福寿草
-2022.3.8-
2月、友達が亡くなった。一週間も経過してしまった。未だ悲しくて、寂しい気持ちのままだ。どうやって消化すればいいのかも分からなくて、ただ悲しい気持ちを消したくないとも思っている。
思い返すと、10年以上の付き合いで皆と旅行やフェスにも行ったし、2人で何度も遊んだし、私が一人暮らししてた家にも泊まりに来てくれたな。いつもニコニコしてて、不機嫌な時や怒った所も滅多に見たことなくて、率先して自分より他人を気遣える子だった。皆が口を揃えて優しい、と言われるような子だった。優しくて、思慮深くて、自分の意見はちゃんとあって、それでも人の意見や性格を否定しない、本当に愛が深い子なんだと思う。
病気になってから一度でも弱音を吐く言葉なんて聞いたことなかったな。いや、あったとしても私達の前ではすぐに切り替えて前向きに見せてたんだと思う。何でかな、もっと甘やかしてあげられたら、もっと病気のことを詳しく調べれば良かった。なんで、もっと会いに行けば良かった。12月に帰省したとき無理矢理にでも会うことを選べばよかったのかな。後悔ばかりで、どうしようもない。この気持ちは無くならないんだと思う。
お通夜、告別式と両日参列させてもらえて、ご両親にもご挨拶させていただいた。本当に眠ってるみたいで、でも本人じゃないみたいで、涙が止まらなくて、心臓が苦しかった。今でも実感が沸かないのに悲しい気持ちのままで、ああ二度と会えないんだな、と思うたびに涙が止まらなくて、本当にどうしようもない。これを書いてる今もそう。それぐらい、そればっかり。
お互い結婚に対しての話をしたとき「ドレス姿、絶対に可愛いに決まってるから絶対に見たいなあ」と言ってくれたこと嬉しくて今でも覚えてる。正直、結婚願望もないし今後結婚するかもどうかも分からないけど。しんどい事が重なったとき大阪まで会いに来てくれて、私のくだらない話を延々と聞いてくれて、聞き上手だからついつい話し込んじゃうのに嫌な顔ひとつしなくて。フジロックでエルレをを見終わった後すぐに連絡したらめちゃくちゃ喜んでくれて、次は絶対一緒にライブ行こうね!肩組んで泣き笑おうね!と話したし。そうやって、過去の思い出は数えきれないほどあって、でも、これからの記憶も増やしたかったんだよ。環境が変わっても、家族が増えても、お互いおばあちゃんになっても。
亡くなる数日前に連絡があっても全然覚悟なんてしてなくて、正直いうと絶対に死ぬ訳ないし絶対復活して戻ってきてくれると、本気で思ってたから。願掛けでご利益強い神社にも行ったし丁寧にお参りしてきたし。それでもお願い事は聞いてくれなかったな。嘘つきだな。薄情だな。無理なものは無理なのか。
どれだけ思っても会えない。話すこともできない。触ることもできない。一緒に遊べない。ライブにも行けない。一緒に遊べなくても、生きてさえいてくれれば。
「みんなともっともっとずっと会いたいよ。」の言葉、私が想像するよりも壮絶に苦しかっただろうに、頑張ってLINEしてくれたんだよなあと思うと気持ちが込み上げてくる。手を握って、肩を抱いて、目を合わせて、大丈夫だよって言ってあげられたらちょっとでも救いになれたのかな。ああ、最後に笑顔が見たかったんだ。無理なものは無理なんだよな。
思い出がありすぎる。今もまだ悲しみでいっぱいだけど、日々暮らしていけば消化するわけで。それでも時たま悲しくなったり寂しくなったりするんだろうな。嫌だな、悲しい気持ちを引きずりたくない。忘れたくない。薄まりたくない。記憶にしたくない。矛盾していて、でも、全て私の本心。
こんなことをこんな所で書くなんて、良いことじゃないかもしれない。バチ当たりかもしれない。悲しい報告なんて、むやみにしていい訳ないじゃない。でも、残したかった。私が生きている以上どうしても気持ちは風化していくものだと思ってるから。今の私の気持ちを置いておきたかった。残しておきたかったんだ。
