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ドラフト、私の記憶が確かなら‥‥、1996年part1

この年はアトランタ五輪メンバーが解禁ということもあり、大豊作のドラフトと言われた。

『第1回選択希望選手 阪神 1位 今岡誠 内野手 東洋大 2位 関本健太郎 内野手 天理高』
阪神は相思相愛で井口と並ぶ大学球界屈指のスラッガー・今岡の逆指名に成功した。天才的な内角打ちで天性のアーチスト。阪神の独走状態だった。一時は野村克也監督との確執で伸び悩むが、星野監督の時に開花、岡田監督時代に147打点と驚異的な数字を残すことになる。2位は3位指名することになる選手を指名する予定だったが、意外にも関本を指名。確か小関さんの評価が『C』だったのを記憶している。大型だったが、バットを短くもっての打撃で通算807安打を打った。

『第1回選択希望選手 福岡ダイエー 1位 井口忠仁 内野手 青山学院大 2位 松中信彦 内野手 新日鉄君津』
アマチュア球界ナンバーワンショートの井口は早くからの噂通り、ダイエーに決まった。一時、スポニチに『井口中日決定』と報道されたが、水面下ではダイエーの独走だったとのこと。3年前に小久保を獲得したのも大きかった。個人的には一般論だが、バッティングよりも守備にひかれた。深い守備位置からでも、ボテボテのゴロをアウトにする足と肩、そこにひかれた。正直、セカンドに回されるとは思わなかった。
2位は全日本の4番の松中。全日本の主軸の多くがプロで苦戦、そして、指名漏れが増えた中で、松中は別格だった。他の選手にありがちだった極端なアッパースイングではなく、インパクトと時はレベルスイング、フォロースルーの時は軽いアッパースイングと理想的な打ち方をしていた。かつ、逆方向にも凄いホームランを打ってました。この時の小関氏の情報には『松中信彦と谷佳知の差』という題で松中の打ち方を絶賛していて『特A』評価だった。当初は4位の予定だったんですよね。ふざけんなと当時は思いました(笑)。
王さんは上位で即戦力投手の獲得を求めていました。特に大塚晶文(日本通運)には破格の条件でアプローチをかけましたが、大塚は初心貫徹で近鉄を選択しました。後に池之上スカウトがクビになったのはこれが原因だったというのはありますね。
王さんは巨人時代は投手志向の強い人でしたが、『ウチはピッチャーが弱いのはわかっている。なぜなんだ!』と詰め寄りましたが、『野手は育成に時間がかかる。まずは野手を優先して次は投手で行く』と説明した。それが結果的にダイエー黄金時代のプレリュードとなるのである。

『第1回選択希望選手 横浜 1位 川村丈夫 投手 日本石油 2位 森中聖雄 投手 東海大』

1位の川村はこの年の社会人No.1投手。高校は名取裕子などの卒業生がいる神奈川の超有名進学校厚木高校(川村本人は立教大は一般入試で入学)。大学時代にけっこう見ているが、常軌を逸した連投でリーグ戦でヘロヘロな状態で投げさせられて『かわいそうだな』と思っていた。それが社会人では別人のピッチング、いわゆる切るようなリリースで高めのストレートの伸びが素晴らしく、同じ腕の振りで投げるフォークが良かった。カーブも良かった。横浜入り後は権藤監督の指導でチェンジアップが良くなったかな?横浜と日本ハムが1位指名を確約し、争奪戦を繰り広げたが、最後は地元の横浜を選んだ。1年目に10勝、2年目には17勝をあげてリーグ優勝に貢献した。2位の森中はガチガチに中日が囲い込んでいたはずだったが、森中本人は『自分の力でチームを強くしたい』とベイスターズ入りを希望した。チェンジアップの抜けが良く、短命ではあったが、リリーフで貢献した。


『第1回選択希望選手 千葉ロッテ 1位 清水将海 捕手 青山学院大 2位 竹清剛治 投手 三菱自動車京都』
ロッテの1位はアマチュア球界No.1捕手(私はそうは思ってなかった)と言われた清水。最大のセールスポイントはスローイング、近鉄の的山クラスと思った。反面、バッティングの方も的山クラス。コンタクト力では的山よりやや上だったが、当たれば飛ぶのは的山の方、自分は3~4位クラスの評価だった。2位の竹清も評価が高すぎると思った選手。速いには速いがいわゆる棒球。ルーキー時は大きく負け越し、そのまま伸び悩んだ。

『第1回選択希望選手 ヤクルト 1位 伊藤彰 投手 山梨学院大付高 2位 岩村明憲 内野手 宇和島東高』
ヤクルトは2年連続で高校生を1、2位で指名した。野村監督の希望する即戦力投手は指名しなかった。片岡スカウトは『これ以上、現場の希望通りにしていたら、ヤクルトの将来がなくなる』と言っていたが、明らかに野村監督との確執が生んだ高校生路線だったと思う。1位の伊藤はストレート、縦カーブのキレの良さが光り、今中(中日)に近い素材だったが、故障に泣いた。岩村はフルスイングしながらも、タイミングの取り方がいい稀有な選手で個人的には高校生ではこの年No.1野手の評価だった。ヤクルトでは主軸として活躍。メジャーでも活躍した。

