ドラフト、私の記憶が確かなら‥‥1993年part1
この年から逆指名ドラフトとなった。『○○を逆指名させていただきます』あまり響きのいい言葉ではなかった。
そして、アナウンスはTBSの渡辺謙太郎さんだった。
そして、もうひとつ加えておきたい。この頃から、小関順ニさんのドラフトの執筆活動が増えた。まだ、YouTubeがない時代、小関さんの情報でドラフト候補を知ることが出来た。
『第1位選択希望選手 福岡ダイエー 渡辺秀一 投手 神奈川大 第2位選択希望選手 小久保裕紀 内野手 青山学院大』
小久保は巨人、西武、ヤクルトとの争奪戦で獲得。確か逆指名前に『小久保 巨人はイヤです』と一面に出ていた(後に巨人に移籍するが)。小久保は球界を代表するホームランバッターになり、ホークスのリーダーとなった。これでは終わらない。小久保を2位にして1位はロッテでほぼ決まっていた渡辺を強奪。渡辺はスライダーを武器に新人王を獲得したが、その後は伸び悩んだ。でも、根本監督(GM)のやりたい放題が始まった。
『第1位選択希望選手 広島東洋 山根雅仁 投手 岡山南高 第2位選択希望選手 上田好剛 投手 中山製鋼』
まず、山部にフラレ、ほぼほぼ獲得に成功していた三野も巨人に持っていかれた。そして、地元のサイドハンドに方向転換。2位は荒削りな剛腕。当時のドラフト会議倶楽部の座談会では評価されていたけど、今の小関さんなら、『フォームが悪い』
でバッサリと思う。二人とも全然だった。逆指名ドラフトで1番貧乏クジだったのはセ・リーグはカープ、パ・リーグは近鉄。
『第1位選択希望選手 千葉ロッテ 加藤高康 投手 NTT東北 第2位選択希望選手 立川隆史 外野手 拓大紅陵高』
渡辺を強奪されて、オリックスとの争奪戦で加藤を獲得。だが、高い買い物だった。太りやすい体質でドラフト後は接待を受け、ルーキーのキャンプでは100㌔を超える体重だった。この年は1安打完封を含む2勝をあげるが、太りすぎのせいか、膝の故障でわずか2年でクビとなった。サンドウィッチマンの仙台商業なのね。立川は珍しく地元のロッテを逆指名していた選手。でも、もうひとつ殻を破れなかった印象。なかなかレギュラーにはなれなかった。格闘家に転向したり、身体能力は高かった。
『第1位選択希望選手 横浜 河原隆一 投手 河原隆一 投手 関東学院大 第2位選択希望選手 波留敏夫 内野手 熊谷組』
巨人長嶋監督も注目したサウスポー。が、スポニチに『巨人お断り』と大きく報道された。地元の横浜に愛着を持ち、2億の条件を蹴って1億5000万のベイスターズを選んだ。しかし、プロでは伸び悩んだ。結局は肘を下げて、サイドスローのワンポイントで生きる道に。引退後はスカウトに転身。今や横浜の主軸である佐野惠太の担当スカウトである。波留は外野手に転向し、ガッツあふれるプレーで98年の横浜日本一に貢献した。その後、中日、ロッテにも移籍。最後はケガに泣いた。
『第1位選択希望選手 近鉄 酒井弘樹 投手 國學院大 第2位選択希望選手 西川慎一 投手 NTT四国』
藪にフラれ、三野にフラれ、2位クラスの酒井を繰り上げ、どう見ても下位レベルの27歳を2位に上げた。これから、逆指名で苦戦するプレリュードだったなあ。2位は大家で行って欲しかった。酒井はセットアッパーとしては強力だったが、短命だった。西川は予想通りワンポイント、ただ、イチローキラーだった。
『第1位選択希望選手 阪神 藪恵一 投手 朝日生命 第2位選択希望選手 平尾博司 内野手 大宮東高』
2年前、ドラフト会議倶楽部主催の『模擬ドラフト』で当時東京経済大・藪が指名された瞬間、どよめきが起こったとか。その時に阪神の菊地スカウトは『2年後はよろしくお願いいたします』とつばをつけていた。阪神、近鉄、オリックスが争奪戦に参加、最後は阪神、近鉄が残ったが、阪神の独走だった。藪は阪神暗黒期のエースになる。平尾は高校時代は通算68本のスラッガーだったが、プロ入り後はヘルニアの影響もあり、阪神→西武の現役生活でバイプレイヤーに終始した。
『第1位選択希望選手 オリックス 平井正史 投手 宇和島東高 第2位選択希望選手 三輪隆 捕手 神戸製鋼』
