ドラフト、私の記憶が確かなら‥‥1996年part2
3位以降、注目していたのは社会人の野手3人。
『第2回選択希望選手 阪神 3位 濱中治 内野手 南部高』
監督の助言で12球団OKの姿勢ではいたが、本人の希望は阪神で憧れはバース。一次は西武1位も噂されたが‥‥。投手で142㌔投げていたが、この年の右ではNo.1のホームランアーティストになれる素質を持っていた高校生だと思っていた。4番だと敬遠されるので1番を打たされて、3年の和歌山夏の予選の準々決勝では吉見(星林→東北福祉大→00年横浜2位)から、民家直撃の場外弾を放っている。関本とは順位が逆だろうと思った。通算580安打、85本塁打は素質からして個人的には残念な成績だ。右肩の故障がなければ‥‥。
『第2回選択希望選手 福岡ダイエー 3位 柴原洋 外野手 九州共立大』
中日の2位でも語ったので指名経緯については多くは語らない。が、これ以降、ダイエーと九州共立大の関係は蜜月なものとなる。ちなみに四年後にホークスにドラフト1位指名される松山中央のピッチャーは日刊スポーツでは『A』評価だった。バットコントロールが素晴らしい選手で、もうちょっとプロではホームランが打てると思った。でも1382安打は立派な数字だ。
『第2回選択希望選手 横浜 3位 大野貴洋 内野手 所沢商業』
ニュース23のドラフト密着で横浜・松岡スカウトが『この選手が欲しいんですよ』と語っていたのが、この選手。高校通算71本のスラッガーだ。しかし、プロではファームでも通算7本と伸び悩んだ。スラッガーの見極め、育成は難しい。
『第2回選択希望選手 千葉ロッテ 3位 川俣浩明 投手 大阪ガス』
当初、ロッテは3位でも捕手を指名予定だった。まずは和田一浩(神戸製鋼)にアプローチをかけた。が、ロッテ1位が清水に決まると和田は拒否。すると、ロッテは磯部(三菱重工広島)に方向転換したが、オリックスを熱望する磯部はもちろん拒否。当時のロッテのスカウトは『やりにくいよ。ロッテというだけで相手が苦い顔をする』とコメントしている。結局、4位予定だった川俣をオリックスが狙っている情報もあり、3位に繰り上げた。和田、磯部ともにパ・リーグの中心打者に育ち、川俣が活躍できなかったことを考えると当時のロッテはかなり弱気だったと思う。
『第2回選択希望選手 ヤクルト 3位 山崎貴弘 投手 小笠高』
ドラフト前に『ヤクルト 山崎指名へ』という記事が出ていた。1位は伊藤、2位は岩村というのは知っていたから、大好きな左腕とはいえ、ノムさんボヤきまくりだよなと思った。入団5年目にロッテにトレードされ、一球でプロ初勝利という幸運を得たが、その後はパッとせずに2003年に引退。
『第2選択希望選手 近鉄 3位 礒部公一 捕手 三菱重工広島』
アマチュア球界屈指の巧打者だ。五輪メンバーから惜しくも漏れたが、都市対抗野球では打ちまくり、チームを決勝に導くかつ優秀選手賞を獲得している。本人は早くから3位指名を提示してくれたオリックスを熱望、が、そこに近鉄とロッテが横やりを入れた。仰木監督は『礒部は去年同様に近鉄には行かないんじゃないの?』と近鉄を挑発したが、佐々木監督は強行指名した。佐々木監督は熱意を見せるために初交渉でヘリコプターで出撃することになる。しかし、礒部は指名後に関係者に『近鉄に行くわ』と漏らしていたとのこと。この『ヘリコプター入団』については礒部さんが僕の質問に答えていただきました。この場を借りて礒部さん、ありがとうございました。
『第2回選択希望選手 広島東洋 河野昌人 投手 龍谷高』
『広島以外は社会人に行きます』担当スカウトだった村上さんの熱意が実り、広島は獲得に成功した。小関氏が『A』評価だったようにドラフト1位組に負けない実力者だった。2000年にはシドニー五輪に出場。その年に9セーブを挙げるのも、故障で2003年に戦力外通告を受け、2004年に引退、その後はホークスジュニアコーチを務めていたが、2017年に虚血性心不全で帰らぬ人となっている。
『第2回選択希望選手 西武 3位 谷中真二 投手 小西酒造』
