ドラフト、私の記憶が確かなら‥‥1992年part1
パンチョ伊東氏のアナウンス抜きの新ドラフト‥‥。
『第1回選択希望選手 中日 松井秀喜 内野手 星稜高』
清原和博以来の超高校級スラッガー、松井秀喜。地元の中日も1位で動いた。石川県は中日新聞エリア、ピッチャーも欲しいが、準地元のスターがどうしても欲しかったのだろう。ちなみにドラフトの電光掲示板は『星稜』ではなく、『星陵』だった。
『第1回選択希望選手 千葉ロッテ 武藤潤一郎 投手 プリンスホテル』
当時では珍しい『ロッテ逆指名』だ。在京プラス八木沢監督の下でやりたいというのが理由だった。最速153㌔の剛腕。今見ると肘の立ちが緩くて球に伸びが出ないなと思うが、当時はロッテが羨ましかった。
『第1回選択希望選手 横浜大洋 小桧山雅仁 投手 日本石油』
五輪凍結だったため、特例で1年でのプロ入りが認められたバルセロナ五輪の主力投手。肘が出ないいわゆるアーム式の投球フォームには違和感があった。野球雑誌でOBの平松政次さんが酷評していたのを覚えている。確かドラフト当日二日酔いしていたなw
『第1回選択希望選手 日本ハム 山原和敏 投手 川崎製鉄水島』
松井秀喜の両親に『投手で行って下さい』と言われ、本命視されていた杉浦正則はプロ入りを拒否し、伊藤智仁に行くと言われていたが、ドラフト前日に監督に就任した大沢親分が『川崎製鉄水島の山原ピッチャーを1位入札で行きます。私、嘘は申しません。山原で行かない時は腹切ります』とまで言った。振り返るとリリースが早くていいボールは高めばっかりで低めのボールがイマイチ伸びない印象だった。故障もあったが、短命だったのはこのあたりだったかも。
『第1回選択希望選手 広島東洋 伊藤智仁 投手 三菱自動車京都』
ここ2年、小池、若田部と即戦力No.1ピッチャーできたカープ。この年も競合覚悟で伊藤智にきた。しなやかな腕の振りからのストレートと球史に残る高速スライダーが武器だ。
『第1回選択希望選手 福岡ダイエー 松井秀喜 内野手 星稜高』
1番早く松井秀喜の1位入札を決め、パ・リーグでは唯一希望球団に入った。担当の鈴木スカウトは中日が1位を決めると中日の担当スカウトに喰ってかかったらしい。それくらい獲得に熱意があったのだろう。
『第1回選択希望選手 阪神 松井秀喜 内野手 星稜高』
掛布雅之氏が子供の頃に最大のヒーローだった松井は阪神とは相思相愛。が、その年に優勝争いをしながら、ヤクルトに敗れ、9月は『ターゲットは伊藤』とも言われていた。が、阪神を熱望する甲子園のスーパースターを逃すわけにはいかない。
『第1回選択希望選手 オリックス 伊藤智仁 投手 三菱自動車京都』
Aクラス入りも西武に独走されたオリックスは当然、社会人No.1投手を入札。
『第1回選択希望選手 読売 松井秀喜 内野手 星稜高』
12年ぶりに巨人に復帰した長嶋監督、就任会見では『ご縁があれば、育ててみたい』と松井獲得を宣言。松井サイドも巨人を希望球団に入れた。
『第1回選択希望選手 近鉄 小池秀郎 投手 松下電器』
2年前は8球団が競合した黄金サウスポーも、社会人2年は苦労した。伸びのあるストレートが影を潜め、ボールがスライダー回転する悪く癖に陥り、肝心な所でホームランを打たれる悪循環だった。『どうせ腰掛けだろう』松下電器のチームメイトともうまくいかず、『松下では誰の世話にもならなかった』と捨てゼリフを吐いた。ドラフト当日の記者会見は松下電器本社ではなく、長野の自宅で、違和感あったなあ‥‥。小池のこの年の希望球団はダイエー、ヤクルト、そして、近鉄。杉浦、松井、武藤にフラれ鈴木監督が『一度はプロに背を向けたピッチャーに賭けてみたい』と言えば、河西チーフスカウトが『いいものはいいんじゃ』と前日に小池1位を決めた。
『第1回選択希望選手 ヤクルト 伊藤智仁 投手三菱自動車京都』
片岡スカウト以下、ヤクルトスカウト陣は松井秀喜を推したが、『即戦力投手が欲しい』とオーナーに直談判したノムさんの意見が尊重された。ちなみに伊藤、ドラフト直前に当時地上波で放送されたプロ野球ニュースに小桧山と出演。『躍動感』という漢字が読めずに『ズバリ行く球団は?』と聞かれ、色紙に『ヤクルト』と書くとゲストの林家正蔵(当時こぶ平)に『やはり、伊藤さんはカタカナで来ましたね』とツッコまれた。しかし、伊藤の予想は‥‥。
『第1回選択希望選手 西武 杉山賢人 投手 東芝』
五輪メンバーの杉山を指名。根本管理部長がダイエーに移籍し、指名の主導権は森監督だったと言われる。小関さんがこの頃の西武のドラフトをやたらと批判していたなあ。
でクジ‥。
まずは松井。中日中山球団社長、根本監督、中村監督、長嶋監督の順番でクジが引かれた。3番目の中村監督、いつもは上のクジを引いてきたが、この日はその時のインスピレーションだったのか、下のクジを引いた。結果は‥‥、長嶋監督が右親指を突き上げた!『巨人・松井秀喜』の誕生だ。松井は『阪神ファンだったから、アンチ巨人でした。でも、あの人は特別』と語った。
次は伊藤。山本監督、土井監督、野村監督の順でクジを引き、山本、土井両監督がクジを外したのを確認すると野村監督がクジを引き当て手を上げた。2006年のドラフトで解説だった片岡スカウトは『ノムさん、クジを当てたことない』と言ってますが、伊藤当ててますよ。
外れ1位
『第1回選択選手 中日 佐藤秀樹 投手 三菱重工横浜』
145㌔の重いストレートを持つ佐藤を1位。ダイエーを逆指名していたが、スンナリ入団した。
『第1回選択選手 広島東洋 佐藤剛 投手 本田技研』
足を高く上げるフォームからのフォークボールが武器。MAXが143㌔でプロでは球威不足だった。
『第1回選択選手 福岡ダイエー 大越基 投手 早稲田大中退』
早稲田大を1年で中退して、1Aサリナスで投げていた大越を1位で。当時のドラフト中継の解説者が『ずいぶん、素直ですね。あって2位と思いましたが』根本氏のやりたい放題のドラフトは次の年から始まる。
『第1回選択希望選手 オリックス 小林宏 投手 広島経済大』
高校時代は軟式野球、大学2年から本格的にピッチャーをはじめ、ドラフト上位に急浮上した投手。オリックスの黄金期を支えた。特に日本シリーズでの『オマリーへの14球』は有名。
『第1回選択選手 阪神 安達智次郎 投手 村野工』
高校屈指の147㌔左腕。長嶋監督が巨人も外れ1位の筆頭だったと言っている。プロ入り後はフォームを崩し、迷走だった。『典型的なピッチャーや』と言った野村監督が最初の指導者だったらどうなっていただろう。その彼もこの世にはいない。
予想通り、松井は球史に残る名選手となったわけですが、当時はセ・リーグ、パ・リーグの人気の差が大きく、超高校級の選手に西武、ダイエーを除くパ・リーグの球団は入札出来なかった印象です。
part2では2位指名を‥‥。
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