解決策にもならないし、麻酔にもならない話なんです。
ストーリーも
ワンネスも、非二元も
ほんと
何にもないんです。
空もないし
在るも、無いも
何にもないんです。
いえ、
ないというより知らない。
なにも、知らないんです。
わからないままで
わからないままなんです。
説明をし出すと、
色んな知識で
わかったと思う。
納得できる。
ここの起こりに
トラウマも自我もありません。
何も知らないし
わからない。
なのに、
何もわからないのに
ハッキリしてるんです。
だけど…
よく、このメッセージについて
分かち合いをしていると
そうは言っても
すぐ解釈してしまうし、そんな風に思えない
そういう時は、どうすればいい?
と言われます。
これも
「そんな風に思えない。どうすればいい?」
以外起こってないし
それ以外ハッキリしてないし
ただそうなんです。
「いや、そうじゃなくて
解釈が起こってきて苦しいけど、もう
そうでしかないし、受け入れるしかないと
いうこと?」
ってなる人もいます。
そうやってズレていっちゃうんですね。
これね
本当は、このメッセージを知りたいんじゃなくて
人生を楽にしたいんですよね。
どんなに楽になんかならないよ、
そういうメッセージじゃないよ、って
聞いても
やっぱり解決策がほしい。
そういうことが起こってる。
それとか
手段が目的になってることが起こってる。
手段が目的化してるのは
もう趣味にしてるやん!!
って思うから、楽しんでるなーって
感想が起こるけど
苦しくてどうにかしたいなら
人生の解決策は
ここではみつからないよ、っていう
思いがわきますね、どうしても。
そんな感じで
「私はいない」と思い込もうとしても
それは、
それこそただの麻酔です。
あ、麻酔にもならないかもしれません。
逆に苦しいは消えないし
腹立つだけかもしれないなと
そういう思いが沸いてきます。