このピッチャー、都市対抗野球で見た。神戸製鋼の補強でこのあと4位指名される捕手とバッテリーを組み完封(確かコールドゲーム)でプリンスホテルに勝った。ピッチングは強気そのもの内にまっすぐ、外にスライダーで相手を翻弄、これはいいピッチャーだなと思ったら、ドラフト前に『ニュースステーション』でも谷中が特集されていた。ピークはタイガースの時、ローテーション入りもして7勝をマークした。ノムさんがうまく機能させた印象だ。ただ、楽天で印象に残ったのは激怒のイメージだけだった。その後、西武に戻り引退。
『第2回選択希望選手 中日 3位 幕田賢治 外野手 横浜高』
この選手の父親は柴田勲(元巨人)とともに法政二高を春夏連覇に導き、日本石油でも社会人ベストナインに輝いた名選手。親父はタッパのない選手だったが、息子は185㌢80㌔と体格に恵まれ、俊足強肩と非常に身体能力の高い選手だったのを記憶している。反面、バッティングは『当たれば飛びそう』という感じでドアスイングなど問題点が多かった。名スカウトの木庭さんは幕田について『0か100だな』と評価している。プロでは落合監督が期待の選手にあげたものの、バッティングは二軍でもきついレベルで2005年に引退。
『第2回選択希望選手 日本ハム 小笠原道大 捕手 NTT関東』
都市対抗野球では新日鐵君津の補強選手として出場したが、打球の速さにビックリした。確か3本ツーベースを打ったと思う。2回戦でもホームランを打った。この時はもっとノーマルな打ち方だったと記憶している。足も意外と早くて、外野手に転向したら面白いなと思っていた。礒部の方が目立ってはいたが、3位~4位くらいは十分にあると思っていた。しかし、ここまでの選手になるとは想像がつかなかった。一部では落合氏の指導とも言われているが、本人は当時ハムのコーチだった加藤秀司さんのおかげと言っている。ルーキー時、外野どころか内野の頭も超えず、小笠原は悩んだ。加藤コーチは『振り切れ』『回転で打て』『後ろを小さく、前を大きく』『上から叩け』の4点をアドバイスした。加藤さんは『タイミングの取り方は素晴らしいものがあった。あとはこの4点を意識すれば十分にやっていけると思った』と当時の小笠原について語っている。加藤さんと言えば、阪急では福本豊とともに西本の杭打ち打法を極めた選手だったと言っていいだろう。『西本の息子』は名選手を生んだ。
『第2回選択希望選手 読売 3位 三澤興一 投手 早稲田大』
当初、巨人はヤクルト1位の伊藤彰を3位で予定していたが、ヤクルトが降りるわけがなく、3位の指名用紙に小笠原道大の名前を書いたが、直前で日本ハムにとられ、三澤の名前を書いた。六大学通算33勝のピッチャーが本来3位で残っているわけがない。三澤は巨人を逆指名していた。大学時代の三澤はとにかくコントロールが抜群。スケールを削いだ印象はあったがとにかく安定感抜群。他球団も地団駄を踏んだのではないか?
『第2回選択希望選手 オリックス 3位 塩崎真 内野手 新日鐵広畑』
3位予定だった礒部、川俣ととられたために塩崎を3位に繰り上げた。塩崎は仰木監督の『時間割野球』に非常にマッチした選手で重宝された。が、94年の嘉勢や95年の日高以外の高校生が伸び悩み、仰木さんが塩崎タイプの選手をうまく使ったため、高校生育成が疎かになってきた感があった。98年頃からオリックスの長期低迷を予想していたが、このドラフトがプレリュードになった感がある。
4位‥‥。
『第3回選択希望選手 オリックス 4位 佐竹学 内野手 東海大』
塩崎は通算820安打だから、レギュラーを獲った感はあるが、佐竹は仰木監督時代のスーパーサブだった印象が強い。それでも当時の球団代表は戦力ゼロの可能性がある高校生よりもこのタイプが無駄金を払わなくて済むと勘違いし、こういう指名がどんどん増えて行った。
『第3回選択希望選手 読売 4位 鈴木尚広 内野手 相馬高』
この選手、実は近鉄が1番獲得に熱心だった。今岡獲得を熱望していた佐々木監督だったが、阪神を逆指名したので、スカウトがリストアップしたのがこの選手。野球センスがあるというよりは走塁に特化した選手で入団後は足のスペシャリストとして通算228盗塁をマークしている。
『第3回選択希望選手 日本ハム 4位 生駒雅紀 投手 日立製作所』
ドラフト前にプロ拒否をしていた生駒を日本ハムが強行指名へとスポニチが報じた。会社サイドは残留させたかったが、本人はプロ志向が強いという情報からの強行突破だったようだ。結局、生駒は入団。一時的にリリーフで活躍したが、長続きしなかった。