『第1回選択希望選手 近鉄 1位 前川克彦 投手 PL学園高 2位大塚晶文 投手 日本通運』
昨年、ああいうことがありながらの2年連続PL学園からの1位指名。形的には『小山伸一郎と前川克彦の二人から』前川に決めたと言っているが、夏の段階で前川1位は決定事項だった。当時の小関さんは『プライドもないのか』と批判しているが、当時の在阪パ・リーグは上から目線でのドラフトはできなかった。後のことを考えれば、PL学園とのライン復活は必要不可欠だったのだ。ただ、その後近鉄消滅だけでなく、PL学園野球部まで事実上消滅は予測できなかった。前川に関しては高校3年の夏は素晴らしかった。テークバックが小さく、重いストレートがピュっと来て甲子園では三振の山を築いた。が、前川はPL学園史上1番の問題児と言われるように『11月31日事件』『梨田監督殴打事件』(オリックス時代)『無免許ひき逃げ事件』などトラブルが多く、体重コントロールが出来ないのもプロでの伸び悩みの大きな原因だった。一方の大塚は五輪メンバーこそ漏れたが、都市対抗野球では本田技研の補強選手として優勝に貢献した。早くから、近鉄の後関スカウトがアプローチしたが、都市対抗後は本格的にダイエーが参戦し、破格の条件を出したが、『ずっと僕も見てくれた後関さんをソデには出来ない』と近鉄を選んだ。大塚は日本、メジャーでリリーフとして大活躍し、第1回WBCでは胴上げ投手となった。


『第1回選択希望選手 広島東洋 1位 澤崎俊和 投手 青山学院大 2位 黒田博樹 投手 専修大』
この年、広島は10人前後の選手を解雇している。が、ドラフトはわずか4人。『カープは2人逆指名をとるために、そんなにお金がないの?』と他球団のスカウトに言われたほど。澤崎は4年の時に台頭した抜群の制球力とスライダーでルーキー時は12勝をあげて新人王に輝いた。個人的には球質の軽さがどう出るだろうと見ていた。ただ、短命に終わったのはそういう不安要素ではなく、三村監督の酷使が大きかったと思う。2位の黒田は大学生で電光掲示板に初めて150㌔の表示を出したピッチャー(一部では法政大から近鉄に1位指名された高村祐と言われている)。粗い部分はあったけど、ストレートの角度に美しいくらい素晴らしいものがあって、腕の振りも良かった。プロでの成功は『五分くらい(ただし、賭けるものは十分にある)』と見てましたが、1年目で巨人戦に完封した時にプロでの成功を確信しました。ただ、メジャーでの活躍と日米通算200勝以上は想像以上でしたね。

『第1回選択希望選手 西武 1位 玉野宏昌 内野手 神戸弘陵高 2位 森慎二 投手 新日鐵君津』
1位は入来祐作(本田技研)でほぼほぼ決まっていたが、大逆転で巨人に強奪された。西武は濱中治(南部高)もリストアップしたが、最終的には通算31本の高校生No.1ショートの玉野の1位指名を決めた。プロでは通算50安打と苦戦した。バッティングに関しては玉野よりも濱中が二枚くらい上と見てました。プロではホームランバッターにはなれない、それが印象でしたね。2位の森は社会人ではイチオシの選手。足を高く上げてのストレート、フォークは元太洋の遠藤一彦を彷彿とさせました。プロでの活躍は言うまでもありませんが、残念だったのは投手コーチ途中に急死してしまったことです。合掌。

『第1回選択希望選手 中日 1位 小山伸一郎 投手 明野高 2位 森野将彦 内野手 東海大相模高』
井口にフラれ、川村にもフラれ、1位は星野監督が『小山しかいないだろう』と決定。ただ、2位はダイエーと相思相愛でダイエー以外ならローソン入りと公言していた柴原の2位指名を宣言した。が、当然、柴原サイドは門前払い。それでも、星野は強行しようとしたが、最後は『掛布(元阪神)なみのホームランバッターになれる』というスカウトの報告を受け、森野2位を決めた。森野を読み上げる時に『読売‥‥、桑田真澄』なみにアナウンスに間があったのが印象的だった。『納得はしてませんが』星野さんは怒り気味に言っていたと思ったら、次の日のデイリースポーツの一面は当然、阪神1位の今岡と思いきや、『柴原は◯まみれ』という恐ろしい一面だった。確かに当時のダイエーは凄かった。が、1年後には明大のエースの争奪戦で圧勝することになる。小山について言えば、速いには速いがストレートの角度に不満があった。投手経験が浅いせいか、やや、野手投げの印象を持った。森野はタイミングの取り方がうまくない印象を受けたが、ホームランの放物線が非常に高い軌道で可能性を十分に感じる選手だった。

