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30代最後の旅⑤~食べることが好き

食べることが大好きなわたしとお料理上手な友だちの話。

ところでわたしは食べることが好きだ。
美味しいものには目がない。大食いではないが、美味しいものや美味しいお酒さえあればもうなにもいらない。その瞬間、すべてが満たされている。そして食べることは好きだが、つくることにはそれほど興味がない。

5年越しに会う友だちとは、以前勤めていた飲食店の正社員とアルバイトさんという関係だった。わたしはそこで出会った人たちのことを友だちとはカテゴライズしていない。むしろともに闘った戦友だと思っている。だけど、2か月同じ釜の飯を食ったらもう、戦友ではなく、友だちだった。

その、友だちである。
前出した通り、ともに日々闘った戦友ではあったが、すでにそれは遠い過去。初めて会ってから約15年の月日が流れていた。当時は正社員とアルバイトさんの関係を越え、一緒に呑んだり遊んだりしていたが、離れて久しいここ最近、一体彼女が何を考え、どう行動し、今ここにいるのか、果たしてどんな性格だったかでさえ、朧気に思えてくるのである。

そうして2ヶ月。新たに知ったことは、彼女はお料理好きで、抜群の料理センスと調理経験を兼ね備えている、わたしにとって神さまのような人だった。さらに後述することもあるかとは思うが、嫌みなく、人に尽くすことが自然にできるひと、愛に溢れているひとだった。

そんな彼女と、毎日自分たちの手で収穫したものを洗って、切って、調理して、食べる。(時には鶏を絞めて羽をむしっておなかを掻っ捌いて、内臓を出して)その一連の流れを毎日繰り返す。地産地消。一生のうちこんなに「食」が丁寧な暮らしは初めてで、自分が今までいかに適当に食事をしてきたかがはっきりとわかった。

生地から手作りのpizza
これまた手づくりの生pastaとtomatosauce
美しいbeetroot soup

手づくり山羊の🧀とrhubarb wine

毎食毎食テーブルに並ぶ料理をみて、幸福のため息をついてしまう。なんて美味しいんだろう。なんてしあわせなんだろうと、うっとりしてしまう。

そうして食べるという行為に没頭していく。

人生史上一番、一食一食、かみしめて、しみじみと味わって食べる食事。「いただきます」とは、「命を」「ここまで育ててくれた方へ」「加工して運んで売って調理してくれた方へ」の感謝の言葉なのだと今更ながらにして実感する。

わたし、ここまで来て、良かった。
頭では理解していたけれど、体験することによってしか深く理解できないことってたくさんある。わざわざタスマニア島に行かなくったって気づける人はたくさんいるだろうけれど、わたしにはここで体験する必要があったのだとなぜかそう確信めいて思っている。

なぜならわたしは、この約40年というあいだ「食べることは好きだが、つくることにはそれほど興味がな」かったのだ。それなのに、それなのにだ。日本へ帰ったら、家族にこれ作ってあげよう、あれもつくってみたい、庭の畑を活用してあれも育ててみよう、これも植えてみようと次から次へとしたいことがどんどん浮かんでくるようになったのだから。これは、この料理上手な友だちがいてこその結果だと思う。


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