『第3回選択希望選手 中日 4位 中野栄一 捕手 亜細亜大』
たまに打つ長打が持ち味というべき選手か?あまりスローイングは良くなかった印象がある。それよりも西武に4位指名される選手がここまで残るのか‥‥というのが正直な思いだった。ちなみにその選手、元々中日ファンでFAで移籍することになる。
『第3回選択希望選手 西武 4位 和田一浩 捕手 神戸製鋼』
実は都市対抗で1番ホレた野手。東北福祉大時代、小関氏さんは強行の北川博敏(日大→阪神2位→近鉄→オリックス)と比して『守れる捕手』と評しているが、肩はそこまでではないと評していた。が、この大会は走攻守すべて高い評価のできる好選手だった。肩の強さもだが、フットワークも良く、ロッテ1位の清水と大きく差は感じなかった。逆にバッティングは和田が大きく凌駕していた。ちょっとオープンスタンス気味だったが、火の出るような強いライナーの打球が印象に残った。さらに盗塁も見せて意外な俊足ぶりも見せつけた(プロではあまり速くなかった印象。)。逆指名あるだろうなと思った(小関氏も週ベのドラフト情報で絶賛)が、この順位になった。また、西武が‥‥と思ってしまったが、正直、外野手でここまでの選手になるとは思わなかった。が、後輩の門倉は『これだけ打撃が天才的で強肩の和田さんでも大学からプロに行けないのか‥‥』と延べている。
『第3回選択希望選手 広島東洋 4位 福良徹 外野手 新野高』
この年の夏の甲子園ではイチローばりのレーザービームが一際印象的だった選手。スポーツ新聞のリストではAランクの評価もあった。バッティングはいい悪いの印象が全くない。プロでは故障の多い選手だったようだ。
『第3回選択希望選手 近鉄 4位 中濱裕之 外野手 仙台育英高』
幕田が身体能力系の外野手なら、中濱は巧打の外野手だった。この中濱、近鉄入りを熱望する珍しい選手だった。4位で狙っていた鈴木は巨人にとられたので中濱を繰り上げた。ファームではそれなりに通用した選手だったが、走守が平凡で、一軍のチャンスが少なかった。
『第3回選択希望選手 ヤクルト 4位 小野公誠 捕手 東北福祉大』
小関氏が小野について当時『守備を良くしたカツノリのような選手』と評している。古田が磐石といえ、片岡スカウトはノムさんが古田がケガした時にカツノリを使わないようにという指名だったのかな?と。それくらいノムさんの意向とは真逆の指名をしていた印象だ。
『第3回選択希望選手 千葉ロッテ 4位 小林宏之 投手 春日部共栄高』
意外にも春日部共栄高校から直接のプロ入りは小林が初めてだった。近藤監督は当時について『4位で小林が取れたのが大きかった』とコメントしている。その期待通り、通算75勝をマーク。上位ではいい指名ができなかった印象だったが、小林がその穴を埋めた印象だ。
『第3回選択希望選手 横浜 4位 石井義人 内野手 浦和学院高』
高校全日本入りした石井のバッティングを見てメジャーのスカウトがアプローチをかけた。それくらいバッティングはバットコントロールが良く、プロで3割打てる力はあると思わせる選手だった。反面、守備がイマイチで通算645安打だった。楽天の銀次のようにファーストに置けば、コンスタントに3割打っていたのでは?そう思わせる選手だ。
『第3回選択希望選手 福岡ダイエー 4位 倉野信次 投手 青山学院大』
この選手、ダイエー入団の選手中では珍しい『12球団OK』の選手だった。大学3年までの評価なら、逆指名枠に入っていたのではないか?4年時は良くなく、小関氏は『C』評価だった。ホークス入り後は『3年に1年いいピッチングをする』という言葉通り、いい時もあったが、その差が大きかった。しかし、引退後の方がその手腕を発揮している。ホークスのピッチャーの球速アップの立役者は彼と言われている。
この年、都市対抗野球をずっと見ていたが、礒部、小笠原、和田は推していた選手だった。この中ではやはり和田が推しだった。が、礒部以外の二人は想像以上の活躍だったというのが本音だ。最近は社会人の野手の指名が少ないので盛り返して欲しいと思っている。
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