『第1回選択希望選手 日本ハム 1位 矢野論 投手 帝京第一高 2位 今井圭吾 投手 近畿大 』
川村にフラれた日本ハムは1位は高校生最高評価の矢野、伊藤彰に絞った。ただ、伊藤は故障したこともあり、球団は担当の木庭スカウトに医師の診断書をもらうように言ったが、伊藤は拒否。巨人を逆指名するが結局はヤクルトに1位指名されて入団している。矢野は一言で言えば、指先感覚の優れたセンスのある選手だった。反面、腕の振りに柔らかさがなく、身体のしなりで投げられない欠点があった。1年目に2勝をあげたが、その後は伸び悩んだ。1年目にもう少し、肘を柔らかくするトレーニングを積んでファームで熟成させた方が良かったのでは?と思う。2位の今井もまた、肘をしならせて投げられない欠点があった。かつ、肘が下がるので長身の割にボールに角度がなかった。1年目にルーキーでプロ初完封の偉業を成し遂げるもこの1勝のみに終わっている。

『第1回選択希望選手 読売 1位 入来祐作 投手 本田技研 2位 小野仁 投手 日本石油』
井口、今岡にフラれた巨人は西武にほぼ決まっていた橋戸賞投手の入来にアプローチをかけた。本田技研サイドだけでなく、巨人ファンの両親にも攻勢をかけたのが功を奏したと言われる。大学時代は連投も辞さない鉄腕投手。が、4年秋に血行障害でプロ入りが見送られた。肘をしっかりと使える反面、それが諸刃の剣になる可能性もあると思っていた。プロでは活躍した時期もあったが、常にケガとの戦いだった印象を受ける。2位の小野は高校時代は6球団前後の競合が噂された黄金サウスポー。が、社会人入り後は伸び悩んだ。まず、フォームに粗さはありながらも躍動感溢れるピッチングが出来なくなった。速さプラス伸びのあったストレートが影をひそめた。プロではサイドに変えたり、試行錯誤したが、結局は輝きは戻せなかった。そのまま、プロ入りしていたら、どうなっていたのか?

『第1回選択希望選手 オリックス 1位 杉本友 投手 筑波大 2位 谷佳知 外野手 三菱自動車岡崎』
国立大のドラフト1位。当時、小関さんが代表をしていた『ドラフト会議倶楽部』ではNo.1の評価だった。野茂を彷彿とさせるトルネード投法。特にフォロースルーの大きさが目を引いた。反面、野茂のようにあのフォームを安定させるスタミナがあるのか?そこが不安要素と思っていた。ちなみに自分の友人の友人が筑波大でトレーナーをしていて、杉本本人は地元の西武に行きたかったようだが、オリックスに決めたとのこと。
2位の谷は大学時代にリーグ戦4冠王もとった実力派。守備走塁も非常によく、何で大学時代に指名されなかったんだ?と思うくらいの好選手だった。が、ドラフト前の週刊ベースボールでの小関さんの評価は散々だった(C評価)。オープンスタンスで、アッパースイング、それは先に言った通り、『松中信彦と谷佳知の差』で書かれていたことだ。自分も圧倒的に松中がプロで通用するとは思っていたが、谷もそれなりに通用するだろうと思っていた。少々、形は悪いにしても谷くらい当て勘のいい選手なら、プロで対応できるだろうと。でも、2000本安打まで惜しかった。大学でプロ入りしておけば、稲葉同様に名球会入りしていたのでは?

ちなみに僕のドラフト1、2位の評価はというと
阪神 今岡A+ 関本B
ダイエー 井口特A 松中特A
横浜 川村特A 森中A
ロッテ 清水B 竹清B-
ヤクルト 伊藤A+ 岩村A+
近鉄 前川A+ 大塚A+
広島 澤崎A+ 黒田A
西武 玉野A- 森A+
中日 小山A 森野A
日本ハム 矢野A 今井B+
巨人 入来A+ 小野B+
オリックス 杉本A 谷A
個人的にバッティングに関しては松中が抜けていたと思いました。次が岩村、今岡です。井口はバッティングに関しては少し苦戦する可能性もあり得るかな?と。
ピッチャーでは先発としては川村がダントツと思いました。失敗要素が少ない選手と思いました。大塚と森はそれぞれ縦のスライダー、フォークがあり、リリーフで通用すると思っていました。高校生投手は厳密に言えば、伊藤彰の方が前川より好みではありましたが、ケガの影響もあり、最終的には前川の方が成績を残すのでは?と思っていました。が、やや、低レベルに終わったな?と。

次回は3位~4位を 予定しています。






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