叶えるため、自分の持ち場でできることを精一杯やっています。
 
何かに夢中になり、誰かのために一生懸命になれること。これがいかに素晴らしいことなのか。
そこから得られるものがいかに尊いものなのか。
そういった機会を簡単に奪ってしまってよいものなのか。
 
審判員という立場を通して、色々な想いが重なって一つの大会が完成するのだと、改めて教えられた気がします。
それと同時に、そういった機会を少数の声で簡単に潰されてしまっていいのか?とも感じました。
 
誰もが納得して100%の解決策を得られることは無いというのは分かっています。
でも、お互いが譲歩するところは譲歩し、80%の答えを出せないものか、またそうするのが大人の振る舞いであり、未来ある子供たちに対して、また何かを一生懸命に追いかける人たちに対して、大人が負っている責任ではないかと思います。
 
だからどうしろと言うことではないですし、こうあるべきだと言うつもりもありません。
ただ競技に関わる人間の一人として、社会全体として寛容であってほしいなと思います。

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