あの子はきっと笑って許してくれる、なんて生きている人間の勝手な憶測だし、故人のことなんて絶対に分かりっこない。それでも、もう十分頑張ったし苦しかったししんどかったでしょ、ゆっくり休んでね、と心から願ってるんだよ。それが届いてるかも分からないし、知るよしもないけどさ、でも願いたいんだよ。大好きだからね。音楽繋がりで出会えて仲良くなれて、本当に良かったと思ってる。思うたびに今は涙が止まらなくなっちゃうんだけど、それぐらい大好きだから仕方ないでしょ。
2年前にほぼ書き殴り状態でInstagramに投稿した。
とりあえず悲しくて苦しくて、でも毎日過ごしてたらこの気持ちもなくなるの?と思ったらめちゃくちゃ怖くなって、そんなのは嫌だと思って、どこでも良いから残したかった。リセット癖があるから、Instagramも全部消してゆるくスタートさせようと思ったんだけど、この投稿だけはどこかに移したくて、今に至る。
去年も今年も当日は無理だったけど、お墓参りに行く事ができた。車じゃないと無理な場所ではあるけど、静かで綺麗な場所で洗練されていて、落ち着いて過ごせるねと思った。去年のお墓参りは結構な雨だったんだけど、ちっちゃい蛙が雨宿りしていてね、それが何だか無性に癒やされて嬉しくて、そんなとこでさえも泣きそうになっちゃったな。
あんなに風化したくない薄まりたくないと嘆いてたんだけど、2年前の張り裂ける感情ほどは無いにしても、こうしてる今も会いたい気持ちは無くならないな。
写真を見返して泣く夜もあるし、もっと会いに行けば良かったなと急に後悔して責める日もあるし、穏やかに過ごせているのかなあと無意味な想像をしたりもする。
上手く言えないんだけど、年々愛が積もっていく気がしていて。生きていく以上私は歳を重ね続けるしこれからも踏ん張って生きていくしか無いんだけど、例えばしんどい事が重なってもう何もかもいや!ってなっても、あの子に胸張れる生き方しないとなってどこかで無意識に思ったり。別にダメダメな私でも受け入れてくれるとは思うんだけど。
でも、生きていくうえで今まで言ってくれた言葉だったり、してくれた行動だったり、今まで重ねてきた思い出が私のお守りみたいになってるんだ。これって愛でしかなくない?
そしてもうひとつ、やっとタトゥーを入れることができたの。元々今まで入れてるタトゥーは自分が大事にしてることや好きなもので形成されてるから最初から迷いはなかった。
“故人を思うとそのひとの周りに花が降る“
これが迷信でも仏教の供養の言葉でもスピリチュアルなものでも、何でも良かった。ただただ素敵だと思ったし、天国でも寂しく無いようにずっと花が降り続いてほしい、その願いが届いてくれればいいなと、心から願うものを形にしたかった。
私も調べるまで聞いたことない花だったんだけど、福寿草の誕生日は2月26日なんだって。知った途端、言葉にできない感情が相まってめちゃくちゃ泣いた。あれがどんな涙だったのか未だに自分でも説明できない。結局、私はずっと会いたくて仕方ないんだと改めて思った。会えたらそれこそ一生分のハグをして、何日間も語り尽くして、多分ずっと笑い合ってるんだろうなって本気で思うよ。生きてさえいてくれればそれで良かった。それだけで。
長い目で見たらこれからも後悔ってめちゃくちゃ経験すると思うんだけど、当たり前のことって本当にないんだなあとしみじみ思う。思ってるはずなのにすぐ忘れるし。怠惰もするし。
歳を重ねると大抵のことが面倒くさくもなるけど、自分が心から大好きなひと会いたいひとには迷わずに会いに行くし時間も惜しまずに行動したい。
というかそれを第一に生活していきたい。大切な人達のためだけに時間を注ぎたいと思う。
キャパが狭いし八方美人な性格でもないから、私は私が大好きな人にしか愛情100%注げないんだけど、それで十分に暮らしていけるならそれでいい。
完成したタトゥーを見て、お守りが増えたと実感してるんだよ。皆から、それかわいいねって褒めてもらうたび本当に嬉しくて嬉しくて。彫ってくれたお姉さんもめちゃくちゃ優しくてパワフルでかわいい方だった。私はそういう方が1日でも多く幸せであってほしいな、と切実に思う。誰かに無意識に優しくできる人は絶対に報われてほしい。
あと何歳まで生きるか正直分からないけど、絶対に同じ場所で会いたいんだよね私は。神様、本当にお願い、これだけは叶えてくれ。とりあえずこれからも恥ずかしくない自分で、程々に生きてみるから。