ダイエーを熱望していた平井。オリックスは藪、加藤、平田にフラれ、平井にアプローチした。裏で当時の球団代表が根本監督にアプローチをかけ、根本監督も承諾したとか。オリックスに入団した平井はMAX157㌔のとてつもないストレートを投げることになる。ストッパーとしてオリックスの連覇に貢献した。三輪は高校時代の強肩は影を潜めるが貴重なバイプレイヤーとなる。
『第1位選択希望選手 読売 三野勝大 投手 東北福祉大 第2位選択希望選手 柳沢裕一 捕手 明治大』
河原、小久保にフラれた巨人。スポニチに『巨人強奪三野』と一面に出て、ほぼ逆指名確定と言われたカープが困惑していた。三野は一旦白紙に戻しただけと言ったが結局は巨人を選んだ。当時小関さんが三野をNo.1選手、斎藤隆以上の素材と言っていたのを記憶している。当時の小関さんは未完の大器にも好意的だった印象。中居くんは『さんの』と読んでいた(笑)。柳沢は身体能力は高かったが、伸び悩んだ印象。
『第1位選択希望選手 日本ハム 関根裕之 投手 東北福祉大 第2位選択希望選手 井出竜也 外野手 日本通運』
三野とともに小関さんが高く評価した関根。『三野はスケール、関根は完成度が高い』と言っていたと思う。故障もあり、しばらくは伸び悩んだが、98年に9勝、99年、00年に二桁勝利をマークした。井出はヤクルト、巨人、西武を希望し、一時は西武に決まりかけたが、破談し、日本ハムを選んだ。強肩が印象的な選手ですが、800安打以上打っているので成功。3位といい、この年のハムはいいドラフトだった。
『第1位選択希望選手 中日 平田洋 投手 豊田大谷高 第2位選択希望選手 鳥越裕介 内野手 明治大』
『東海のライアン』と言われ、MAX148㌔の本格派。平井、山根よりも圧倒的に平田の評価が高かった。よくも悪くも生意気なイメージで『中日だけです』と公言していた。神宮大会でのピッチングを見た小関氏『ブルペンエースの臭いを感じたのは私だけだろうか』と言っている。プロではフォームを弄られてから、球速が出なくなった。4年目のオフ、背番号11は同級生のドラフト1位の川上憲伸に奪われ、5年目に戦力外に、近鉄にテスト入団するも1年でクビに。2位の鳥越は小関氏が『池山2世』と言っていたが、プロでは守備が売りの選手のイメージ。その力はダイエー移籍後に発揮された。通算500安打だから、まずまずの成績だった。指導者としては有能で現在はロッテの二軍監督。
『第1位選択希望選手 西武 石井貴 投手 三菱重工横浜 第2位選択希望選手 山田潤 内野手 朝日大』
石井の兄は慶応大の強肩キャッチャーで大洋に2位指名されたが、母親の反対でプロ入りを拒否している。そのせいか、石井のプロ入りの思いは強かった。石井はヤクルト、巨人、西武希望だったが、巨人のアプローチがなく、西武を選んだ。『西武の一流の野球を』と会見では言っていた。先発、リリーフもこなし、通算で68勝、2桁勝利3回だから成功と言っていい。フォーム的には左肩の開きが早く、リリースポイントが見易いとか、顔の表情でスライダーというのがわかると癖があった。兄貴分の性格で現在は楽天の一軍コーチ。2位の山田は井出を回避してまでとったスラッガー。が、プロでは伸び悩み、通算本塁打は一本。広島、社会人チームを経て、現在は楽天の東海地区担当スカウトだ。
『第1位選択希望選手 ヤクルト 山部太 投手 NTT四国 第2位選択希望選手 斎藤充弘 投手 日立製作所』
山部は一年前は西武の1位が噂されたが残留した。山部に1番熱心だったのは広島だったが、本人は巨人、ヤクルト、西武を希望。その中からヤクルトを選んだ。95年に16勝をあげるが、その後は故障で伸び悩んだ。斎藤は1勝もあげられずに引退。
スカウトが『赤身の値段でトロを買うようなもの』と契約金が爆上がりした。1年後に契約金の上限が設けられるが、それを無視しての『金まみれドラフト』がはじまった。
part2では3位以下の指名を。
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