30代最後の旅③~英語が話せないわたしの海外一人旅のはじまり。
ひとことに「話せない」といってもレベルがあると思う。
単語つなげたらなんとでもなるとよく言われるが、わたしはその、「単語をつなげる」さえできない。
英単語(もちろんすぐには該当する単語が出てこない)とほぼ日本語を使って、とにかくいつもいつもなんでこんなに単語が出てこないんだ!と歯がゆい思いをしながら、困り果てている。さらにはヒアリングが抜群に悪い…。大体こんなこと言ってるんだろうなと、聞こえた単語と得意の妄想を繋ぎ合わせてどんな話をしているのかあたりをつけるも、勝率はだいたい五分五分。
そんなわたしが、海外・初一人旅である。
今まで何度か海外には行ったことがある。会社の研修旅行であったり、家族旅行であったり、大好きな尊敬するイチローの試合を観戦しにマイアミまで飛んだこともある。だけど、一人でというのは全く話が違う。例えるなら今までの海外旅行は、頼れる誰かの後ろについていって、普段の自分通りの生活のまま過ごした旅だった。今回の旅は何から何まで自分で決めて自分が行動して、自分を変化させなければ適応できない旅。おわかりだろうか。わたしのこの不安が。
さて、旅のはじまりである。
乗継ぎが心配すぎて安パイをとり、価格の安い乗継ぎ2回ではなく、価格は上がるが、個人的に安心(と思った)の乗継ぎ1回を選択をしたのだが、1度経験した今は、次行くなら乗継ぎ2回でも安い方で行こうと思う。だけどこれは経験したから判断出来ること。
やってみたら案外たいしたことなかったという経験。
これは、大人になったら経験することが難しい。なぜなら、失敗しない選択を選びがちだから。大人になると、失敗をするという経験を敬遠しがちだ。無難な無難な選択をする。挑戦することが怖くなるのはどうしてだろう。きっと新しい世界に飛び込むよりも、今まで培ってきた経験のみで安全安心に生きていきたいのだろう。それが快適なのだ。かくいうわたしも安心確実な道を選んできた。
だけど、
その安全地帯から一歩出てみて、周りを見回してみると、快適さを上回る特上の経験が待っていたりする。
飛行機に乗って、タスマニア島まで来てみたら、とにかく一人で勝手にビビってたけど、やってみればどうとでもなる!という心境に辿り着いたのである。